第九十八話 「文化祭〜前編〜」


――AM5:30

 文化祭当日。
 その日の朝、俺は早起きをしなければならなかった。
 うちのクラスの出し物は喫茶店で、実はまだ準備が終わっていないのだ。
 その為に朝六時に登校と いう普段なら考えられないスケジュールとなった。
「眠そうだね、涼一。それで文化祭は大丈夫なの?」
 朝食の席で恵美が言った。こいつは部活などで朝が早いのは慣れている。
「大丈夫だ。そういえば、おまえのところは何をやるんだ?」
 ふと、そんな事を聞いてみた。
「前に言ったでしょ? うちのクラスはフリーマーケットだよ。
 いらなくなった小物や雑誌なんかを並べて売るんだ」
「そうか。そうだったな」
「あっ、本気で忘れてるー。この間涼一からも、色々ともらったじゃない」
「確かに……」
 あれはフリーマーケットに出すつもりだったのかと今更ながらに思う。
 飽きた本やいらなくなった小物などを幾つか提供したのだ。
「まあ、そっちも頑張るんだな」
 そう言って席を立ち上がり、朝食の後片付けをする。
「もう行くの?」
「ああ。先に行っているぞ」
 俺は家を出て学校へと向かった。
 かつて無いほどの長い一日が、その時幕を開けた。

――AM 5:58

 学校に辿り着くと、まだ準備の終わっていない生徒達が忙しそうに動き回っているのが見えた。
 きっと中には泊り込みで働いていた奴もいるのだろう。
 玄関から校舎に入り、下駄箱の蓋を開けて上履きを取ろうとした時、
 中に一枚の紙切れが入っているのが見えた。
「何だ……?」
 不審に思いながら紙を手に取り、文面に目を通す。

『さて、ゲームを始めましょう。
 この学校のどこかに爆弾を仕掛けました。
 制限時間は今日の午前九時。
 それまでに見付けられなければ、爆弾は爆発します。
 ルールとして、この事を誰かに知らせたり知られたりしたら、
 その時点で爆弾を爆発させます。
 では、浅田涼一様の活躍を期待しています。
                          Xより』

(……性質の悪いイタズラか? それとも、こいつも文化祭の余興なのか?)
 そう思って紙を裏返す。
 するとそこにも一文が記されてあった。

『スタートは午前六時。
 グラウンドで合図が上がります』

 ちょうどその時、グラウンドの方から大きな音と煙が上がった。

――AM 6:12

「それにしてもびっくりしたわね。何だったのかしら、あれ?」
 教室で忙しそうに仕込みの準備をしながら高宮が呟いた。
「さあな。大方、文化祭で使う花火か何かが暴発したんだろう」
 俺は平静を装いながら素っ気無く答える。
 結局あれは煙だけで、爆発や火の手が上がる事は無かった。
 グラウンドには文化祭で使う資材などが今も雑多に置かれてあるので、
 仕掛けをするのは容易であっただろう。
「そうね。毎年文化祭では無茶をする生徒がいるらしいし。
 全く、花火を持ち込むなんて何を考えているのかしら」
 高宮は呆れたように肩を竦める。他の生徒や教師も同じような結論に達したのだろう。
 今でも騒ぎ になっていないのがその証拠だ。
(冗談などではない……という事か)
 俺は心の中で呟く。
 近年、爆弾などはちょっと調べれば誰にでも作れると聞いた。
 携帯電話などを利用すれば遠隔操作も可能なのだろう。
(始まりの合図と共に、これは本気だというメッセージでもある。
 本物だったのなら、こんなものでは済まないと……)
 下駄箱にあった紙は懐にしまってある。こうなった以上、相手の指示に従うしかないであろう。
「どうしたの? 何だか様子が変よ」
 黙り込んだ俺を見て不審に思ったのだろう。高宮が心配そうに尋ねてきた。
「いや……何でもない」
「なら、いいけど。準備が終わったらすぐに本番だから、しっかり働いてね」
「ああ、分かっている」
 そう答えたものの、今はそれどころではない。制限時間の九時まで残り三時間を切っている。
 何かしら理由を付けて学校中を探し回らなければならないだろう。
「――私楽しみ。前の学校では、文化祭っていうのが無かったんだ」
「そりゃあ可哀相に。じゃあ今日は、俺の浜辺仕込みの腕を見せてやるよ」
「喫茶店をするのに?」
「似たようなものだよ」
 倉谷と和泉が装飾の準備をしながら楽しげに話している。
 いつの間に親しくなったのか、周囲からは他の男子生徒のやっかみの視線が放たれていた。
(とにかく、相手の『ゲーム』とやらを受けるしかない。さて、どこから探せばいいものか……)

 ――AM 6:22

 溜まったゴミを捨てるという名目で俺は外に出て来た。
 あまり勝手な行動を周囲に不審がられるので、作業はそれなりに真面目にこなさなければならない。
 最初に行き先はグラウンドである。
(煙の上がった場所……まずは、そこだ)
 グラウンド内では作業をする多くの人が行きかっている。
 屋台の準備をしていたり、ロープを張っていたりと、何かと忙しそうだ。
(どこだ? 大まかな場所は分かるが……)
 そうやって、きょろきょろと辺りを見回していた時だった。
「おう、浅田。何やってんだ?」
 資材を抱えた村上が俺に声を掛けて来た。
「いや、ちょっとな……」
 俺は言葉を濁す。下手にしゃべっては、今俺が置かれている状況を悟られてしまいかねない。
「村上、どうやら真面目に働いているみたいだな」
「はっ、サボってたら出入り禁止になっちまうからな。
 そうなると午後の演劇が見られなくなっちまう」
「演劇?」
「ああ。可奈の奴が助っ人で舞台に立つんだとよ。絶対に見に来るなと言ってたが、
 そんな面白そうなものを見ないわけねえだろ」
 村上はニヤリと笑みを浮かべる。
「慎也の奴も助っ人で何かやるって聞いたけどよ、ヤローの出し物なんて別にどうでもいいしな」
 とてもじゃないが自分にはそんな暇は無いだろう。
 だが、人の集まりそうなところは狙われやすいとも言える。
 いずれ、体育館にも行ってみる必要があるだろう。
「さっき、この辺りで煙が上がったよな?」
「ああ、そんな話を聞いたな。まさか、俺の仕業だとでも思ってんのか?」
「いや、そうじゃない。ただ、具体的にどこで起きたのかと思ってな」
「さあ……おい、知ってるか?」
 村上は後ろに居た茶髪とピアスの二人に尋ねる。
「それなら、向こうの木材が積んであるところだぜ」
「そうそう。ちょうど俺らも野次馬してたからな。間違いねーよ」
 二人がぞんざいに答える。
 以前の事もあって二人が俺を快く思っていない事は知っているが、そんな事はどうでもいい。
「それで、原因は何だったんだ?」
「さーな。集まった先公共は花火か何かだろうって言ってたけどな。
 だれかのイタズラじゃねーの?」
 やはりそういう判断かと考える。
 多少は警戒するかもしれないが、これから忙しくなるにつれて忘れ去られる可能性は高い。
「じゃあ、そろそろ行かねーとな。オマエもこんなところでサボってんじゃねーぞ」
「ああ、分かった」
 村上達がこの場を立ち去るのを見て、俺は木材が積んである所に向かった。
(ここか)
 あれから時間も経っているので、当然ながら煙や匂いが残っている筈も無い。
 俺は注意深く地面を監察しながら歩いた。
(……こいつだな)
 俺は地面の一部の色が変色しているところを見付けた。ごく最近に、掘り起こされた形跡である。
(外に突き出ている部分がある……あそこから煙を噴出したんだな)
 ここはちょうど資材で物陰になっている。俺は身を屈めると、慎重な手付きでそれを掘り起こした。
 地面から出て来たのは菓子箱のようなアルミ製の箱であった。
 蓋の部分から管が突き出ていて、そこから煙が噴出したのだと分かる。
(さて、どうしたものか……?)
 対応に苦慮していると、突然中から物音がした。

 ――プルルルルルルッ。

 聞き慣れた電子音。
 良くある電話の着信音である。
「……どこで見ている」
 周囲を見渡すが、それらしい人物は見当たらない。
「仕方ない――」
 俺は決意して蓋を開いた。
 中には予想通り携帯電話が入っている。
 他にも、煙を噴出する為の装置と思われるものがあった。
「……もしもし」
 俺は通話ボタンを押して話し掛ける。
『電話ガ鳴ッタラサッサト取ッテ欲シイモノデスネ。浅田涼一サン』
 不自然に甲高い声だった。何らかの機械を使って、声音を変えているのだろう。
「貴様……何者だ?」
 俺は周囲に気を配りながら問い掛ける。
『ワタシノ事ハXト呼ンデ下サイ。以後、オ見知リ置キヲ』
 丁寧な口調が癇に障る。
 どうやら向こうは、この状況を楽しんでいるようだった。
「何が目的だ?」
『ゲームデスヨ。アナタトワタシトデ、楽シモウジャアリマセンカ』
「何がゲームだ。爆弾で関係の無い人々を巻き込むような真似をして……!」
『ハッハッハ。ソレクライノ事ガ無ケレバ面白クアリマセンヨ。演出ノ一ツトデモ考エテ下サイ』
 Xは甲高い声で笑う。その口調からは、性別の判断も難しかった。
『サア、イツマデモソンナ所ニ居テモショウガナイデショウ。
 爆発マデアト二時間三十分。必死ニ探シ回ッテクダサイ』
「待て! 貴様は――」
『ソレト、最初ニソコヲ嗅ギ付ケタ褒美トシテヒントヲ与エマショウ』
「ヒント?」
『簡単ナ謎々デスヨ。何ヲ言ワレテモYESト言ッテシマウ人ハナーンダ?』
「YESと言ってしまう人……」
 そう言われても、咄嗟に答えは浮かんでこない。柔軟な発想力を必要とされる謎々は苦手なのだ。
『デハ、コレデ。アア、ソコノ仕掛ケハ携帯電話ヲ除イテ全テ処分シテオイテクダサイ。
 ゴミ捨テノ途中ナノデショウ?』
 そうして通話は一方的に切られた。
「くっ……」
 俺は携帯電話を見詰めながら歯噛みした。
 液晶表示では非通知な上に、通話ボタン以外は潰されている。
 これでは向こうから電話を受ける事しか出来なかった。
(この発煙装置……単純な造りだが効果は確実だ。この携帯電話に掛けて起動させる仕組みだな)
 携帯電話からは一本のコードが伸びていて装置へと繋がっている。
 これならいつでも好きな時に起動させられるだろう。
(こうしてはいられない。クラスの人間に不審に思われる前に、用事を済ませて教室に戻らないと)
 闇雲に探していては時間の無駄でしかない。
 まずは、先程Xが言ったヒントとやらを考えるべきであろう。
(YESと言ってしまう人か。
 目上に媚びへつらう人物や、他人にお人好しな人物……という訳では無いよな)
 そんな単純な答えでは無いだろう。第一それでは、漠然としすぎていて絞り込みが出来ない。
(これでは駄目だ……しかし、どうしたら……)

――AM 6:31

「遅いぞ、浅田。どこで油を売っていたんだよ?」
 教室に戻ると、俺の姿を見掛けた和泉が文句を言った。
 教室の前に飾る立て看板の仕上げをしているらしく、ベニヤ板を前にしてハンマーを手にしている。
「すまない」
 俺は素直に詫びる。
「あ、いや。別にいいけどよ……」
 和泉は調子が狂ったかのように頭を掻いた。
「そうだ。和泉は謎々が得意か?」
 俺は思い付いて尋ねる。
 相手に悟られなければ知恵を借りるくらいは大丈夫だろう。
 それに向こうはその事について何も言っていなかった。
(ただ、Xとやらがどこで見ているのか分からない
 。現にゴミ捨ての途中だと言う事も知っていたしな……)
 もしかしたら、俺のごく親しい人物の犯行という可能性もある。
「謎々? 得意って訳じゃないけど……それが何か?」
「いや、ちょっと厄介な問題を出されてな。出来れば知恵を貸してくれないか?」
「俺の、知恵を……?」
 和泉は意外そうに目を見開く。
(……まずい事を言ってしまったか?)
 俺は背中に冷や汗をかく。
「そーか! そーか! この俺の知恵を借りたいか!
 いやー、そうまで言われたら仕方ない!ほれ、どんとこい!」
 和泉は何やら嬉しそうに声を上げる。ハンマーを持った手を振り回しているので少々危ない。
「あ、ああ……何を言われてもYESと言ってしまう人はなんだ? という謎々なんだ」
「YESと言ってしまう人か……うーむ」
 和泉は腕を組んで考え込む。
「YES……イエス……はい……頷く……肯定……承諾……
 謎々ってのは、大体はダジャレだからなあ」
「そうなのか?」
「ああ。例えば、いつも転んでしまう虫はなーんだ? とかいうのだと、
 答えは転倒だからテントウムシってわけだ」
「……成程」
 俺は感心して頷く。
「人ってのも何か意味がありそうだな。人……ヒト……いや、必ずしも人間とは――」
「ちょっと! 何そこでサボってるの!?」
 するとそこで、高宮が俺達に向かって大声で注意をした。
「すいません! いますぐやります!」
 そう言って和泉は看板の製作に取り掛かろうとする。
 しかし、このままでまずい。
「俺も手伝う」
「そうか、ありがたい」
「謎々が解けたら教えてくれ。勿論、俺も考えておく」
「ああ、任せておけって!」
 と、和泉は自信有り気に言い切った。

――AM 7:02

 午前七時になったが、これといった答には辿り着かなかった。
「よしっ! 完成! 浅田のおかげで大分早く仕上がったよ」
 その代わり立て看板は無事に出来上がった。
 クラス内の準備もほぼ完了したようで、しばらくは時間を取っても大丈夫だろう。
(和泉は望み薄だな……誰か別の人間の知恵を借りた方がいいかもしれん)
 俺は工具を片付けながら考えた。俺も謎々を解こうと頑張ったが、さっぱりである。
(高宮は急な買い出しとやらで外に出ている。
 とりあえず、余裕が出来た今のうちに学校内を散策しよう)
 他の場所を巡れば何か思い付くかも知れない。俺はすぐに教室を出た。

――AM 7:19

 プログラムを片手に色々と校舎内を見回ったが、
 何の手掛かりも無く爆弾を見付ける事は不可能かと思われた。
(……奴の狙いはなんだ? 本気で、爆弾を爆発させるつもりなのか?)
 人気の無い校舎裏を歩いていてそんな事を考える。
 発煙装置を焼却炉で処理する前にその構造を良く調べておいた。
 もしも爆発物を取り付けられていたら、確実に爆破出来ていたであろうという代物であった。
(もしかしたらハッタリという事も考えられる……だが、楽観視は出来ない。
 最悪の場合は人命に関わるのだからな……)
 それだけは何としても避けたい。
(俺だけならともかく、何も関係の無い人……
 もしかしたら、親しい人を失う様な事だけは二度と――)

 ――プルルルルルルッ。

 その時、ズボンのポケットに入れておいた携帯電話が鳴った。
「……もしもし」
 俺はすぐに取り出して通話ボタンを押す。
『ドウデス? 調子ハ?』
 俺は辺りを見渡す。忙しそうに行き交う生徒の姿はちらほらと見掛けるが、
 電話を掛けている人物は見当たらなかった。
「何の用だ?」
『オヤオヤ。随分トテコズッテイルミタイデスカラ、心配ニナッタンデスヨ』
「……それで、何か教えてくれるのか?」
『イエ。ワタシノ本気ヲ見セテオコウト思イマシテネ。ニュースヲ見テクダサイ。
 面白イモノガ見ラレルト思イマスヨ』
「ニュース……?」
『デハ、コレデ失礼シマス』
 またもや通話は一方的に切られる。
(ニュースだと? 一体、何の事だ?)
 テレビでも見ろという事なのだろう。
 今の時間なら、どこかの局で朝のニュースを放送している筈である。
(しかし、テレビなんて一体どこで――)
 そこでふと思い付いた。あそこならテレビを見られる。
 俺はすぐにその場を後にした。

――AM 7:25

 本校舎一階の職員室。
 ちょうどそこでは、壁に備えられたテレビがニュースを流していた。
 生徒の出入りも多く、俺一人が紛れ込んでいても何の違和感は無いだろう。
 俺はさり気無くテレビの見える位置に移動した。
『――ここで速報です。先程、桜雪市の外れにある廃工場で爆発が起きました。
 原因はまだ不明ですが、現在怪我人などは居ない模様です……』
 そのアナウンサーの言葉を聞いて俺は息を飲んだ。
(Xが言っていたのはこれのことか……)
 これで少なくとも、爆発物を製造する道具と腕はあるという事が証明された。
「爆発か……物騒だな」
「人気の無いところで、何だってそんな事が起きたんでしょうね?」
「工場って言うんだから、何かしらの危険物や薬品が残っていたんじゃないか?」
 それを見た教師達が他人事のように雑談を交わす。
(こうしてはいられない……早く爆弾を探さなければ!)
 俺はすぐにその場から離れようとした。
「あら? 職員室に何の用?」
 ドアを開けたところで、担任の御崎先生と出くわしてしまった。
「いえ、もうすみましたから……」
 俺はそう言って、その横を通り過ぎようとする。
「ちょっと待ちなさい」
 御崎先生が俺を引き止める。
「……何です? 忙しいので、手短にお願いします」
 実際に文化祭の準備があるので、これは嘘ではない。
「……何だか、様子がおかしいと思ったから。何か悩みがあるのなら遠慮なく言いなさい」
 流石というべきか、だが今は遠慮しなければならない。
「大丈夫です。何でもありませんよ」
 俺は平静を装って言い、そこでふと思い付いた。
「先生。謎々は得意ですか?」
「謎々? そうねえ……」
 御崎先生は顎に指を当てて考える。
「何を言われてもYESと言ってしまう人はなんだ?
 という謎々なんです。何か心当たりはありませんか?」
 俺は構わず問い掛けた。爆発まで残り三時間あまり。あまり悠長な事をしている時間は無い。
「YESマンって事? それならうちの教頭先生かしらね。
 校長先生の言う事には何でもはいはいと頷くから」
「いえ、そういうものではないと思います」
 まさか、人間に爆弾を仕掛けているとは考えにくい。
「うーん、ちょっと分からないわ。ごめんなさいね」
「いいんです。では、失礼します」
 俺はそう言って職員室を後にする。
「御崎先生、ちょっとお時間よろしいですか?」
「ええ、どうぞ」
「例年ですと初日の来客者人数は――」
 背後の会話を聞いて、足がぴたりと止まる。
「先生! 今、何て言いましたか!?」
 すぐに身を翻し、俺は御崎先生に向かって勢い込んで尋ねた。
「おい、今大事な話を――」
「『ええ、どうぞ』って言ったのよ。それがどうかしたの?」
 御崎先生は男性教師を無視して俺の質問に答えてくれた。
「『どうぞ』……それにも、承諾の意味が込められている。YESと同じようなものだ」
 こんな単純な事に気付かなかったのかと心の中で己を叱咤する。
 今思えば、和泉の考えはいいところまで行っていたのだ。
「ありがとうございます!」
 俺は頭を下げると、目を丸くしている二人をその場にして目的の場所へと一目散に走り出した。

――AM 7:31

(どうぞ……どうぞう……銅像か! 全く、こんなくだらない謎々に時間を取られてしまうとは!)
 残りはあと一時間半。見付け出すならまだたっぷり余裕がある。
(銅像は職員室玄関の目の前だ! ここから十秒でいける!)
 玄関ドアを押し開けて外に出る。上履きのままだが、取りに行く時間が惜しい。
 目の前に現れた銅像は胸から上だけの胸像だった。
 土台のプレートには藤ノ木高等学校創設者の誰それと書かれてある。
(どこだ……どこに仕掛けられてある)
 銅像をくまなく調べるが、何かが仕掛けられている様子は無い。
 捜索範囲を広げてみたが地面や木立にも不審な点は無かった。
(……間違えたのか? いや、しかし――)
 立ち止まって考え込む。

 ――プルルルルルルッ。

 それを見計らっていたかのように、携帯電話が鳴った。
『結構時間ガ掛カリマシタネ。他人ヲアテニシテオイテ、ソノ程度デスカ』
「他人の力を借りてはいけないというルールは聞いていないぞ」
『エエ、ソウデスネ。ゲームノ事ヲ悟ラレナケレバソレネイイデショウ』
「それより、銅像のある場所に来たのに何も無いぞ。ハッタリだったのか?」
『マサカ。ニュースヲ見タノデショウ? ワタシハ本気デスヨ』
「ならば――」
『コノ学校デ、銅像ガ一ツダケダト思ッテイルノデスカ?』
「……何だと?」
『精々探シ回ルノデスネ。アハハハハハッ』
 通話が切られる。
(銅像が他にもある……? 一体どこだ?)
 真っ先に思い付いたのは美術室だった。
 あそこなら、彫刻や絵画など美術品が多く保管されてある。
 銅像の一つや二つ、あってもおかしくはないだろう。
(とりあえず行ってみよう。こうして考えている時間も惜しい)
 俺はそう結論付けてすぐに走り出した。

――AM 7:55

 美術室では、どこかで見た事のある三人の女子生徒達が大きな絵画を作成しているところだった。
「涼一様!?」
 扉を開けた俺を見て、中の一人が素っ頓狂な声を上げる。
「な、なんでこんなところに……?」
「ちょっとアユミ、どういう事なの!? ねえ、どういう事なの!?」
「落ち着きなさいよユウコ! えーと、なんの御用ですか?」
「サヤカ! 抜け駆けはなしよ!」
 何やら三人が言い争っているが、今はそんなのに構ってはいられない。
「ここに銅像はあるか?」
「えっ? ど、銅像……?」
 三人が首を傾げる。
「あたし達は美術部員だけど……銅像なんて見た事無いと思う」
「あたしもそう思う」
「あたしも〜」
 ユウコと呼ばれた女子生徒が答えると、他の二人も同意する。
「そうか。ならば、念の為に中を調べても良いか?」
「は、はい。どうぞ、こちらです」
「あっ、ずるーい!」
 サヤカと呼ばれた女子生徒が俺を美術室に招き入れる。
「何の用なのかな?」
「分かんないけど……真剣だね」
 ざっと室内を調べたが、言われたように銅像は見当たらなかった。
「向こうは準備室だな? 中に入っても良いか?」
「本当はいけないと思うけど……特別ですよ。その代わり、内緒ですからね」
「すまない」
 俺が礼を言うと女子生徒達はキャーキャーと騒ぎ立てる。
 それらを尻目に、俺は美術準備室の中へ入った。
(絵画に彫刻に石膏像……やはり、ここには無いか)
 ここの責任者が几帳面な性格なのか、美術品は整理整頓されていて調べるのが容易だった。
 だが、目当ての銅像はここには無い。
(他にどこがある? アテも無く探していたら、あっという間に時間が経ってしまうぞ)
 内心で焦りが生じる。
 俺は美術準備室を出ると、待ちかねていた様子の三人に尋ねた。
「この学校で、どこか銅像がある場所を知らないか? 職員玄関以外で」
 その問い掛けに彼女達は顔を見合わせる。
「銅像……そんなの、他にあったかな〜」
「う〜ん……もしかして、アレじゃない?」
「アレって?」
「ほら、前に美術部の先輩の教室に行った時に……」
「ああ、アレね!」
「心当たりがあるのか?」
「はい。三年A組の教室に、仏像様が飾ってあるんです」
 アユミと呼ばれた女子生徒が答える。
「仏像? 銅製なのか?」
「多分……ちらっと見ただけだから……」
 彼女は自信なさ気に声のトーンを落とす。
(……まあいい。他に手掛かりは無いのだからな)
 もうここに居る必要は無い。
「すまなかった。邪魔をしたな」
「こ、こちらこそ!」
「何だか知らないけど……涼一様! 頑張ってください!」
「文化祭では、あたし達の作品を見て行って下さいね!」
 彼女達に礼を言い、俺は美術室から飛び出した。

――AM 8:18

 残り一時間を切った。
(今更教室にも戻れない……こうなったら、なりふりを構って入られない)
 人込みを避けながら階段を駆け上がる。
 階段も廊下も、文化祭の最後の準備をしている生徒達で一杯である。
(今ここで、爆弾がある事が知られたらどうなるのだろうか?)
 当然パニックに陥り、文化祭どころではなくなる。そしてXが、時間を待たずに爆破させるだろう。
(そんな最悪の事態だけは避けなくてはならない……絶対に)
 大声で声を掛けながら学校中を駆け回る生徒達。忙しそうだが、充実して楽しそうな雰囲気である。
(これを、爆弾魔なんかに潰されてたまるか!)
 階段を上りきり、廊下を曲がって目当ての教室の前にやって来た。
「失礼します」
 扉を開けて中の様子を伺う。
「あれー? 浅田さんじゃないですかー?」
 その中に居た弥生さんが意外そうに声を掛けてきた。
(そうか。三年A組は弥生さんのクラスだったか)
 ならば好都合だ。知り合いが居るのならば、教室に入っても見咎められずに済む。
「えっとー、何の用なんです?」
「ちょっと探し物を……」
 入り口から教室の中をさり気無く見渡す。
 テーブルのセッティングや飾り付けからして、うちのクラスと似たような出し物をするようだ。
 違いと言えばうちは洋風の喫茶店だが、こちらは和風の甘味処といった趣だ。
「ここに仏像があると聞いたんですが……」
「仏像? ああ、あれのことですかー」
 弥生さんが横に顔を向ける。
 見ると、教室の隅にある掃除用ロッカーの上にあぐらをかいた奈良の大仏様が置かれてあった。
 一抱えもありそうな大きさで、見るからに重量がありそうだった。
「ええ、あれです。ちょっと拝見してもいいですか?」
「どうぞどうぞ。散らかってますけどー」
 弥生さんは快く中に招き入れてくれた。
 何人かの生徒が俺をちらりと見たが、準備作業に忙しいらしく特に見咎められる事は無かった。
「……ところで、何でこんなものがこんなところに?」
 素直な疑問が口から出る。
「去年の修学旅行で、クラス全員でお金を出し合って買ったんです。
 何を買おうか色々と揉めたんですけど、結局優の鶴の一声でこれに決まりましたー」
「優……生徒会長か」
 生徒会は他とは比べ物にならないくらい大忙しであろう。今、ここの教室に居ないのも頷ける。
「成程……奈良の記念というわけですか」
 俺は大仏の銅像を持ち上げて慎重に調べながら呟く。
「いえ、旅行先は北海道でしたー」
「訳が分かりませんよ」
 生徒会長のセンスだろうか。
「違うな……ロッカーの中か?」
 ロッカーの蓋を開けると、中には掃除用具が詰め込まれてあるだけだった。
 周囲も丹念に調べたが、爆弾など影も形も無かった。
「ところで、何を探しているんですか?」
「……下らないものですよ」
「分かった! 何かのゲームですねー?」
 中々鋭い事を言う。
「弥生さん。この学校で、ここや職員玄関以外に銅像があるところを知りませんか?」
 ここにも無いと判断した俺は、内心の動揺を必死で隠しながら尋ねた。
「そうですねー……」
 弥生さんは唸りながら考え込むと、段々としゃがみ込んでいく。
 どうやら考え事をする時は丸まるのが癖らしい。
「あの……知らなければ別に――」
「思い出しましたー!」
 俺が言い掛けたところで、弥生さんはぴょんと立ち上がって叫んだ。
「確か、学校の裏門の柵には、小さな少年少女の銅像がありましたよー」
「裏門……ですか」
「ええ。あっなんか可愛いなーって、思ったから覚えていたんです」
「そうですか、ありがとうございます!」
 俺は頭を下げて礼を言った。
「いいんですよー。それより、今日はうちのクラスに来てくださいね」
「ええ、必ず。甘味処ですよね?」
「はいー。何と言ってもうちの目玉は、わんこお汁粉ですからー」
 今、二つの単語が繋がった聞き慣れない言葉を耳にした。
「わんこ……お汁粉?」
「わんこそばってあるでしょ? あれのお汁粉版ですよー。ぜひ、挑戦して下さいねー」
 想像するだけで口の中が甘ったるくなりそうだった。
「まあ……考えておきます。では、準備頑張ってください」
「浅田さんも、頑張ってくださいねー」
 手を振って見送ってくれた弥生さん言葉は、少なからず励みになった。

――AM 8:47

 学校の裏門に到着した時は、残り十五分を切っていた。
(門の銅像……あれか)
 両開きの鉄柵の上に少年と少女の銅像がちょこんと乗ってある。
 閉じた時になって、一緒になれるという洒落た造りだった。
(何度かここを通った事があるが、全く気付かなかったな……)
 己の観察力不足を痛感する。
(とにかく、爆弾を探さないと)
 都合の良い事に、今辺りに人影は殆ど無い。俺は裏門をくまなく調べ始めた。
「……見付けた」
 片方の門の支柱の下に、掘り返された形跡を見付けて俺は声を上げた。
(まだ喜んではいられない……掘り起こして爆弾を無力化させないと)
 手で慎重に地面を掘る。
 すると、グラウンドの時のように四角いアルミ缶が中から出てきた。
(さて、こいつをどうするか……)
 今度は爆弾なのが確実なので、迂闊に開ける事は出来ない。
(どこか人気の無い遠くに捨ててくるか? しかし、少ない残り時間で一体どこに……)

 ――プルルルルルルッ。

 やはりと言うか、タイミングよく携帯電話が鳴った。
「これでゲームは終了だな」
『ハハッ、マダデスヨ。ソノ爆弾ヲ処理シナケレバ終ワリトハ言エナイデショウ?』
 Xは余裕たっぷりに言い放つ。
『蓋ヲ開ケテミテクダサイ。大丈夫、ソレデ爆発スル事ハアリマセンヨ』
「断る……と言ったら?」
『今、ソコデ爆発サセルダケデス』
 まだ俺は奴の掌の上に居るようだ。
(人が通りかからないうちに、さっさと済ませるべきか)
 俺は決心すると、思い切って蓋を開けた。
(構造は……発煙装置とほぼ同じだな。これなら、携帯電話に繋がったコードを外すだけで済む)
 おそらく、アラーム機能と着信機能を利用しているのだろう。
 起爆装置が無ければこの爆弾は無力化出来る。
(だが……問題は、コードが赤と青の二本があるという事だ)
 発煙装置の時は一本だけだった。こうもあからさまに違うと、罠である可能性は大だ。
『赤ト青、ドチラヲ切ルカ選ンデクダサイ。間違エタラ……分スッテイマスネ?』
 楽しげなXの声。
(見付けたら……ただでは済まさないぞ!)
 俺は心の中で誓った。
『サアサア、ドウシマスカ? ソウシテイル間ニモ、爆発マデノ残リ時間ハ刻一刻ト迫ッテイルノデスヨ』
 Xは急かすように言ってくる。
(切るのを間違えれば……いや、まてよ?)
 俺は一つの可能性に思い至って携帯電話を調べた。
(携帯電話の電源を切ればそれで防げるのではないか?)
 だが、向こうも馬鹿では無いらしい。
 俺が持たされているものと同様に、
 こちらの操作が一切受け付けられないようにボタンを全て潰されていた。
(駄目か……だったら、携帯電話を分解すれば――)
 そう思ったものの首を振る。
 内部の構造が分からない以上、下手に分解する事など出来ない。
 もしかしたらそれで爆発する可能性がある。
(一か八か、コードを切るしかないのか?)
 残り十分。
 たった二分の一の確立のものに、これ程までに迷った事は今までに一度も無い。
 爆発力は不明だが、まともに食らえば只ではすまないだろう。
『迷ッテイルヨウデスネ。ナラバ、ヒントヲ差シ上ゲマショウ』
 俺が躊躇するのを見越したようにXが言ってくる。
『切ロウトシテモ切レナイ糸。ソレハ一体ナーンダ?』
「切ろうとしても切れない糸……?」
 また謎々である。
(切れない糸……当然ワイヤーやピアノ線の事では無いだろう。となるとダジャレか?)
 だが、さっぱり浮かんでこない。
(ここで誰かに聞きに行く訳にも行くまい。
 爆弾をここに置いて行くのも、校舎の中に持ち込むのも危険すぎる)
 最悪の場合、犠牲は俺一人で留まらせるべきだ。
 無関係な人間は勿論、あいつらをこんな事に巻き込みたくは無い。
(糸……糸か……)
 目の前にある赤と青のコードを見てふと気が付く。
「まさか――」
 ある考えが頭に浮かんだ。
 そしてそれは強い確信へと変わっていった。
(これ以上悩んでも事態は進展しないだろう。この閃きに掛けるしかない!)
 俺は一本のコードに指を掛けた。
「答えは……赤だな」
『ソノ根拠ハ何デスカ?』
「切っても切れない……赤い糸という訳だ」

 ――ブツン。

 残り三分を切ったところで、赤いコードを引き千切った。
『残念。外レデスヨ』
 Xは冷酷に言い放つ。
『切ッテモ切レナイ……ト言ウヨリ、切ッテハイケナインデスヨ。赤イ糸ハ』

 ――ピー、ピー、ピー。

 箱の中の携帯電話が不快な音を立てる。
「くっ!」
 俺は箱を身体で包み込んだ。これで少しでも爆発力を抑えられかもしれない。

 ――ぼふっ。

 決死の覚悟をした瞬間、箱は鈍い音を立てただけに何も起きなかった。
「……?」
 俺は恐る恐る腹の下の箱を見る。
 爆弾と思わしきものからは『ハズレ』と書かれた紙が飛び出ていた。
『アッハッハ! 残念デシタネ! モシモ本物ダッタノナラ、アタナノ命ハアリマセンデシタヨ?』
「貴様っ!」
 俺は怒りで携帯電話を握り潰しそうになる。
『大体、ソンナ人気ノ無イトコロニ爆弾ヲ仕掛ケルナンテ、火薬ノ無駄遣イデスヨ』
 いけしゃあしゃあとXは言う。
『今ノハウォーミングアップデス。文化祭ダッテ、コレカラガ本番ナノデショウ?』
「何だと?」
『次ガ本当ノ勝負デス。客ガ入レバ犠牲者ガ増エマスカラネ』
「貴様の目的は何だ! こそこそとせずに俺の前に出て来い! この臆病者め!」
『コノゲームニアナタガ勝ッタノナラ、ワタシハ姿ヲ表シマス。正々堂々ト、負ケヲ認メテネ』
「……絶対だな?」
『エエ。ワタシハ、嘘ハ嫌イデスカラ』
 爆弾の偽物を仕掛けた奴に言われたくは無いが、ここで言い合っても仕方が無い。
「つまり、本物の爆弾はまだどこかに仕掛けてあるんだな?」
『ソウデス』
 Xはこれを完全にゲームとして楽しんでいる。
 本当に爆弾を爆発させて犠牲者を出す覚悟があるのかはまだ疑問だが、
 下手に追い詰めたら何をするのかわからない。
(悔しいが……今は大人しく従うしかない)
 ゲームにはルールがある。少なくともXは、それに遵守しているようだ。
『ソロソロ戻ッタホウガイイデスネ。モウ文化祭ガ始マッテマスヨ』
「言われなくても分かっている」
 俺は既に駆け出している。危険物で無いと判断した偽の爆弾は、途中のゴミ箱に捨てた。
『デハ、一時間後ニマタ連絡シマス。ソレマデユックリト楽シンデクダサイ――』