第九十六話 「ギルティ・ハート〜そのE〜」


「あの、和泉君」

 いそいそと帰り支度をしていた俺に、突然隣りにいた倉谷さんが話し掛けてきた。

「な、何?」

 ぎこちなく振りかえり、彼女に返事をする。

「良かったら、一緒に帰ろうかと思って……」
「い、いや、俺急用があるから! じゃ!」

 そう言い捨てて俺は脱兎のごとく教室を後にした。

「はあ、はあ……。なんだ!? 彼女は何を考えているんだ!?」

 階段の影に隠れ、一息ついて考える。
 噂じゃあ、結構彼女はガードが固いらしい。
 何人もの男達が玉砕したらしいが、男達に問題があったのかもしれないけど。
 まあ、男を見る目は人並みにあるということだろう。
 そんな彼女があまり付き合いのない、ただのクラスメートである俺なんかを誘うはずもない。

「となると、やはり気付いているのか……?」

 そうでなくても、薄々感づいているかもしれない。

「……帰りを誘ったのは、俺が本人かどうか確信を得る為か?
 くっ、やはり時間の問題だったのか」

 これから先、ずっと断り続けて行く自信は無い。となると、俺がとるべき行動は……?

「俺から、謝るべきなんだろうな……」

 始めにとるべき行動だったのだろう。今やずるずると引きずってこのザマだが。

「しかし、一体どういう風に……。そうだ、敬司に仲介させよう。
 あいつは当時のことも知っているし、うまくまとめてくれるだろ」

 そう思うと行動は早い。さっそく俺は敬司のクラスへとやって来た。

「敬司! おい、こっちこっち」
「なんだ、いきなり?」

 教室から引きずり出し、廊下の隅で話しかける。

「俺、もう耐えられそうにないから、彼女に告白することにするよ」
「……他人が聞いたら100%誤解する台詞だな。
 まあ、いずれそうなるんじゃないかと思ってたけどな」
「それで、お前も立ち合ってほしいんだ」
「俺が? まあ、少なからずともこの問題には関わっちまったからな。
 仕方ないか……。だけど、あんまり人を頼るなよ」
「わかってるよ。関係を修復させてくれってわけじゃないから。
 ただ、今までの証人としてだよ」
「やれやれ、仕方ないな……。しかし、いつ告白するんだ?」
「うーん、近いうちがいいだろうけど……」

 問題はどうやって呼び出すかだ。

「普通でいいんじゃないか? 話しがあると言って、学校裏にでも呼び出せば」

 考えていると敬司があっさりと言った。

「でもなあ、さっきおまえが言ったように誤解されたら……」
「薄々気付いてんだろ彼女? 大丈夫だって」
「……まあな」
「やっぱ放課後だよな、俺も行くとなれば……できれば今週の土曜日がいいな。部活もないし」
「二日後か……わかった、そう言っておくよ」
「三人で会うか、久しぶりだな……。ん?」

 そこで敬司は何かを思い出したようだった。

「そういや……」
「なんだよ」
「あー、いや。ふと思ったんだけど」
「だからなんだよ」
「彼女で転校していった時のこと、おまえ憶えてるか?」

 何を思ったのか、いきなりそんなことを言い出した。

「えっ、いや……あんまりハッキリとは」

 そう言われると記憶があやふやだ。
 クラスでお別れの会でもしたのだろうが、なぜか思い出せない。

「……だろうな」
「おい、なんでそんなこと……」
「おまえ、そのころ入院してたじゃねーか?」
「えっ?」
「ほら、この頭の傷」

 すると敬司は俺の後ろ髪をかき上げた。

「お、おい」
「この怪我が原因だろ?」

 この古傷。そうだ、この傷だ。この頃度々痛み出したのは……。

「ちょっと待てよ、これはたしか……」

 たしか、公園で遊んでて……あれ? 川原だったか? 

「……っ!」

 そう思うと、また古傷が疼いた。一体なんなんだ……?

「ま、まあ。そんなのどうでもいいじゃねーか。今回のこととはあまり関係ないだろ」

 そうして俺は、彼女と約束を取りつけたらまた連絡すると言い残して敬司と別れた。

「………」

 帰り際、ふと傷跡を手で触れてみる。決して小さくはない大きさだから、結構大怪我だったのだろう。

(その頃のことをあんまり憶えていないのは、頭打ったのが原因なのかな……?)

 多分そうなのだろう。それに今まで、この怪我に関しては積極的に思い出そうとはしなかった。

「なんでだろ?」

 自分に問い掛けてみる。しかし、答えはもやもやとした霧の中にある。

「……まあいいや。とりあえず当面の問題を考えよう」

 明日どうやって彼女に話し掛けるか? とりあえずそこからだ。



 土曜日の放課後。私は一人指定された校舎裏へと向かっていた。

「彼の方から、話があるなんて……」

 昨日、彼が授業が終わったと同時に話し掛けてきた。
 なんかしどろもどろだったけど、大体の内容は伝わったので私はその誘いを了承した。
 彼は、私の返事を聞くと安心したように教室から出て行った。

「……避けられているとは、思っていたけど」

 前に彼を一緒に帰ろうと誘ったら勢い良く断られてしまった。
 あの時に、私達の問題を話そうと思っていたのに。
 そして私は指定された場所に到着した。

「敏樹君……。そして、敬司君も」
「俺がここにいるのを意外だとは思わないんだね、唯ちゃん」
「ええ、だって二人は親友なんでしょ。昔から」

 すると敬司君はやれやれといった様子で敏樹君の肩を叩いた。

「やっぱなー。いくらなんでも気付かないわけねーよ」
「ううう……」

 そう言われて、敏樹君はどことなく気落ちしている感じだった。

「私、あのクラスで最初に自己紹介をした時から気付いてた。
 びっくりして、思わず声を挙げそうになったもの」
「そんな様子には見えなかったなあ……」
「ははっ、女は生まれつき演技が上手いものさ」

 私はもう少し近づき、和泉君の前に立つ。

「……どう話し掛けようかと思っていたら、あなたの方から私に話し掛けてくれた。
 だけど、昔のこととか何も言わずに去っていってしまった。
 ……てっきり、私のことを忘れていたのかと思った」

 その様子を見た私は、思わず自分も何気ない振りをして対応してしまった。
 人の目もあったし、あの場でする話題でもないと思ったからだ。

「……その後、偶然にも敬司君と出会ったわ」
「俺はこいつから聞かされて、君が転校してきたことは知ってたけどね」
「そう……。あの時、あなたから敏樹君に話してもらおうかと思ったけど、やっぱり止めたわ。
 だって、これは二人だけの問題だから」

 そして、お互いの出方を伺う日が続いた。
 敏樹君は極端に私を避けるようになり、
 私は彼のそばにいながら中々話し合うチャンスに恵まれないでいた。

「でもさあ、フォローするつもりはないけど、
 お互い昔のことをほじくり返しても良い気分じゃないと思うんだよな。
 小学校の頃たまたま一緒だったということにして、普通に接していればよかったんじゃないのか?」

 敬司君が私達を交互に見てそう言った。彼なりに気を使ってくれているのだろう。

「たしかに……それもいいと思うけど、やはりケジメはきちんとつけなくちゃいけないと思うの」
「ケ、ケジメ? やっばり、そうなのかなあ……」
「ええ。転校したあの日から、私はどうしてもあなたに言いたいことがあった」
「言いたい事……」
「あのことばかりはうやむやに終わらせたくないの。
 この学校で出会ったのも、何かの縁なのね……」

 私をゆっくりと息を吸い、目をつぶった。そして、あの時言えなかった言葉を彼に伝える。

「ごめんなさい! 本当に、私のせいであんなことに……!」

 深々と頭を下げて彼に謝った。
 こんなこと今更言っても仕方ないかもしれないけど、言わずにいられない。

「………」

 向こうは何も言わなかった。もしかしたら怒りに震えているのかもしれない。

「敏樹……君?」

 ゆっくりと頭を上げ、上目遣いで見ると彼は何やら放心した表情になっていた。

「えっ? ……なんで君が謝るの?」

 すると彼はそんなことを言った。

「なんでって……私が悪いから」
「ちよっと待ってよ! 悪いのは俺の方じゃないのか!?」
「どうして敏樹君が?」
「いや……色々、君にイジメたりしちゃったり……」
「そんな些細なこと、気にしてないわ」
「些細なことなのか!?」

 彼は何やら心底驚いた風だった。どうしてそんなことを言うんだろう?

「あー、ちょっと待ってくれ」

 そこで敬司君が仲介に入ってきた。

「敏樹が君に嫌がらせをして、泣かせたこともあったな?
 俺はハッキリ覚えてるよ。こいつはそのことでいたく反省しているんだけど……」

 確かにそんなこともあった。よく私の物をとって、彼を追いかけたりもした。

「そうなの? でも、あれは大体ウソ泣きだったんだけど」

 そう言うと彼ら二人は声を挙げて驚いた。
 当時、泣いた振りをすると彼は決まってバツが悪そうに物を返してくれた。
 そしてしきりに私にごめんなさいと謝るのだった。
 当時はそのことを結構楽しんだりもしていたのだ。

「てことは……、俺のこと恨んでたわけじゃないの?」
「とんでもないわ! むしろ、あなたの方が私を……」

 だから、私のことを避けていたのではなかったのか? 

「俺が? 君のことを?」
「だって……私のせいで、その……入院までしてしまって」
「入院!?」
「入院だって!?」

 二人が同時に言うと、敬司君が敏樹君の頭を掴んで髪をかきあげた。

「痛っ! 敬司やめろって!」
「この怪我が元になった入院が、唯ちゃんと関係してるってわけなのか?」

 髪の毛の間から見えるのは、なんとも痛々しい傷跡だった。

「ああ……そんな傷跡が残ってしまったのね。本当に、本当にごめんなさい……」
「なあ、当時のことを詳しく聞かせてくれないか?
 俺は知らないし、こいつは覚えていないって言うんだ」 
「えっ? 敏樹君、覚えていないの?」
「う、うん。頭打ったせいかどうか知らないけど、どこでこんな怪我を負ったのやら……」

 そうだったのか。ただ、彼は覚えていないだけだったのか。

「……わかったわ、説明する。どうしてそんな怪我をしてしまったのかを」

 彼に当時をことを話し、それから判断をゆだねよう。
 今更償いきれるものじゃないと思うけど……。