第九十四話 「ギルティ・ハート〜そのC〜」


 翌日、俺は昼休みにさっそく敏樹のいるクラスへと向かった。

「――おっ?」

 すると、ちょうど向こうからも敏樹本人がこちらに歩いて来た。

「……なんだ、今からお前の教室に向かおうと思っていたんだ」

 廊下で出くわすと、敏樹がそう言った。

「あー、俺もそうだよ。丁度良いからどっかで話をしよう」
「そうだな……屋上でも行ってみるか?」
「わかった、そうしよう」

 そして二人で屋上へと向かう。別に廊下でも良かったが、一応念の為だ。

「久しぶりだな、ここに来るのも」

 フェンスに手を掛け、外を眺める。

「そっか。で、話なんだけどよ……」
「いや、先に俺から話させてくれ」

 そう言って敏樹の言葉を遮った。とにかく昨日のことを報告する必要がある。

「? まあ、いいけどよ。何かあったのか?」
「ああ。例の『倉谷 唯』……ついに出くわしてしまったよ」
「……!?」


―――昨日


「……敬司君、だよね?」

 彼女は真剣な瞳で問い掛けてきた。

(……仕方ない。とりあえず知らない振りをしておこう)

 そう思い、俺は疑惑の表情を浮かべて彼女に問い返した。

「……確かに、俺の名前は敬司って言うけど。なんであんたがそれを知っているんだ?」
「私よ! 唯……倉谷唯よ」

 そう言われ、俺はたった今気付いたかのような表情をした。

「ええっ!? 唯ちゃん!?」
「ええ、そうよ。……久しぶりね」

 俺はゆっくりと彼女の元に歩み寄る。

「………」

 お互い窓枠を間にし、しばらくお互いの顔を眺める。

(さて……問題はここからだ。どんな結果になっても恨むなよ、敏樹……)

「……私、ついこの間転校してきたばかりなの」

 先に口を開いたのは彼女だった。

「へえ、知らなかったな」

 俺も何を言っているんだか。

「まさか、この学校で昔の知り合いと出会うとは思わなかったわ」
「でも、よく俺とわかったね」
「ええ、なんとなく昔の面影はあったし。それに……」
「それに?」

 すると彼女は俺のかついでいる竹刀袋へと目を向けた。

「まだ、剣道を続けているみたいだから」
「あー、そうだね。唯ちゃんも、バイオリン……」
「ええ、ずっと……」

 お互い、小学校の時から趣味は変わっていないということか。

(……ちょっと、探りを入れてみるか)

「この街に来て、一体どれくらい?」
「まだ……一週間ちょっと」
「じゃあ、昔の友達とかには……?」
「うん、敬司君と今会ったのが最初よ」

 そう言って軽く微笑む。その表情に裏はなさそうだ。

(となると、完っ璧に敏樹のことは忘れられてるのかな。
 いや、覚えていても、今の敏樹とは結びつかないだけなのかねえ……・)

 あいつとは小学校は一緒でも中学は違った。
 その間ほとんど会うことはなかったが、高校でたまたま一緒になった。
 その際、たしかに面影が変わっていたような気もするが……。

「そうか……。じゃ、これで」

 そう言って俺は背を向ける。

「えっ、もう行くの? まだ話が……」
「あー、また会えるよ。同じ学校だし」
「そうだけど……」
「俺もう部活でクタクタなんだ、帰る途中だったし」
「そう……しょうがないわね。私D組だから、良かったら会いに来て」
「わかった、気が向いたら行くよ。ちなみに俺はF組だから。じゃ、また」
「またね……」

 そう言って俺はほとんど日の暮れた校舎から姿を消した。



「はあ……つまり、俺のことは欠片も覚えてないわけね」

 ホッとしたのともガッカリしたのとも言えない溜息を漏らしながら敏樹が言った。

「そう、だから安心していいってこと」
「でもなあ……」
「お前、自分が負い目があるからって気にしすぎなんだよ。
 忘れられてるならそれでいいじゃないか?
 これからの生活を楽しめばいいだろ。彼女、お前が言ってたように可愛くなってたし」
「まあ、それはそうかもしれないけどよ……。
 彼女、俺なんかを気に掛ける暇なんかないと思うぜ。
 クラスの男達を相手に忙しいだろうからな」
「そうだな、お前みたいなうだつの上がらないやつは相手にしてもらえないだろうな」
「……そこまで言うかよ」
「ははっ、まあそれはともかく。
 さして気にすることじゃないということだな。お前はいつも通り生活して支障無いだろ」
「ああ……」

 そこまで会話をした所で昼休みの終わりを告げる鐘が鳴った。

「あー、何か進展があったら教えてくれよ。もしかしたら俺が会いに行くかもしれないし」
「わかったよ。早く戻ろうぜ、授業始まっちまう」

 そうして俺達は少し急ぎ歩きで屋上を後にした。

「あっ、やべ……」

 教室に戻って席に付いた時、今まで宿題をやっていないことを思い出した。
 昨日唯ちゃんと会う前までは覚えていたんだが。

「たしか、今日の六時間目までが期限なんだよな……。今から内職しないと間に合わねー」

 そう言いつつ、キョロキョロと周りを見渡す。

「おお、恵美さんじゃないですか?」
「……後ろを振り向くなりイキナリ何言ってんのよ」

 俺は椅子ごと向き直り、恵美さんに懇願した。

「次の時間の英語、宿題終わった?
 いやさ、ちょっとだけでいいから貸して欲しいんだけどなー……」 

 両手を合わせ、向こうの言葉を待つ。

「まあ、確かに宿題は終わらせているけどねー」
「さっすが! いやー、言い訳するつもりじゃないけど、夏休み中部活で忙しくってさあ……。
 あっ、それは恵美さんも一緒か」
「ま、まあね。宿題の一つや二つ、学生ならキチンと終わらせないとね」

 胸を張って言ってはいるけど、どことなく言葉がどもっていた。

「ははー、その通りでございます。
 どうか愚かなわたくしに宿題を貸与してはいただけないでしょうか?」

 今度は両手を机に置き、頭を下げる。

「そこまで言われちゃしょうがないわね。どうせあたしも……」
「えっ?」
「な、なんでもないわよ。ほら、ノート貸すからさっさと終わらせなさいよ」
「ほんと、ありがと。この御恩は一生忘れないから」
「いいから、さっさと前に向き直りなさいよ。先生来るわよ」
「あっ、そうだ。さっさと始めないと間に合わないしな」

 そうして俺は向き直り、さっそく宿題の写しを始めた。



 教室に戻る途中の廊下で、自分のクラスの男子の集団と出会った。

「あれ? なんでこんなところに居るんだよ?」

 当然不思議に思い、そいつらに話しかける。

「なんでじゃねーよ。次の物理、移動教室って言ってただろ?」
「えっ!? 次、理科室だっけ?」
「そーだよ、さっさと戻って道具取ってこいよ」
「わ、わかった!」

 会話もそこそこに、急いで教室へと戻った。

「まったく、うっかりしてなー……」

 教室に辿りつき、慌てて扉を開ける。

「あっ…!?」

 と言った瞬間にはもう遅かった。

「きゃっ!」

 誰かにぶつかったかと思うと、向こうは小さな悲鳴があげて床に倒れた。
 筆記用具や教科書が音を立てて床に散らばる。

「ご、ごめん! 大丈……」

 倒れた相手に手を差し出そうとした時、始めて向こうが誰だかわかった。

「く、倉谷さん……!?」

 こともあろうに、彼女とぶつかってしまうとは。

「ええ、大丈夫ですから。すみません……」
「ほら、手を貸して」

 そう言って俺は彼女の手を持って立ち上がらせた。

「あっ……」

 彼女は軽く声を洩らしたが、俺はそれを気にしている場合ではなかった。

「えっと……あっ! 筆記用具とか、拾わないと……!」

 すぐにしゃがみ込み、散らばったペンや小物を拾い上げる。

「そ、そんな……いいですよ」

 と、彼女もしゃがんでノートなどを拾い上げる。

「いやいやっ! ぶつかったのは俺の責任だし……はい、これで全部だよね」
「はい、ありがとうございます……。あの、私……」
「えーと……あっ! 俺も準備しなきゃ!」

 そう言って自分の机に飛びつく。

(なんで彼女が教室にいるんだ!? とっくに移動していいはずなのに……)

 忘れ物でもしたのだろうか? でなければ一人でいるはずがない。
 いつも何人かが彼女の周りにいるのだから。

「さてと、じゃあ早く行かないと……!」

 道具を抱えて教室を出ようとすると、彼女はまだ扉のところに立っていた。

「ど、どうしたの?」

 こちらをじっと見ていたので、俺は思わず彼女に話しかける。

「あの、一緒に行こうかと思いまして……ご迷惑ですか?」
「いや、まあ……」

 ここで議論をしている余裕は無い。

「うん、わかった。じゃあ、ゆ……」

 『唯ちゃん』、と昔の呼び名を言ってしまいそうになり言葉を飲みこむ。

「……倉谷さん、急ぐよ」
「はい、わかってます」

 そして駆け足気味で理科室へと向かう。

「――ねえ、なんで教室にいたの?」

 途中で疑問に持っていたことを聞いてみる。

「えっと、一度理科室に向かったんですけど。教科書を一冊忘れてしまって……」
「ははあ、やっぱりね」
「私ってたらドジで……」

(そういえば、昔も結構忘れ物とかしてたなあ……)

 その時、また身体のどこかがズキリと痛んだ。

「……っ!」

 心のそれではなく、何か外傷のような……。

(古傷が……痛む?)

 なぜ、今になって? わからない。わからないので、とりあえず会話を続けることにした。

「……まあ、俺なんか理科室で授業ということすら忘れてたから人のこと言えないけど」
「えっ、そうなんですか?」

 と可笑しそうに顔を向ける。俺はその表情に思わずドキッとし、目を逸らしてしまう。

「あっ、理科室に着いたよ。……良かった、どうやら教師は来ていないみたいだ」

 そう言って俺は逃げ込むように教室に入った。

「あー、和泉! なんで倉谷さんと一緒なんだよ!」
「うるせー! たまたまだよ、たまたま!」

 机に道具を投げ出して椅子に座る。

「気のない振りして、油断ならねーなあ」
「だから……!」

 この時間、俺は同じグループの男に会話の肴にされっぱなしだった。