第九十三話 「ギルティ・ハート〜そのB〜」


 彼女は意外と早く回りの人間と打ち解けたみたいだ。
 休み時間の今も、何人かの生徒と会話をしている。

「ねーねー、実は昔ここの地域に住んでいたって本当?」

 聞き耳を立てるわけじゃなかったが、そんな台詞が聞こえた時はさすがにどきっとした。

「ええ。生まれたのがここで、小学校の頃まではここに住んでいたんです。
 父の仕事の都合で向こうに引越してしまったんですけど。
 今回は数年振りに地元に帰って来れました」
「それじゃ、帰ってきてからその時の友達とかに会ったりとかしたの?」
「それが……向こうに行ってからは次第に疎遠になってしまって。
 今はどうしているのかも……」
「そっかー。でも、街とかで偶然出会ったりしてね」
「そうですね。そうしたら面白いかもしれませんね」
「運命的ってやつー」
「あはは……」

 俺の存在を知っていて笑い者にしているのかと疑ってしまう。
 その瞬間、そんなことを考えてしまう自分がイヤになってしまう。

「実はさ……倉谷さんと俺、小学校で一緒だったんだ! ねえねえ、覚えていない?」

 と、回りにいた男の一人が急に叫び出す。

「アンタ、昨日『始めまして』ってアイサツしてたじゃないの!
 今更言ってわざとらしいのよ!」
「いやいや、あの時は気恥ずかしさもあって……」
「バレバレだっつーの。ウソ付くならもっとマトモなのにしろよ、倉谷さんが嫌いになるぜ?」
「あ、いや……じょ、冗談です! はい」

 周囲からの冷たいツッコミを食らい、あっさりと発言を撤回した。

「いえ、そんな私は……」

 言われた当の本人はちょっと困ったかのような感じだったが、
 気分を悪くしたような風ではなかった。

(――って、何観察してんだよ。オレ……)

 と、思った瞬間。いきなり首に誰かの腕が絡み付いてきた。

「おいおい、何うらやましそーな目で見てんだよ」
「う、うらやましそー?」

 どうやらこいつは俺が向けていた視線を誤解したらしい。

「お前さあ、たしか高宮さんに気があったんじゃないのか?
 転校生が来た途端、目の色変えやがって」
「い、いや……そういうわけじゃ……」

 言っていることは間違いではないが、内容はコイツが考えているのとは大分違うのだ。

「まあ、その気持ちわからんでもないけどよ。だけど競争率激しいぜー」
「……らしいな」

 クラスの男、約二名を除いたほぼ全員が目を付けているといってもいいかもしれない。
 もちろん、その二名は俺と浅田だ。

「もうすでに何人か玉砕したらしいけどな。
 まったく、早けりゃいいってもんじゃねーのによ」
「そうか……」

 そんなこと、本当は全然興味ないけど。

「告白する勇気がないやつは大人しく見ておくんだな。俺はやるぜ……! うおおおっ!!」

 そう言って、勝手に気合を入れたまま向こうに行ってしまった。

(大人しく……か)

 実は言われていたこともあながち間違っていないと言える。
 過去の過ちを告白できなければ、ただ大人しく見ているしかないのだから。

「倉谷さんって、運命の人っていると思うかなー」

 この気持ちをどう例えたら良いだろう。

「運命の人、ですか……」

 そうだ。小さい時、家でガラスとかを割ってしまって、
 いつ親に見つかるかとびくびくしながら押入れに隠れている子供……といったところかな。

「案外、近くにいらっしゃるかもしれませんね」

 その何気ない一言一言が、俺の心をかきむしる。

「そそそ……それって、もしかして……」
「オメーじゃないのは確かだな。うん」

 何故、彼女はこの学校に、このクラスに転校してきたんだ。
 他にいくらでもあっただろうに。

(このことを知っているのは……)

 俺と彼女のことを知っているのは、先日話した敬司ただ一人だ。
 あいつはとりあえずは信用できるから大丈夫だろう……。
 他にこの学校に小学校時代の知り合いはいない
(新崎は中学から一緒になったのでこのことは知らない)。

「運命……か」

 まさしくそうだろう。神は、俺に一体どう対処しろと言いたいのだろう。

(もう少し、敬司と相談してみようかな……)

 近いうちにまた会いに行ってみよう。


―――放課後


「お疲れ様でしたー」

 夕方がすっかり辺りを包んだ中。ようやく部活が終了した。

「須永先輩、お疲れ様でした」
「おーう」

 タオルで顔を拭きながら、後輩に軽く声を返す。

「しっかし、あっちーな……」

 残暑はまだまだ続いている。防具のなかは蒸風呂状態なので、連日暑さとの闘いだ。

「そう嘆くなよ。ほれ、飲めよ」
「ああ、サンキュー」

 そう言って隣りにいた友人からスポーツドリンクを貰った。

「でも、普段はぼやっとしているお前が、いざ練習となると人が変わるからな。
 あのギャップは激しいぜ」
「そーかあ?」
「たまに廊下ですれ違った時なんか、本当にお前かと目を疑うからな」
「おいおい、それは言い過ぎだろ」

 自分としては、まあ剣道だけはマジメにやっているが。
 普段がそんなにだらしないとは思っていない。

「ま、それほどまでに部活に集中しているなら文句は言えないがな」
「なら黙っとけって」

 本当、大きなお世話だ。

「……知ってるか? 次期主将候補はお前だって」
「あー? なんだよそれ」
「いや、実力から言っても……」
「そんなガラじゃないって。まったく」

 三年のほとんどはこの夏で引退しまった。
 そうなれば当然新しい主将も決めなければならないだろうが……。

「俺はお断りだよ、本当。誰か違う奴にしてくれー」
「だよな。まあ、ちょっとした噂だ。
 詳しく聞きたかったら顧問にでも聞いてくれ……よっ、と」

 そう言いながらそいつは立ち上がる。

「じゃ、また明日な」
「ああ」
「来年こそ……な」
「『目指せ、全国制覇!』か?」
「団体は無理でも、お前個人ならなんとかなるかもしれないからな……。
 おまえはうちのホープだ」
「おいおい、何言ってるんだよ」
「本気だぜ? お前はベスト8で終わる奴じゃないって」
「あー、はいはい。ほれ帰れ帰れ」
「ははっ、じゃあな……」
「達者でなー」

 そうして部室には俺一人が残される。

「ホープ……か」

 あまり間を置かず、俺もその部屋からさっさと出て行った。

(いい加減、宿題やっとかね―と……)

 そう思いつつ、近道をするために裏庭を渡る途中のことだった。

『……〜♪…〜♯』

 と、何やら独特の音でメロディが聞こえてきた。

「これは……バイオリン?」

 音源はどうやら音楽室らしい。
 丁度窓が開いているみたいなので、そこから音が漏れているようだ。

「まさか……?」

 楽器等を運ぶ事情から音楽室は1階にある。
 窓からちょっと見てみるの造作でもないことだ。

「いやいやそんなわけ……でも、ありえないわけじゃないよな……」

 彼女はまだバイオリンを続けていると聞く。
 ならばここの学校に入ったのなら音楽部に入るのは当然だろう。

『……〜♭…〜♪』

 演奏はなおも続く。

「……よしっ」

 とりあえず、ちょっとだけ見て確認してみようという結論になった。

(どれどれ……)

 壁にぴったりとくっつき、顔だけ覗かせてみる。

『……〜♪…〜♭』

 そこには、たった一人だけ教室にいる女子生徒がバイオリンを奏でていた。

(……顔、良く見えないな)

 そう思い、もう少し身を乗り出してみる。

――ガタンッ

 その瞬間、窓枠の桟にかついでいた竹刀袋をぶつけてしまった。
 このメロディの中での異質な音は良く響く。

「……!」

 そして演奏が止まり、向こうが驚いたようにこちらへと振り向いた。

(ああ、やっぱり……)

 その顔を見た瞬間俺は確信した。やはり、敏樹が言っていた彼女『倉谷 唯』だった。

「あー……なんか、いい曲が聞こえたもんで。
 ついふらふらっと見に来たんだけど、邪魔しちゃったようだ。帰るよ」

 そう言ってその場をそそくさと離れようとすると。

「――待って!」

 と、後ろから呼びとめられた。

「……はい?」

 恐る恐る振り返ると、彼女が窓枠から見を乗り出してこちらを見つめていた。

「もしかして……敬司君?」

 なぜか彼女は、俺のことはしっかりと覚えてくれていたらしい。