第九十話 「夢」


――バタン

 買ってきた食材を冷蔵庫にしまう。時刻はまだ五時過ぎ、夕食までにはまだ時間がある。

(さて、何をするかな……)

 部屋にこもって適当に本でも読んだらいいんだろうが、なぜか今はそういう気分でもない。

――ピッ

 リモコンを取ってテレビを点ける。

――ピッ、ピッ

 チャンネルを回し、何か興味を引きそうな番組はないか探す。

――プツン

 適当なものが見つからず、結局テレビは消した。
 第一、普段あまりテレビは見ないのだから、お気に入りの番組とかがあろうはずがない。
 たとえ見るとして、せいぜいニュースとかだ。今はそんな時間でもない。

(いつもなら、この時間辺りに恵美が部活から帰ってくるんだな……)

 慌しく帰ってきたと思えば、まず真っ先に風呂に入りに行く。
 汗を流したいのもわかるが、別に慌てなくてもいいと思う。別に風呂は逃げないのだから。

――プルル……

 そう思っていると、突然電話が鳴り出した。

――プルル、プルル……

 いつもなら、おじさんなり恵美なりが出るのだが、今家に居るのは俺だけだ。
 ということは、当然俺が出なくてはならない。

――ガチャ

「はい、もしもし……」

 電話というものはあまり好きではない。
 人の都合も構わず、突然鳴り出すこの機械。
 前もって電話をするとでも云ってくれれば別なのだが。

(……矛盾しているな)

 まあ、それはいいとして。

「――もしもし、浅田君なの?」

 受話器からそう聞こえてきた。
 機械越しで声質は多少変わるものの、この数ヶ月ですっかり記憶してしまった声だった。

「高宮か、何か用なのか? あいにく恵美は居ないが……」
「ううん、恵美じゃなくて……浅田君に用があるの」
「俺に?」

 彼女が俺自身に電話をしてくるというのは始めてのことだった。

「あのね、明日暇かな?」
「明日? 別に用事はないが……」

 留守番は用事であって用事でない。
 店の手伝いもなく、恵美が構ってくることもないので、
 一体俺はどうやって過ごそうかと考えていたのだった。

「良かったら、映画でも行かないかなって……」
「映画?」
「ええ、知り合いから偶然チケットが二枚手に入って」
「……映画か、あまり興味ないな」
「そうなの? でも、明日暇なんでしょう?」
「まあ、そうだが」
「ほら、もうすぐ夏休みも終わるし……せっかくだから、どこかに遊びに行かない?」
「遊びにね……」
「大丈夫。ちゃんと私がエスコートするから」
「確かに、恵美もおじさんも明日はいないから、
 暇をどうやって潰そうかと考えていたが……」
「えっ? 浅田君って……明日一人なの?」
「ああ、親戚のところに行っててな。ニ、三日は帰ってこないと思う」
「……前言撤回するわ」
「止めるのか?」
「どこかにじゃなく、私が浅田君の家に遊びに行っていい?」
「……うちにか? でも、どうしてだ」
「なんとなくね……で、どうするの?」
「まあ、別にいいが……」
「本当!? 行ってもいいのね!」
「まあ、うちに来た所で楽しいこともないだろうが……」
「いいのよ。じゃあ、お昼頃に行っていいかな?」
「ああ」
「お台所貸してもらえれば、私がお昼御飯作ろうか?」
「……いいのか?」
「ええ、もちろんよ。食材もこちらで用意するから」
「なんか悪いような気もするが……」
「ご招待されたほんの手土産よ。気にしないで」
「わかった。じゃあ、明日な」
「ええ。楽しみにしてるわ」

――ガチャン

 そこで通話は終わった。

「楽しみ、ね……」

 別に何が起こるというわけでもないだろうに。


―――翌日


「――ごめんください」

 あれこれ迷った服を着て、手には買い物袋を抱えて私は浅田君の家へとやって来た。

「……ちょうど昼に来たな。まあ、上がってくれ」

 浅田君が一人で出迎えてくれる。どうやら一人というのは本当らしい。

「おじゃまします」
「……本当に昼飯を作ってくれるらしいな」
「ええ。さっそくお台所借りていいかしら?」
「ああ……そこにあるから自由にしてくれ」
「はい。でも、ちょっと時間かかるから……」
「だったら手伝うさ」
「えっ?」
「その方が効率がいいだろう? 足手まといにはならないと思うが」
「そ、そうね……お台所も浅田君の家のだしね」

 二人でお料理……いいかもしれない。
 二人の仲を深めるいい機会だと思う。

「ええと、包丁は?」
「そこの引出しだ。調味料の類はその上で、鍋は下の棚に入っている」
「うん、わかったわ」

 自分の家の台所というのはわかるけど、その手際の良さは目を見張るものが合った。

「――ああ、その野菜は俺が切っておく。それと鍋煮えている、火を弱めないと……」

 料理という点で自分は自信があったけど、
 こういうところを見せられるとなんだか気後れしてしまう。
 目の前で料理を作るところを見せて、浅田君を感心させようという作戦は失敗だったみたいだ。

(まあ、仕方ないわね……)

 二人きりでいられる時間はまだまだある。
 この料理の作業が全てじゃない。

「その皮むき、私がやるわ」
「そうか、じゃあ俺はこっちを担当する……」

 でも、二人だけでこういう作業をするのも良いと思う。
 互いが互いを必要とし、協力しているのがわかるから。

(・……いきなり人の家でお昼御飯をつくるというのも、オーケーしてもらったし)

 この頃気付いたけど、浅田君って意外と人からの押しに弱いところがある。
 最初のハードルを越えてしまえば、自分の気持ち次第でいいところまで行くんじゃないだろうか?

(なんてね、そんなに簡単にいったら苦労しないわよ……)

 その最初に話しかけるのだって、内心ではかなり緊張していた。
 なんとか明るく振舞おうとしたけど、あっけなく無視されて終わってしまった。
 その後のアタックは、半分意地が入っていたかもしれない。

「さてと、できたみたいだな……」
「そうね。食事にしましょうか?」
「ああ、そっちの居間に運ぼう」

 できた品々を運ぶ。今までにない出来になったのは、浅田君が手伝ってくれたからだろう。

(本当、いい腕してるわね……)

 この完璧なる彼は、今のところ性格を除いては欠点が見当たらない。
 最近までは車が苦手だったらしいけど、あの海に行った日を境に乗るようになったみたい。

「……どうした? 食べないのか?」
「あっ、そうね。いただきます……」

 こうやって二人で食事ができるなんて、本当に信じられないことだった。

「――浅田君って、夏休みの間何してたの?」
「……いつもと同じだな。本を読んで、家の手伝いをして……寝る」
「なんか単調ね……。恵美なんか、部活で毎日充実してるみたいなのに」
「らしいな。だが、俺には関係ない
 ……そう言う高宮こそ、何か充実した生活を送っていたのか?」
「私? そうね、ずっと勉強してたわ」
「勉強ね、それも充実していると言えるかどうか……」
「あら、普通の学校の勉強じゃないわ、料理の勉強よ。そういう学校があるんだから」
「料理?」
「ええ」
「将来料理人にでもなる気か?」
「まあ、そういうことね。一人前になって、自分のお店を持つことが夢なの」
「なるほど、そういうわけか……道理で料理にこだわると思った」
「ええ、学校では色々実験に付き合ってくれて助かったわ
 ……あまり感想は聞かせてもらえなかったけど」
「特に味を気にして食べたわけでもなかったからな。
 まあ、まずいとは思ったことはなかったが」
「本当? それを聞いて少し安心」
「ふん……」

 会話もなんかいい感じ。三ヶ月前は、けんもほろろに無視されたのに。

「夢と言えば……浅田君って、何か将来の夢とかあるの?」
「……さあな」
「そんな具体的なものでなくても、何かやり遂げたいこととかあるじゃない。
 小学校の頃とか、『将来の夢は?』ってよく先生に作文に書かされることもあったでしょ?」
「昔ならともかく……今はない」
「じゃあ、その昔はどんなことを思ってたの?」
「よくあるだろう?
 将来はおもちゃ屋さんになりたい、パン屋さんになりたい……その類だ」
「いいわよそれでも。ねえ、聞かせて」
「……やはり駄目だ」
「なんでよ、別に……まあいいわ。人に話したくないこともねあるでしょうしね」
「………」

 あまりしつこくすると嫌われる。
 特に浅田君は、普通ではない過去を送ってきているのだから。

(……ただ、恥ずかしいだけかもね)

 浅田君って、意外と子供っぽいかもしれない。

「……急に含み笑いして、何がおかしい?」
「ん? 別になんでもないわよ」

  ただ一緒に食事ができる。今は、それだけでいい。

「……そういえば、もうすぐ夏も終わりね」
「ああ」

 学校が始まれば、彼と一緒にいられる時間も増える。

(……これからよね。やっと、普通の友達になれたんだから)

 いつもと同じようで、少しづつ前進していく関係が……。