第八十九話 「よー君の思い出」


 お盆に入ると、商店街も休みの店が目立つようになる。

「じゃあね、留守番よろしくー」

 うちの店も例外ではなく、恵美とおじさんは二人で先祖の墓参りへと出かけた。
 親戚の家に泊まっていくらしく、数日は俺一人で留守番ということになる。

(親戚か……)

 俺は墓参りなんて、両親の命日にだけ行けばいいと思っている。
 ……と言うより、親戚達に会いたくないという気持ちの方が強い。

(……もう、関係のないことだがな)

 恨んでいるわけではない。
 だが、俺が悪いとも思っていない。互いに上手く共存できなかっただけだ。

「………」

 そこで考えるのを止め、俺は昼飯でも食べることにした。

――ジュー……

 フライパンに肉と野菜を適当に放りこんで炒め物を作る。
 冷蔵庫にあった有り合わせのものなのだが、
 明日にでも食材を買ってこなければいけないみたいだ。

「さてと……」

 皿に盛りつけ、一人で昼食を始める。

――ピッ

 テレビを点け、報道番組にチャンネルを合わせる。

『――川が増水となり、近くにキャンプをしていた観光客ら数名が行方不明……』

 すると、どこかの県での川原の事故を流していた。

『……これで全国での水難事故で亡くなった人は十四人になります。さて、続いては――』

 夏は水の事故が多発する。川、海、湖、用水路……。

(……思い出したくもないことを、思い出してしまったな)

 そのことを頭から追い出すように、俺は食事に専念した。

――カチャ、カチャ……

 食器を片付けて、まとめて洗い物として処理する。暑い夏なら水仕事も楽だ。

「さてと……」

 最後に自分の手を洗い、俺は居間に戻った。

『――さあ、今日のは夏休みスペシャルということで特別企画……』

――ピッ

 気付くと大衆娯楽番組と変わったのでテレビを消した。

「………」

 窓の外からうるさい蝉の声が聞こえる中、俺は一人で何もせずに座っていた。

(あれから、十年か……)

 そうしていると、自然とさっきの考えが浮かんでくる。
 両親が死に、一人になってしまった俺が転々と親戚の家をまわり……。

「……だめだ」

 考えを打ち消すように声を出す。

(気分直しに、外にでも出よう……)

 留守番を引きうけた手前でなんだが、戸締りをしておけばめったなことは起きないだろう。

(……さて、どこに行くかな)

 家を出たところで考える。まあ、いつもの本屋が関の山か。

――タタタ……

「ねー、まってよー!」
「あははー、こっちこっちー!」

 二人の子供が俺の横を通り過ぎて行った。
 先に行く女の子に対し、男の子が一生懸命追いかけている。

(……まったく、ここでも思い出させてくれる)

 と言うより、頭にある考えが今の状況と結び付けてしまうのだろう。

「やれやれ……」

 過去と決別し切れないのなら、無理にでも受け入れるしかないということか。
 ならば、できるだけ鮮明に思い出してみよう。
 正面から見据え、今の俺がどう感じるのか……。

(……本屋はやめだ、公園にでも行こう)

 立ち読みしながら考え事なんてできない。とりあえず近くの大きな公園へ向かった。

――シャアアア……

 その公園では中央で噴水が音を立てて流れている。
 涼しげでいいので、俺はその近くのベンチに座った。

(……たしか、母方の遠い親戚の家だったと思う)

 だが、その家が何処に有るのかは忘れてしまった。
 特に今まで思い出さなかったので、所々記憶が風化していて不鮮明だ。

「――しばらく、お世話になります」

 その家の姓はなんだったか? どんな家族構成だったか? どんな……?

「まあ、礼儀正しい子だこと……紹介するわ、うちの娘よ」
「こんにちわー」

 そう、確か女の子が一人いた。名前は……だめだ、思い出せない。

「どうも、よろしくお願いします」
「ねー、あたらしいキョーダイなの?」
「そうね……これから様子を見て、うちに合った子なら考えてもいいわ」

 つまり、しばらくの間は品定めの期間ということだ。

「僕は涼一、よろしくね」
「よーいち?」
「いや、涼一だよ」
「よーいち……。よー君だね!」
「だから僕の名前は……」
「よー君、あそぼーよ!」
「だから僕は……」

 その女の子は、最後まで俺の名をまともに呼んでくれなかった。

「まあ? うちの子は気に入ったみたいね。でも、あんまりご迷惑かけちゃだめよ?」
「はーい!」

 最初の頃から、結構その家族と上手く付き合えていた筈だ。

「ほう……涼一君は、知能テストで全国トップクラスの成績なんだって?」
「ええ、中々頭の良い子よ。それに運動神経もいいみたい」
「それは将来が有望かもしれないな。
 人格も曲がっていないようだし、いい人間に育てられるかもしれない……」

 俺の商品価値はかなり高かったと思う。
 その家の親は、俺を養子にするかどうか真剣に考えていたみたいだった。

「よー君! よー君!」
「何度も言ってるけど……」
「おままごとしよ? わたしがおくさんで、ヨーくんがだんなさま!」
「……うん、わかったよ」

 それを知ってか知らずか、彼女は毎日のように遊びに誘ってきた。

「さあ、めしあがれー!」
「いただきます……」

 何も入っていない玩具の茶碗を受け取り、それを食べる振りをする。
 今思えば、こんな家庭ごっこのどこがおもしろいのだろう。

「おいしい?」
「うん、おいしいよ」

 他人の家の子供に対しての遠慮か、俺は精々愛想よくしていたのだろう。
 嫌われて印象を悪くすれば、親にもイメージが悪くなるだろうから。

「じゃあね、これに水いれてきて。それと葉っぱも」
「わかった。行って来るよ……」
「おつとめいってらっしゃーい!」

 あの子は一体何才だったか?そう年は離れていないだろうから……
  同い年か、一つ年上、年下といったところだろう。

――ジャー……

 近くの水道で水を汲み、その辺の木の葉をニ、三枚を持ってくる。
 あの子に言われたことを、俺は律儀にこなしていた。

「……ただいま」
「おかえりなさーい!」

 そんな毎日が続いた。俺がこの家に居たのは、たしか一週間くらいだったろうか?

「ねえ、よー君って将来なんになりたい?」
「僕? そうだなあ……」

 しかし、こんな背景ばかりは思い出せるのに、肝心の人物の名称や場所が思い出せない。
 俺にとってその記憶は不必要なのだろうか?

「ねーねー、今日はなにしてあそぶ?」

 彼女があまりにも毎日しつこいので、俺は少々うんざりしていたのかもしれない。

「ごめん……今日は、一人で遊んできてくれないかな」
「えー、なんで?」
「この本が読みたいんだ、だからお願い」
「……わかったー」

 そう言って彼女は渋々どこかへと出かけていった。

「ふう……」

 久しぶりゆっくり本が読めて、俺はせいせいしていただろう。
 だが、このことがあの事件の引き金だった。

「――あら? あの子は?」

 一人で家に居た俺に対し、親が自分の子供のことを尋ねてきた。

「一人で遊びに行きましたよ」
「まあ、あの子のことを見ていてくれると思っていたのに……」

 どうやら俺は、ベビーシッターの役目も担っていたようだった。

「わかりました。じゃあ、ちょっと捜してきます」
「お願いよ? あの子一人だと、色々無茶するから」
「はい」

 その言葉に偽りはなかった。何せ捜しに行くと、あの子は用水路にいたのだから。

「あっ……!?」

 立入禁止の金網の向こう、コンクリートの縁を歩く人影を見たときはさすがに驚いた。

「――ちゃん!」

 ここで俺は彼女の名前を叫んだはず。だけど、未だに思い出せない。

「……よー君だ! おーい、おーい」

 彼女は俺に気付き、名前を叫んで大きく手を振る。

「ちょっと、危な……」

 そう言おうとした時には遅かった。

――ドボン!

 大きな水音共に、あの子の姿は視界から消えた。

(落ちた……!)

 そう直感し、俺は急いで金網を越える。

「……どこだ!?」

 コンクリートを登り、あの子が居た場所に立つ。

「濁ってて、よく見えない……」

 それに太陽の反射のせいで、中の様子を伺うことは出来なかった。

「……仕方ない!」

 俺は意を決して中に飛び込んだ。

――グプグプグプ……

 視界の悪い水の中、俺は目を皿のようにして彼女の姿を捜した。

(……あれか!?)

 ちらりと揺らめく布が見えた。
 近づくと、ぐったりとして身動き一つしない彼女だった。

「……ぷはっ!」

 彼女を抱えて水面へと上がる。

「大丈夫!? しっかりして……!」

 声を掛けても反応がない。

「呼吸していない……水を大量に飲んだな!?」

 彼女の姿勢を直し、頭を下に向けるようにして背中を叩く。

――ドン! ドン!

「頼むよ……しっかりしてくれ!」

 その言葉が通じたのかどうかは知らないが。

「げほっ! げほ、げほ……」

 なんとか彼女は水を吐き出してくれた。

「良かった! 気が付いたんだね?」
「よー……君?」
「待ってて! 今、人を呼んでくるから!」

 その後救急車が到着し、彼女は病院へと運ばれた。
 発見が早かったので、大事には至らなかったのが救いだった。

「――なんであの子の相手をしてやらなかったのよ!?」

 当然と言うか、俺は親の怒りを買ってしまった。

「すみません……。まさか、あんなところで遊んでいるなんて……」
「うちの子にあんな危険な目に合わせて!
 もう、アンタなんか要らないわ! どっかに行きなさい!」
「……はい、わかりました」

 これで今まで好感を持たれていたのが一気に逆転した。
 おかげでまたタライ回しされることになったのだ。

(この噂が伝わり……それでどの家庭でも、受け取り拒否をされたんだったな……)

 それで八木家に拾われたのは本当に幸運と言えよう。
 親戚間では、未だに俺が施設にでも行ったのだと思っているかもしれない。

――シャアアア……

 先ほどから後ろで流れている噴水を眺める。

「……こういう所で遊んでて欲しかったよ、まったく」

 まあ、あの家庭にいたからといって、俺が幸せになれたとも限らないが。

「さてと、そろそろ帰るか……」

 ベンチから立ち上がりながら呟く。本当に、思わぬ時間を過ごしてしまった。

(そうだ、ついでに買い出しに行くとするか……)

 そう思って公園を出ると、その足をスーパーへと向けた。