第八十六話 「それぞれの夏祭り〜そのA〜」


「――金魚やって! 金魚!」
「あのな……生き物はあとで大変だぞ?」
「大丈夫よ、いざとなったら川に放流すればいいじゃない」
「……それなら、なんのために取るんだ?」
「風流よ、風流ー。ほら、早く早く」
「まったく……」

 よくわからない理由のまま、俺はその店の前に行った。

「あいよ、一回百円ね」
「……破れるまで何匹すくってもいいんだな?」
「ああ」
「だそうだ……何匹取る?」
「とりあえず十匹ー!」
「お客さん、やけに自信ありますねー」
「………」

 お椀と網を受け取り、水槽の金魚の動きを観察する。

――シパッ!

 網を水平に薙ぎ、水面すれすれにいた金魚をすくう。

――ぽちゃん 

 軽い水飛沫と共に金魚が一匹お椀に入る。当然網は破けていない。

「やったー!」
「ほう、上手いねお客さん」

 店主はまだ余裕のようだ。そのうちその表情も変わるだろう。

――シパッ!

 また一匹すくう。

「二匹目ー!」
「ははあ、中々……」

――シパッ!

「三匹ー!」
「………」

 そろそろ店主が黙り込んできた。何やら危険を察知したに違いない。

(網のフレーム際を使えば、百匹はいけるだろう……)

 昔やったとき、たしか水槽にいた金魚の半分をすくったところで店主に泣きつかれた覚えがある。
 まあ、若気の至りというやつか。

――シパッ! シパッ!

 今度は二匹まとめて。一匹一匹やるのも面倒になってきた。

「どんどんいっちゃえー!」

 相変わらず恵美は無邪気に騒いでいる。

「………」

 その反面、店主の表情が渋くなっていく。

――シパッ! シパッ!

 とりあえず言われた十匹を目指して俺は網を振った。

――シパッ! シパッ!

 意外とこういう単純作業がおもしろくなるときもある。

――シパッ! シパッ!

「……あ、もう十匹か?」

 気付くと、お椀には金魚が言われた数だけ漂っていた。

「恵美、どうする?」
「うーん、そうだなー……」

 店主の顔を見ると、もう止めてくれと言わんぱかりの表情をしていた。

「じゃあ、そこの大きい黒いやつ取って」
「わかった。それで終わりか?」
「うん」

 見ると、それはいわゆる出目金という種類だ。当然難易度も上がる。

(まあ、これで終わりだからな……)

 俺は網を水槽に沈め、出目金の下に移動させる。

「………」

 動きを合わせ、慎重に動かす。

――ザバッ!

 出目金の動きが止まった瞬間、勢いをつけて網を水上に持ち上げる。

(……これは確実だが、一回しか使えない)

 その動きで網の紙は無残に破れてしまう。

――ぼちゃっ

 宙に舞った出目金をお椀で受け取る。

「……と、これで終わりだな。店主、これを」
「あ? ああ……」

 お椀を受け取った店主は、のろのろとビニールに移し変える。

「はい、ありがとうございました!」

 それでもなんとなく元気になった店主は、俺に金魚を差し出した。
 ビニールの向こう側を見ると、金魚達は狭い袋の中うようよと漂っていた。

「ほれ、ご希望の品だ」
「ありがとー。夜店荒らしの腕は落ちちゃいないわね?」
「……こんな技量、大して役にたたないさ」
「じゃ、次に行こー」
「まだやるのか?」
「もちろん!」
「やれやれ……」

 そうして俺は、恵美に引っ張られるように歩き出した。

「――あら? 浅田君じゃない」

 その後ぶらぶらと歩いていると、俺達は高宮と出会った。

「なんか、楽しんでいるみたいね」
「うん! これ見てよー」

 そう言って俺が取ってやった景品を掲げる。

「……すごいわね、それってもしかして浅田君が?」
「まあ、こいつにせがまれてな」
「えへへ」
「ふーん……浅田君もお祭りに来るんだったら、誘えばよかったな?」
「………」
「あ、えーと……美紀は一人?」
「ええ。それに、せっかくだしね……」

 そう言って高宮は自分の浴衣の裾を揺らす。

「あー、いいな浴衣……」
「こんな時でもないと、着る機会ないでしょ?」

 恵美は高宮の浴衣をうらやましそうに眺めていた。

「そういえば、おまえ持っていなかったか?」
「持ってたけど……もう小さくて着られないの」

 なるほど、だから私服で来ていたのか。

「どう浅田君? この浴衣」
「……まあ、似合っているとは言えるな」
「そう? お世辞でも嬉しいわ。あの……」
「恵美」
「何?」
「欲しいなら、おまえも今度買ってもらえばいいだろう?」
「でも、そんな……」
「浴衣の一着くらいいいだろう。なんだったら……」
「……ねえ、浅田君」
「ん?」
「じゃあ、私これで失礼するわ」
「えっ? 一緒に遊ばないの?」
「遠慮しておくわ……。あんまり見せ付けられるのもなんだし」
「ちょ、ちょっと美紀……」
「じゃあ、またね」

 そう言って高宮は、俺達の前を通り過ぎて行った。

「……なんだったんだ?」
「うん……」

 その去って行く浴衣の後姿を俺達は眺めていた。なんだか言いたいことがあったみたいだが……。



「バナナチョコー、バナナチョコー」
「わかったよ、まったく……」

 姉は相変わらず食うのに夢中だ。

「ほら! もういいだろう?」
「えー」
「まだ食い足りないんか!?」
「うん」
「はあ……。よく甘いものは別腹って言うけど、本腹から甘いもの食ってたら世話ないよなあ」
「うん、おいしー」
「………」

 食い物に徐々に資金が削られて行く。全てが無くなる前に、何か自分も楽しまないと。

「……とはいえ、何か食おうって気はしねーな」
「?」
「バナナチョコ、美味い?」
「うん」
「虫歯になるって、いい加減……」
「ちゃんと歯は磨くよー」
「ええい! 皮肉が通じんのか!」

 そう嘆いて、ふと向こうの方を見たときだった。

「……あれ?」

 浴衣姿の女の子が歩いている。どこかで見たような……。

「た、高宮さん!?」

 間違いない。いつもと髪型は違うけど、あの高宮さんだった。

「一人みたいだ……なんか、哀しそう」

 どうしたんだろう? 何か、あったのだろうか?

「あっ、リンゴあめ!」
「これって、チャンスってやつ? ついに俺も……」
「ねー、リンゴあめ」
「そうだな……進路を先回りして、取り合えず偶然出会った振りして……」
「リンゴあめ……」
「うるさいっ! 金やるから買ってきたらいいだろ!」

 俺は見向きもせずに千円札を姉に突き出した。

「……うん」

 手から金が離れた。このまま買いに行ったのだろう。

「さてと……実行!」

 俺は急いで彼女の向かう方向に先回りした。

「――あれ? 高宮さん?」

 乱れた呼吸を押さえつつ、まるでたった今見かけたかのような仕草をした。

「……和泉君? 偶然ね」
「ああ、そうだね……」

 正面から見る高宮さんの浴衣姿が眩しい。

「えっと、一人?」
「うん、まあね……。和泉君は?」
「俺は、その……」

 そういえば姉を置いてきてしまった。今頃向こうでリンゴあめでも食べてるだろう。

「……一人だよ」

 姉だって子供じゃない。俺が居ないからといって、帰れないわけでもあるまい。

「そう……それなら、一緒にちょっとまわらない?」
「えっ? いいの!」
「ええ」

(やった……!)

 この祭りに来て本当に良かった。
 まさかこんな出会いがあるとは、世の中も中々捨てたものじゃない。

「じゃ、じゃあ……とりあえず、向こうにでも行ってみようか?」
「そうね……」

 さっきまでなぜ哀しそうな雰囲気だったのか? 今の俺が聞けるはずもない。