第八十四話 「和泉君、帰宅」


「やっと帰って来たあ……」

 駅から出ると、おもわず声を出してしまった。

「……ずいぶん、健康的な生活だったよな」

 朝決まった時間に起こされ、仕込みから手伝わされる。
 昼過ぎまであわただしい時間を過ごし、夕方に親戚の家へと帰る。
 特にすることがなく、また朝があるのでさっさと眠る……。

「あー……潮の香りがしなくていいよ、ほんとに」

 夏休みはあと半分。これからでも、なんとか人並みに夏を満喫したいところだ。

「さーて、とりあえず……」

 今日はさっさと帰って休み、明日からから遊びまくろう。そう思って俺は家に向かった。

(バイト代もたんまりもらったし……)

 今年は暑かったせいか、客がかなり多かった。
 おかげで目の回る様な忙しい日もあったけど、それ相応にバイト料も上がった。
 これがただのお小遣い程度だったら、即来年から手伝い断っているとこだった。

「……ああ、新作出てるんだろうな」

 ゲームショップの前に来てつぶやく。
 でも今はこれ以上荷物を増やしたくないので、俺は仕方なく通りすぎた。

「――ただいまー」

 やっと辿り着き、久しぶりに我が家の玄関をくぐる。
 親戚の家の慣れない匂いとは違い、なんとも落ちつく感じがした。

「……出迎えなしかよ、出稼ぎに行ってたのに冷てーな」

 仕方なく荷物を抱えなおし、俺は自分の部屋へと向かった。

「――おわ!?」

 ドアを開けると、俺の部屋には見なれない観葉植物が置かれていた。

「ったく……。姉ちゃん! 姉ちゃんいるかー?」

 廊下を渡り、姉の部屋に向かう。

――コン、コン

「……敏樹? 帰ってたの?」

 ドアをノックすると、中から声が聞こえた。

「帰ってたの、じゃないって。なあ、入っていい?」
「うん、いいよー」

 返事を聞き、俺はドアを開けた。

「なあ、勝手に俺の部屋に観葉植物置くなよ」
「ごめーん。場所なくて、ちょっと置かせてもらってたの」
「まったく……だったら買ってくるなよ」
「だってー、欲しかったから……」

 植物依存症とも言える姉は、一時といえども木や花を見ていないと落ち着かない。
 授業中でさえ窓から木々を眺めている。
 この部屋も緑ばっかりで、今に酸素中毒でぽっくり逝くかもしれない。
 ……ちょっとこれはオーバーかもしんないけど、とにかく植物好きなのは確かだ。

「過酷な手伝いをして帰ってきたんだから、出迎えくらいしてくれても良かったろ?」
「だって、今日帰ってくるって知らなかったから」
「……母さんは?」
「お買物に行ってる。夕方に帰ってくると思うよ」
「まあ、いいよ……。あれ後で片付けてね」
「えー、なんで?」
「元々俺の部屋! 帰ってきたから使うの!」
「飾ってたっていいじゃなーい、敏樹の部屋にぴったりだよ?」
「今までそう言われてたくさん飾ってあるから! もういいって!」
「もったいないのー……」
「価値観が違うんだって、姉ちゃんとは」
「はーい、わかりました。じゃあ後で引き取りに行くね」
「絶対だよ? もう……」

 ぶつくさと言い、俺は姉ちゃんの部屋を出た。

「……高校三年にもなって、子供みたいなんだから」

 自分の部屋に戻ってベッドに横になる。
 懐かしいこの感触、この部屋ならうるさい蚊の心配も少ないだろう。

「さあて……荷物の整理でもするかな」

 ベッドから起きあがり、道中邪魔になってたバッグに手を伸ばす。

「まずは着替えと……ほとんどやんなかった携帯ゲーム。あとは……」

――コン、コン

「姉ちゃん? いいよ入って」

 そう言うとすぐにドアが開いて、姉ちゃんが部屋に入ってきた。

「おじゃましまーす……あれ? それ何?」
「これ? お土産だよ。おばさんが持っていけってさ」

――ガサガサ……

「ああ、干物か」

 向こうで散々食ったものだった。今更渡されても、すでに飽きていて食べる気はしない。

「へぇー?」
「持ってっていいよ。俺はいいから」
「いいの?」
「うん。家族の連中と食っちゃって」
「ありがとう、敏樹……あっ、そうだ」

 そう言って姉ちゃんは干物を受け取ると、何かを思い出したかのような表情になった。

「ねえ、浅田さんって知ってる?」
「えっ? 何?」
「浅田さん。お友達なんでしょう?」
「あ、うん……まあ」
「その人とね、この間図書館で会ったのよ。いや、そうじゃなくて……もっと前にも会ってたんだけど」
「なんなの? わかるように説明してよ」
「んーと……」
 
 たどたどしい説明だったけど、それなりに浅田とのいきさつはわかった。
 球技大会でたまたま出会い、その後夏休み中に図書館でも会ったらしい。
 もっともそれは、姉ちゃんの友達の月原先輩が見かけたからだそうだ。
 まず、その人と知り合いだったというから驚きだ。

「――添え木の手伝いを? それに勉強まで?」
「うん。いい人ね、浅田さんって」
「まあ……そうらしいね」

 俺の知らない所で、浅田は他人に好感を持たれているみたいだった。

(つーか……あいつを嫌ってる奴っていうのは、モテない男子くらいじゃねーの?)

 その一人に俺も入るのだろうか?
 別に心底嫌っているわけじゃないけど、まあ……友達でもいいかなって部類で、
 でもあいつは高宮さんに好かれてて……。

(……あああっ! そんなことは今はいい!)

「それでね、優なんかめずらしく意識しちゃって。
 男の人を前にしてあんな態度取るの始めて見ちゃった」
「へぇ……あの堅物生徒会長が?」
「堅物はないわよー」
「だって、みんな言ってるし」

 これは新崎が聞いたら卒倒するかもしれない。まあ、親友として黙っておこう。

「でも、三年生の勉強ができるなんて頭いいんだね。クラスでもトップとかじゃないの?」
「いや、そういうわけじゃないよ」
「違うの? 勉強できるのに」
「でも……たまに度肝抜かされることあるけど」 
「どういうの? 聞かせて聞かせて」
「あのね……」

 前にあった、浅田が手を怪我してテストを受けた時のことを話した。

「ええっ!? それって答えも完璧で、しかも丸暗記してたってこと?」
「ああ。クラスのみんなが注目してたから、インチキとかは絶対になかったよ」
「すごーい……でも、なんで?」
「さあ、俺もよくわからないよ……」

 普段人目を避けているのは何やら複雑に事情がありそうだけど、俺なんかが聞くことじゃないと思う。
 第一、この頃は友達と楽しくやっているようだから。

「……まあ、変わった奴ってことは確かだろうね」
「でも、いい人ね」
「あー、わかったって」

 女性にはずいぶん人気あるらしい。俺とは大違いだ。

(人間の差ってやつか……)

 でも、なんか不公平だ。一人くらいまわしてくれたっていいだろうに……。

「えーと……じゃあ、お土産持って行くね」
「ああ」
「……あのさ、敏樹」
「何?」
「ごめんね、出迎えなくて……知ってたら駅まで行ってたのに」
「いいって別に、子供じゃないんだから」
「でも、一生懸命働いてきたのに……」
「いや、その分バイト代もらってるから気にしなくていいって……
 そうだ、今度姉ちゃんの好きなものおごるよ」
「本当!?」
「うん、パフェだろーがクレープだろーがなんでもいいからさ」
「やったー! 約束だからねー」
「うん、約束する」
「ありがとー。じゃあ、また後でね」

――バタン

 そう言って姉ちゃんは部屋を出て行った。

「ふう……」

 一息つくために、またベッドに横になる。

「……あれ?」

(なんか、忘れてるような……?)

 ふと部屋の中を見渡すと、夏休み前にはなかった観葉植物が……。

「……姉ちゃん!? 木、忘れてるっ!」

 俺は跳ね起き、また姉の部屋へと向かった。