第八十二話 「道化の騎士〜そのD〜」


「……ここだ」

 そのビルは、ジムやフィットネスクラブなどのスポーツ関係のテナントが入っている。

「ええと……一階だね、白竜館は」

 慎也がその場所を見つめて言った。

「じゃあ行くよ」
「あ、待ってよ〜」

 あたし達はその日、試合するべく白竜館へとやって来た。

「やあ、時間通りに来ましたね。……おや、二人だけか?」

 出迎えた白峰があたし達を見て言った。

「いや、彼はただの立ち合い人だ。試合はあたし一人でする」
「たった一人で、俺達五人と試合をするつもりか?」
「ああ、そのつもりだ」

 わかっていたくせに、白峰がわざとらしく言う。

「まあ、いいだろう。そちらがよろしければね……」

 向こうは、すでに勝っているかのように自信だ。

(……その鼻っ柱を叩き折ってやる!)

 そう思い、あたし達は道場の中へと入った。

「うわ……」

 慎也がその状況を見て声を洩らす。
 道場内には四十人ほどの胴着を着た男達がいたが、
 態度からして空手家とはほど遠いチンピラみたいなものだった。

「更衣室は向こうだ」
「わかった……。慎也、ちょっと待っててね」
「早く戻って来てね〜」

 ロッカールームに入り、バッグから胴着を出した。

(父さん……)

 帯を握りしめて思う。どうか、この闘いに勝てるように見守っててほしい。

「よしっ!」

 気合を入れ、あたしは胴着の袖を通した。

「――でしてね、強引に誘われちゃいましたよ」
「いやー、災難だなおまえも」
「そうでもないですよ。ほら、あの子中々……」

 戻ると、慎也が道場の連中と話をしていた。

「慎也! 敵と仲良くなるんじゃない!」
「うわ、とと……それじゃ」

 敵の元から連れ戻し、部屋の隅に置く。

「ここで大人しくしていて。くれぐれも、あいつらを刺激するようなことはしないでね」
「はーい、わかりました。じゃ、応援してるからね」
「うん……まかしといて」

 うなずき、あたしは慎也から離れた。

「おまたせ。始めていいわ!」

 道場の中央に立ち、白峰に向かって言い放った。

「やれやれ……今なら怪我をせずに済むぞ?」
「あたしは闘うと決めた! 今更変える気はない!」
「……なら仕方がない。おい、相手をしてやれ」

 そう言われて、一人の男が出てくる。

「こいつを含めて四人に勝てれば、最後に俺が相手をする」
「わかった。どうせアンタは最後だろうと思ったよ」
「ふん……」

 そしてあたしは相手と向かい合って構える。

「始め!」

 掛け声と共に、試合が始まった。

「――てあっ!」

 向こうはいきなり手を出してきた。どうやら早めに決着を着けようとしているらしい。

「………」

 だけどあたしはそれを落ちついて見極める。ここで焦ってやられたら元も子もない。

「――はあ!」

 的確に攻撃を当て、相手を沈める。一人目なのでまだまだ余力は残してある。

「おい、次!」

 するとすぐに二人目が出てきた。

「へっ……」

 まだ向こうは余裕のようだ。今にその表情を変えてやる。

「――たあっ!」

 二人目を倒したが少し手間取ってしまった。やはり油断はできない。

「ふん、中々やるな」
「こんなザコ、相手じゃない!」
「その強がりがいつまで持つかな……」

――ビシッ、ビシッ……!

 三人目は、執拗に足元を狙ってきた。

「くっ……!」 

 どうやら、勝ちは狙わずにあたしの体力を消耗させる作戦に来たようだ。

「――てやっ!」

 このままではまずいと思い、あたしは急遽ピッチを上げた。

「ぐう……」

 相手が崩れ落ちる。あと二人。

「雪那さ〜ん! がんばれ〜!」

 慎也の応援が聞こえた。

「はあ、はあ……」

 しかしあたしは、息切れで応えることもできなかった。

「四人目行け! 叩きのめせ!」

 白峰は徐々に焦り始めている。あたしがここまで善戦するとは思っていなかったのだろう。

「――せいやっ!」

 四人目は今までのとは違い、やつらの中でもかなり大きな体格だった。

「――てい!」

 かなりタフなようで、こちらの攻撃にびくともしない。

「ふんっ! こいつは今までとは違うぞ!」

 何やら白峰の得意げな言葉が聞こえたようだが、あたしはそれに構っている所ではない。

「くそっ……!」

 こんなところでやられるわけにはいかない。こいつを叩き伏せ、白峰と闘うのだから。

――バキッ!

「うっ……」

 今の脚への一撃は、最悪骨にひびが入ったかもしれない。

(だが、あたしは……!)

「――てやあっ!」

 気合と共に拳を打ち出す。

「――はっ! ぜあ!」

 連続攻撃を叩き込み、なんとか四人目を床に沈めた。

「はあ、はあ……」

 だが、あたしにはほとんど余力が残っていなかった。もう立っているのがやっとだった。

「なあ、もう無理だろう?」
「まだだ! まだ……いける!」

 足に走る激痛に耐えながら叫ぶ。ここで止めては、なんのためにここに来たのかわからない。

「言っても無駄のようだな、ならば俺が相手をしてやる」

 そう言って白峰が前に出てきた。

「……白峰、一つ聞きたい」
「なんだ?」
「あの日道場にくる前に、父さんの会ったのか?」
「ああ。ちょっと武道家としての挨拶をな」
「何が……何が挨拶だ!」

 やはり、あの時の暴漢は白峰だった。

「この卑怯者!」
「……体力回復のための時間稼ぎは終わりだ。さあ行くぞ!」

――ダッ!

 やはり白峰は今までやつらとは違った。

「――ちぇい!」

 その攻撃は速く、骨の髄まで響くような攻撃だった。

「うっ……!」

 怪我と疲労を重ねた身体には、その攻撃を耐えきれなかった。

「せ、雪那さん!」

 後ろから聞こえる慎也の声が悲痛なものに変わる。
 もはや見た目にもあたしの身体はぼろぼろのようだ。

「まだ、だ……」
 
 気を焦らせても、身体が付いて行かない。

「さあ! 降参しろ!」
「くっ……」

 負けたくない。でも悔しいが、白峰の実力は本物だ。
 たとえベストの体調で闘っても勝てるかどうか……。

「……いやだ! あたしは負けない!」
「減らず口を、現実を見ろ!」

――ガッ!

 強烈なローキックが脚を襲う。

「あっ……」

 その一撃であたしはがくりと膝をついた。

「くっ、まだ……」

 懸命に動かそうとしても、脚が言うことを聞かない。

「……!」

 いや、脚だけではない。身体中のあちこちから悲鳴が聞こえる。もう動くことができない。

「もう、終わりだな」

 白峰が見下して言う。

「その身体ではもう立てない。いい加減あきらめろ」
「………」
「これからはうちの大事な人材だからな。再起不能にさせるわけにはいかないんだよ」
「くっ……!」

 すると見かねたのか、慎也があたしのところにやって来た。
 
「雪那さん! ああ……こりゃひどい」
「………」
「これじゃあ、とても闘えないよね?」
「その通りだ。よってうちの勝ちだ」
「くっ、仕方ない……」
 
 もうあたしには無理だ。これで、白峰の軍門に下るしかない。

(ごめん……父さん)

「……雪那さん、勝ちたい?」

 何を思ったのか、慎也がそんなことを聞いてきた。

「ねえ、どうしても勝ちたい?」

 今更どういうことだろう。こんな状況で、勝てる要素なんて何一つないのに。

「雪那さん……」
「勝ちたいわよ! どうしても、どうしても……」

 口に出すと、悔しくて涙が出てきた。

「どうしても勝ちたい……死んだ父さんのために、あたし自身のために……」

 でも、もはや無理な問題なのだ。
 叫んで泣きじゃくってもしょうがないことなのに、誰かにすがりたくてしょうがなかった。

「……わかったよ」

 すると、慎也がそうつぶやいた。

「えっ……?」

 その顔は何かを決心したかのように険しい顔だった。
 彼のこんな表情、今まで見たことがない。

(一体、何を考えているの?)

 そして彼は立ちあがり、白峰と向き合った。