そして僕は、連日のように彼女の道場に通うようになった。
「が〜んばれ〜」
稽古姿を見ていては、時たま応援をする。
「――ちぇあっ!」
鋭いの蹴りの一閃が応えてくれた。
(おかげでしばらくの予定はなくなっちゃったけど、別にいいもんね〜……)
後悔はしていない。多分。いや絶対。
「ふー、休憩。じゃあ、慎也の稽古始めようか?」
「はーい、待ってました!」
彼女の指導の下、基本の型と技を教わる。
すでに知っていることだけど、なんか新鮮でいい。
「……ねえ、雪那さん」
「何?」
「あのさ、一人で稽古していてもなんか物足りないんじゃない?」
「んー、まあね。でもしょうがないし」
「僕で良かったら相手するよ?」
「えっ! でも……」
「いやいや! 組手とかじゃなくて、
ミットでも持たせてもらえばなんとか僕でも役に立てるんじゃないかな〜……」
「でも、素人のあんたにそんな危ないこと……」
「ダイジョーブだって! ほら? 一応男だし」
「ふふ、そういやオトコだったね」
「あのね〜……」
「わかったわ。でも、あとで後悔してもしらないよ?」
「うん」
そう言って彼女は道場から出て行く。ミットかグローブでも持ってくるのだろう。
(さて、とりあえず最初に受けた時は大げさに倒れてみるかな……)
そんな風に考えているところで、彼女が戻って来た。
「おまたせ。……長いこと使ってなかったから、ホコリかぶっちゃってて」
「あー、いいよいいよ。別に気にしないから」
つまり、彼女は本当にずっと一人だったってことだ。
ミットを受けてくれる相手もいないなんて、なんて物悲しいのだろう。
門下生の多いうちの道場が贅沢に見えてくる。
「ほら、そのヘッドギアも着けな。一応念のためだよ」
「うわー、怖いですね〜」
今まで素手だった彼女の手にグローブがはまり、僕はミットとヘッドギアを装着した。
「こう……前に構えて。両足を思いっきりふんばって、倒れないようにしてね」
「はいはい、と……こう?」
「うん。じゃあ動かないでね……!」
――バスッ!
「うああっ!」
「あ、大丈夫!?」
「う、うん。平気だよ……」
演技で倒れようかと思っていたら、本気で尻餅をついてしまった。
こりゃあ、気を引き締めないといけない。
「やっぱり、やめる?」
「何言ってんだよ! 始めたばかりじゃないか? ほら、構えて」
「うん……行くよ!」
容赦のない蹴りや突きがミットを襲う。
ミット打ちの練習は久しぶりだけど、なんとかコツを思い出してきた。
「――てやっ!」
(でも、あんまり格闘慣れしてるのを見られてもいけないんだよなあ……)
今ここで僕が、他の道場の師範代と教えてしまったらどうだろう?
彼女は僕を騙していたのかと言って軽蔑するだろうか?
そして、もうここには来れなくなる……。
「あのさ……」
「えっ、何? やっぱり、もうだめ?」
「う、うん」
「まあ、しょうがないよね。素人にしてはがんばったもの。
でも、おかげで久しぶりにミット打ちができて楽しかったよ」
「ああいや、こちらこそ……」
なんか身体より精神にきたらしくて、僕は疲れた風にミットを外した。
「……あのさ、瑞樹道場って知ってる?」
突然彼女がそんなことを聞いてきた。
「えっ!? な、なに……?」
「瑞樹道場。知らない? この辺の格闘関係者では有名よ」
「へ、へぇ……そうなんだ」
そう言いつつも、僕は内心の動揺を抑えるので精一杯だった。
(ま、まさかバレた!?)
「あたしね……この問題が終わったら、一度行ってみたいと思ってるの」
「そう……なの?」
「ええ、興味あるから」
ほっとした。どうやら違うらしい。
「ふ〜ん……そこ、すごいの?」
「ええ! 師範が人格者らしくて、とても厳しいところらしいわよ。
でも、そういうところほど強い人間ができるのよ」
「はあ……」
(その息子がこれか……。うちの道場も、結構有名なんだな〜)
そう言えば、彼女には僕の名前しか教えていなかった。
『瑞樹』という苗字はあまりいないだろうから、言ってなくて正解だったかもしれない。
「慎也」
「えっ、何?」
「もし本気で空手を習いたいなら、そういうところに行った方がいいわよ。
うちみたいな将来のない所より……」
「や、やだな〜。別に空手がしたくてここに来てるんじゃないし」
「えっ? どういうこと」
「あ、いや……雪那さんに惚れ込んだからかな?」
「な……何言ってんのよ!」
――ガスッ!
「うぐぇ……」
「あ! ご、ごめん……つい」
「ふふ……今まで生きてきた中で、一番強烈なツッコミだったぜ……」
「ちょ、ちょっと……大丈夫!?」
痛む肩を押さえながら、やっぱり自分にはこういう役が似合っていると思った。
(……でも、いずれナイトとなって登場するさ!)
このお姫様を救うのは僕だ。その時が来るのなら、僕は彼女を守り抜いてやる。
「――じゃあ、今日はもう上がりね」
そして、夕方になると稽古は終わった。これは、僕がここに来てからいつもだった。
「ねえ、この時間にいつも終わるけど何か用事でもあるの?」
「ああ……あたし、バイトしてるのよ」
「そうなんだ? 大変だね〜」
「ええ、自分の生活費くらい自分で稼がないと」
「えらいね〜……どんなバイト?」
「冷凍倉庫の積み下ろし。ちょっと大変だけど、給料けっこうもらえるから」
「うあ、それはそれは……」
「体力トレーニングも兼ねてるし、忍耐力もつくから。だから丁度良いのよ」
「………」
ご両親がいないのだから、生活にゆとりがあるはずもない。
同年代の女の子がこんなにも苦労しているとは……。
「じゃ、またね。明日も来る?」
「うん……そちらが良ければ」
「いいにきまってるよ! 少しの間とはいえ、久しぶりの門下生なんだから遠慮することないわ」
「そうだね。じゃあ、また明日ね〜」
そう言って僕は道場を後にする。
「さてと……!」
そして、ランニングがてら自分の道場へと向かう。
(いくら素人でいてもいいと言っても、万が一のことがあるから……)
あの日以来、僕は僕なりにトレーニングをしていた。とりあえずスタミナをつけることを目標とし。
「正弘を相手にでもするかな、あいつは体力もピカ一だからな……」
そう思うと、いつのまにか家に辿り着いた。
「お、大分体力戻って来たかな? でも、油断はできないね……」
そうつぶやいて、胴着に着替えて道場に入る。中では相変わらずみんなが稽古に励んでいた。
「よお慎也。オマエ、本当に真面目になったな?」
「いやいや、人間だれしも心変わりはあるもんだよ」
「でも、今の今までどこに行ってたんだよ? 日中遊び歩いているようじゃ、まだまだだと言えるぜ」
「あはは……」
長い付き合いの親友も、この悩みはわからないだろう。
「でも、その気まぐれがいつまでも続くことを願うんだね〜」
「自分で言うな!」
「わかってるって。じゃあ、手合わせ願うよ」
「いきなりか?」
「一応、身体はできてるよ……って! この間、涼一君といきなり闘わせたじゃないかー!」
「ああ、あれは渇を入れるためにちょっとな」
「手痛い洗礼だったよ〜……じゃ、正弘頼むよ」
「わかった。容赦しないぜ」
「うん」
そして親友との組手を始める。
「――せいっ!」
短期戦に持ち込めば勝てるだろうけど、今の僕に必要なのは体力だ。
できるだけ長く闘えなければ。
―――翌朝
「……よしっ!」
眠気を吹き飛ばすべく気合を入れる。自分から早朝ランニングをするなんて、一体何年振りだろう。
「じゃあ、適当にまわって行こうかな。体力の続く限り……」
そうして僕は街中を走り出した。
「や、どうも!」
途中犬の散歩をしている人に挨拶をし、僕はランニングを続ける。
「……あっ? どっかで正弘とかに出くわすかも知れないね。
そうしたらアイツどんな顔するだろ〜」
そんな独り言を言ってた時、向こうから走ってくる人影に気がついた。
「おや、新聞配達か〜……でも、なんでわざわざ走って配っているんだ?」
普通、自転車とかバイクで配るものだろう。トレーニングでもしていない限り……。
「……ま、まさか!?」
とっさに僕は反射的に物陰に隠れた。
向こうから来る新聞配達人が目の前を通り過ぎてくれるのを待つために。
――タッタッタ……
足音が近づいてくる。僕は気付かれないよう呼吸を押し殺して隠れていた。
――タッタ……
そして、ほんのわずかの時間だけど前を通りすぎる。
(……や、やっぱり!)
その横顔は見間違うはずもない、あの榊雪那だった。
「そんな……」
物陰からそっと身を乗り出し、彼女の後姿を見る。
「夕方のバイトだけじゃなかったのか……」
これもきっと、トレーニングを兼ねてとかというやつだろう。
大量の新聞束を抱えて去って行く姿は、なんともたくましかった。
「それに比べて僕は……」
自分は彼女のナイトにはなれない。
お姫様などではなく、ジャンヌダルクのような気高さ持っているのだから。
「……やっぱり、ピエロ役ってとこかな? ああ、それと彼女の親衛隊長だね」
そうつぶやいた後、僕はランニングの続きを始めた。
(もうすぐ、って言ってたな……試合)
僕の手を借りず、彼女一人の力で勝ってほしい。
まあ、素人と思われている僕の手なんか借りようとも思っていないだろうけど。
(このトレーニング、無駄になってほしいな〜……悔しいけど)
それが、彼女にとって一番良い結果だろうから。
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