第七十九話 「道化の騎士〜そのA〜」

「――あれ?」

 その後自分の道場に帰ると、そこには正弘と涼一君がいた。

「へえ、涼一君来てたんだ。正弘にでも誘われたのかい?」
「まあな……偶然道で会ってな」
「だけど、今回も歯が立たなかったぜ。まったく、本当に訓練してねーのかよ? 疑わしいぜ」
「本当だ」
「天賦の才ってやつか? ここまでくるとギャグだな」
「そのギャグに負けてはな……」
「言ったな? よーし、もういっちょやるか」
「やれやれ……」
 
 そう言って二人は組手をする。
 相変わらず涼一君は最小限の動きで見きっていて、正弘の攻撃をかわしている。
 それは、達人に域に近いんじゃないかと思える。

「どうした、攻撃しろ!」
「……じゃあ」

――ドフッ

「うあ、地味にいたそー……」 
「の、のんきに解説すんじゃねえ……。マジに効いたぞ!」
「大丈夫か? つい……」 
「あ、ああ。いいってことよ」
「無理しちゃって〜」
「慎也、交代」
「でも、今帰ったばかりだよ?」
「どーせ遊び歩いていたんだろ。その性根、やつに叩き直してもらえ!」
「あのね……」

 彼女、榊雪那のことが思い出される。つい頼みを聞いてしまったが、本当に良かったのだろうか?

「しょうがないなあ、着替えてくるからちょっと待っててね。しかし、涼一君は私服でよく闘えるね?」
「まあな」
「それで十分だろ? 第一当たんねーし」
「そうだね」

 部屋に戻り、胴着へと着替える。
 昔は着ることのなかったこの服も、最近はちょくちょく着るようになった。

「おまたせー。じゃ、ちょっと手合わせ願おうか」
「ああ……」

 自分では、決して弱くはないと思っている。
 この道場では師範代を務めていて、父親をのぞけば一、ニを争うだろう。
 それなのに、目の前の素人には歯が立たない。

「ちょ、ちょっと待った……」
「どうした慎也、もうギブアップかー?」
「……止めるか?」
「いや、もうちょっとだけ……」

 腕は錆付いちゃいないと思っていても、自分にとって深刻なのはスタミナがないということだ。
 これは日頃の不摂生がたたったものだ。

「ぜえ、ぜえ……ギ、ギブ」

 腰を下ろし、肩で息をする。

「終わりか? ……村上と違って体力がないな」
「そうだね……。この頃は、特にそれを痛感させられるよ」
「だから練習サボるなって言ってんだよ。明日からちゃんと来い」
「……わかったよ。しばらくはマジメにやるよ」
「意外だな? ずいぶん素直じゃねーか」
「ちょっと、事情があってね……」

  よっこらしょと立ち上がる。

「でも、いきなり組手やって平然としていらるなんて、やっぱり涼一君はおかしいよ」 
「そうだな、まるっきり反則だぜ。その見た目で強いなんてよ」
「自然の罠ってやつかな」
「食虫植物とかか?」
「そうそう! 甘い匂いで油断させてってやつ?」
「おまえらな……」
「ストップ! はい、次は正弘ね?」
「て、てめ……!」

 びみょ〜に手加減のない涼一君を正弘が相手をする。
 彼が本気になれば、一体どれほどのものになるのだろう?

(彼に言わせれば、僕等は一般レベルなのかな……)

「あ、浅田! 待っ……」

――ゴッ

「あーあ、入っちゃったよ……」
「すまん……。大丈夫か?」
「う、うるせー……」

 回復を待つため、しばし休憩をする。 

「ほら、ドリンク……。と言っても、涼一君汗かいてないよね?」
「そうか?」
「スタミナも底知れねーよ。ずっと俺とやってて、息一つ切らさねえからな」
「……大して動いていないからだ」
「それを言うかな〜。はっきり言って極地だよ、そこ」
「知らんな、そんなの」
「浅田、本当に格闘技やってみたらどうだ? 絶対いい所いくぜ」
「世界に通じるかもね〜」
「……興味ない」

 その時、ふと思い出したことがあった。

「正弘、白竜館ってとこ知ってるかな?」
「なんだ? 急に」
「いや、ちょっと知り合いに聞いてね。どうもろくでもないという噂だけど」
「ああ、俺も聞いたことあるが……館長の奴は結構若いくせに腕は立つらしい。
 だが、そこにいるやつらはゴロツキもいいところで、もっぱら喧嘩空手をやってるらしいぜ」
「ふ〜ん……」

 そういうのが相手だと、いくら彼女が強くても無事に済まされそうにはない。
 第一引き抜きって言っても、ただ強さだけを買うわけじやないだろう。
 天涯孤独の彼女をいいことに……。

「どうした慎也? 珍しく考え事して」
「あのね、人をいつも何も考えていないような言い方止めてくれる?」
「違うのか? ああ、女のことか」
「ま、まあ……当たらずも遠からず」
「やっぱ、何言ってんのかわかんねーよ」

 この付き合いの長い親友に相談してみようか? だけど、なんて反応が返ってくるのだろう。

『あほかオマエ!? 他人の道場の門下生になってどうすんだよ! おまえはここの師範代だろうが!』

 ……て、返ってくるだろう。

(かといって、涼一君もなあ……)

「……なんだ瑞樹?」
「い、いや。これからもここに来るのかい?」
「そうだな……。まあ、運動不足解消にはいいかもしれんな……」
「まあ、夏休みヒマなんだろ? 遠慮しないでがんがん正弘をぶっ倒しちゃってよ」
「はっ! 望むところだぜ、なんなら毎日相手してもらいたいもんだ」
「いや、別にそこまで……」

 というわけで、この友人達には話せずに終わってしまった。


―――後日


 色々迷ったけど、結局ここに来てしまった。

「……ちわーす。あなたの門下生がやってきましたよ〜」

 道場の扉を開けると、そこには彼女がいた。

「――せいっ!」

 ほとばしる汗とともに正拳を打ち出す。この道場には似つかわしくないほどの、美しい型だった。

「……あっ!? 来てくれたんだね!」

 そう言って彼女は練習を中断して駆け寄ってきた。 

「いや、まあ……門下生になると言っちゃったしね。とりあえず来なきゃいけないかと思って……」
「ありがとう! でも、本当は不安だったんだ……もう来ないんじゃないかって」
「はっはっは……可愛い女の子のためなら、僕はどんな約束だって守るよ」
「あんたってやつは……まあ、とりあえず上がってよ。
 そうね、もう少しで一区切りつくから見学でもしてて」
「わかりました〜」

 道場の隅に腰掛け、彼女の練習風景を眺める。

「――たあっ!」

 動きもいい。白竜館の門下生くらいなんとかなるといのも、どうやらハッタリではないようだ。

(でも、多勢に無勢なんだよねぇ……)

 誰か応援を呼べないだろうか? うちの人間くらいならなんとか貸せると思うし、一応僕も……。

「ごめん! 待たせちゃって」
「いや、いいんだよ。あのさ、ちょっと聞きたいんだけど……
 白竜館との試合って、本当にキミ一人で闘うの?」
「もちろんよ。あたし一人で叩き伏せて、有無も言わせないようにするんだから!」
「はあ……だれか助っ人でも呼ぶと言うのは?」
「そんなのお断りだね。第一、あたしを助けてくれる人間なんていないよ」

(ここにいるんだけどなあ……)

「そうそう、あんたも門下生なんだから基本の型とかやってみる?」
「えっ? 僕がかい?」
「空手に興味があるとか言ってただろ? ほら、立ちな」
「はいはい、お手やらわかにお願いします……」

 彼女の指導の下に、僕は空手の基本というのを教わった。

(懐かしいなあ……昔、父さんからこんな風に教わったっけ)

 いつから自分の道場に嫌気を指すようになったのだろう。格闘技なんて、ばからしいと……。

「あんた、中々スジがいいじゃない? 結構素質あるよ」
「いやいや、雪那さんの教えがいいんだよ」

 格闘技を通じて女の子と知り合うなんて、前まではとても考えられなかった。
 だから僕は、この世界から離れてしまったのかもしれない。

「……でも、僕なんかに教えている時間はあるのかい?
 白竜館との試合のために、少しでも練習しないと」
「いいさ、オーバーワークは身体に悪いからね。休憩ついでに人に教えるなんて軽い軽い」
「あはは……」

 もう後戻りはできない。このまま素人として彼女に見せるしかないのだろう。

(でも、こうやって人に教わるってのも悪くないね〜。しかもこんな可愛い子に……)

 その子が、悪徳空手の白竜館に引き抜かれてしまうなんて黙って見ていられるはずがない。
 なんとか対処できないだろうか……?

「ごめん、そろそろあたしも練習に戻らないと……」
「うん、わかったよ。じゃあ見学させてもらうね」
「あたしの空手姿でよければね」
「それで十分! 滑らかな肢体にほとばしる汗! くぅー、いいねぇ」
「あはは……ばかみたい」

 そして彼女は自分の稽古に戻る。

「――ていっ!」

 その姿を飽きずに眺める。
 さっき言ったような不純な動機ではなく、ただ純粋に空手というものを。

(僕がこんなに熱を上げるなんて……ひょっとすると、ひょっとするかな?)

 その道場には一人の美しい空手少女と、
 今日の女の子との予定を全て断った一人のダメ男がいた。