第七十七話 「マイ・グランドマザー」

「……失礼します。奥様、正弘おぼっちゃまがいらっしゃいました」

 扉を入ってきた執事がそう言った。私は読みかけの本を閉じ、執事の方を向く。

「わかりました……。通しなさい」
「かしこまりました」
 
 恭しく頭を下げ、執事は部屋から出て行った。

「――ばあちゃん! 久しぶり」

 するとすぐに、部屋に元気な声が響いた。

「正弘、遊びに来たのかい?」
「ああ。ちょっとな」
「さあ座って……お菓子でもどうだい?」
「ああ、いただくよ」 

 向かいのソファに座り、手近にあったお菓子に手を伸ばす。

「うん、うまいよ」
「そう……、よかったわね」

 この可愛い孫の姿を見るのが、今の私の何よりの楽しみだ。

「あのさ……」
「なんだい?」
「この間の、会社の創立記念パーティだっけ? 俺、行かなくてごめんな」
「ああ、あのことかい。正弘、ああいう所苦手だったね」
「ちょっとな……。ああいう、業界の人間とかが集まるのは嫌なんだ。
 村上の人間と知ると、すぐにぺこぺこしちゃってさ。機嫌とろうってのがありありだぜ」
「いいんだよ、無理しなくたって……。
 今日会いに来てくれただけで、おばあちゃん嬉しいから」
「ごめんな……」

 この子は、うちの親類にはあまり好感を持たれていない。
 どうしようもないやんちゃもので、礼儀知らずなところもあって、
 実の親にさえも見放されているところがある。

「あっ、そうだ。この間、あの別荘に行ってきたよ」
「そう……。お友達とかい?」
「ああ。いつもの瑞樹の兄妹と、他に五人も連れていったんだぜ」
「へえ、大人数だったんだねえ。みんな楽しんでいたかい?」
「ばっちりだよ。その中に浅田ってやつがいるんだけど、こいつがまた変わったやつでさ……」

 正弘はその人のことを熱っぽく語った。
 この子がお友達のことでこんなに楽しそうに話すなんて、
 ずいぶん久しぶりのような気がする。

「――信じらんね―ぜ? 見た目はヤワそうなのに、メチャクチャ強いんだから」
「正弘……喧嘩はいけませんよ」
「いや、ケンカじゃなくて……
 そう、道場でちゃんとした試合を申し込んだから。ケンカじゃないんだ」
「それで、その彼と戦ったの? 怪我させたんじゃないだろうね」
「それが全然、俺の方が負けちゃったんだ」
「まあ……正弘に勝つなんて、慎也君くらいだと思っていたのに」
「その慎也もやられちゃったんだ。とてつもないぜ、あの男は」
「そんな子と付き合っているの? 何か無理な要求をさせられていたりしたら……」
「違うって、そういうのはないんだ。結構良いやつなんだよ浅田は。
 逆に俺達が振り回してんじゃないかな、迷惑と思ってなけりゃいいけど」
「へえ、正弘にそんなことを言わせるなんて……」

 その浅田君という少年、一度見てみたいものだ。

「今度、そのお友達を連れて遊びに来なさい。その浅田君という子も」
「えっ? いいのか?」
「ええ。正弘のお友達だもの、会ってみたいわ」
「わかった、今度連れてくるよ」

 すると、また執事が部屋にやって来た。

「奥様……正幸様もいらっしゃいました」

 そう言った時、正弘の顔が急に険しくなる。

「……アニキが?」
「はい」
「通しなさい」
「ばあちゃん!?」
「わかりました……」

 執事が出て行く。正弘はすでに立ち上がり、この部屋から出て行きそうな雰囲気だった。

「正弘、座るのですよ」
「だけどよ……あいつが来るとなると、俺はいやになるぜ」
「だめですよ、実の兄にそんなことを言って」
「………」

 しばらくして、一人の青年が入ってきた。

「お久しぶりです、お祖母様。近くまできたので、ご挨拶に参りました。それと……」

 正幸は、部屋にいる弟に冷たい視線を向ける。

「正弘、お祖母様に小遣いでもせびりに来たのか?」
「なんだと!?」
「大学にも行けない成績で、年中格闘ごっこばかり。
 将来に不安を感じるのもわかるがな、それは自らが蒔いた種というものだ」
「はっ! 大学に行った所で、アニキみたいに女を追い回しているようじゃ世話ないぜ」
「ふん……俺はやるべきことはやっている。
 経済学部でもナンバーワンの成績を誇っているのだからな。
 しいて言えばゆとりを持っているといことだ。何も考えていない貴様と違う」
「けっ、そうして正和アニキのように会社を継ぐってか?」
「そうだ。我々村上家に生まれた者は会社を継ぐ義務がある。
 正和兄さんは立派な人だ、あの若さで確かな地位に就いているのだからな。
 もちろん親の七光りだけではなく、実力を持っているからだ」
「だから、何だって言うんだよ?」
「……だが例外もある。おまえのような一族の面汚しには、平社員の椅子一つ与えないからな」
「親父みてえなことぬかしやがって……。だれがあんな会社継いでやるか!」

 もうこれ以上、二人の言い争いを聞いていたくはない。

「……二人とも、やめなさい」

 私の言葉に反応し、二人の孫は大人しくなった。

「申し訳ございません。御見苦しい所見せてしまいました……」
「はっ! よく言うぜ」
「正弘! 貴様も詫びろ!」
「言われなくたって……ばあちゃん、すまねぇ。
 アニキが来ると知ってりゃあ、ここには来なかった」
「お祖母様、この男はほとんど我が家を出た身。この家に入れる身でもないのでは?」
「いいのです。正弘は、来たいときにここに来てもいいのですから」
「ばあちゃん……」
「ふん、お優しいお祖母様の心に救われたな。運の良い奴だ」
「ありがとう、ばあちゃん。でも、今日はもう行くよ」
「そうなのかい? もうちょっとゆっくりして行けば……」
「正弘がそう言っているのです。素直に帰らせてやりましょう」
「じゃあな、ばあちゃん。それとアニキもな」
「正弘……」

 そう言って、正弘は部屋を去って行った。

「ふん、これで邪魔者はいなくなった……。さてお祖母様、折り入ってお願いがあります」

 正弘を小遣いせびりかと馬鹿にしていたけど、
 簡単に言えばこの子は自分の言ったことをしている。
 回りくどい言い方をし、どうにか機嫌を取ろうとしているのがわかった。

「――でして。今外国に出かけられているお祖父様のクルーザーを、
 一艘貸していただければと……」

 子供達を差別するつもりはなくても、やはり本音でぶつかってくる正弘が可愛い。

(……なんて、不憫な子)

 あの子は小さい時から、私にだけよくなついた。
 それは、正弘の純真さを受け止められたからかも知れない。
 多少行動に出るときがあっても、それはあの子なりの表現の仕方なのだ。
 大人なら、それを寛大な目で見守って欲しい。
 そうしていつしか、親類でもっとも仲のいいのが私となってしまった。
 実の兄でさえ、さっきのような言い争いになってしまうほどの関係なのだ。

(だけど、こんなおばあちゃんといつまでも一緒にいられない……)

 親類がだめでも、せめてお友達と仲良くしてもらいたい。私はただ、そう願いたい。


―――外


「……正弘様、もうよろしいのですか?」

 外に出ると、門の所で桐野が俺を出迎えた。

「ああ、とんだジャマが入ったからな」
「正幸お兄様がいらっしゃったのですね?」
「近くまで来たとかぬかしてたが、絶対あれは何かをせびりにきたはずだぜ?
 大方、じいさんの持ってる車か船だろうけどよ」
「正弘様は……」
「俺はただ、顔を見たかっただけだ。この間のパーティにも出なかったからな」
「そうですか。やはり、正弘様ですね」
「やはり、ってなんだよ?」
「正弘様は正弘様ということです。さあ、行きましょう。マンションまでお送りします」
「何言ってんだ……?」

――ブロロロロ……

「……小夜子様の、お具合はいかがでしたでしょうか?」
「まあ、見た目は元気そうだったぜ。去年入院していたのがウソみたいだ」

 ばあちゃんの本名は『村上 小夜子(むらかみ さよこ)』。
 ついでに夫であるじいさんは『村上 正介 (むらかみ しょうすけ)』という。
 このじいさんが現在の村上グループを取り仕切っていて、
 その兄弟息子達が社の重要なポストに就いているというわけだ。まあ、俺は興味ないが。

「入院してる間、お身体にさわるとかと言って俺を病院から締め出しやがって。
 見舞いにきて何がいけねーってんだよ……」

 車に乗ってしばらくした時だった。

「……おっ!? 止めろ!」

――キィーッ!

「どうなさいました?」
「知り合い見つけたんだよ。俺ここで降りるから、あとは勝手に帰ってくれ」
「あの……」

 車から降り、そいつの元へと駆け寄った。

「よお、浅田。またここでバイトでも始めるのか?」
「……村上か。ちょっとここで知り合いと食事していたんだ。たった今別れたところだが」
「そうか飯か……。さて、腹ごなしに運動でもしないか?」 
「運動だと? ああ、またか……」
「そう通りだ。今のところ全戦全敗だからな。一回くらい白星つけとかねえとよ」
「……まあいいさ。俺も暇だったしな、軽くならいいだろう」
「おまえの軽くはあてにならねーよ。じゃあ道場に行こうぜ、慎也もいればいいけどな」
「ああ」

 そうして俺は、浅田と一緒に道場へと向かう。

「どうだった? 海、楽しかったか?」
「……楽しかったよ。あの時は色々世話になったな」
「いいって、別によ」

(楽しかったってよ、ばあちゃん。もちろん俺もだ……)

 いつまでも、いつまでも元気でいてほしい。