日が落ちる頃、村上の別荘へと戻った俺達を待っていたのは、なんとも豪華な食事だった。
「うわー、いいんですか?」
その品々に、恵美が目を丸くして見ている。
「いいんだって〜、僕達はお客なんだから。ねっ、正弘」
「一応、ここの主人である俺に対してその態度か?」
「あっははは……」
「ま、いいけどよ。ホントはそんなガラでもねーからな」
「だね」
「やっぱオマエ飯抜き」
「ウソだって〜」
そして俺達は、それぞれ食卓を囲む。
「いっただきま〜す!」
「これだけのお食事、用意するの大変だったでしょう?」
「いえ、お仕事ですから。馴れております」
そうやって、俺達は食事にありついた。
「ねえ、村上君」
しばらく食事の場で談笑していた頃、恵美が村上に声を掛けた。
「ん?」
「村上君のお家って、何をやってるの?」
「あー、それは……」
「御説明しましょう」
「いい、俺が言う……。村上グループって知ってるだろ?」
「えっ? あの……!?」
「そう。驚いたことに、俺はそこのオボッチャマだったって訳だ。笑っちまうよな」
「そして、うちの道場の将来のスポンサー」
「聞いてねえぞ、そんなの」
「今思いついた」
「あのな……」
「ねえねえ、それじゃ将来は……?」
「あー、無理無理。オレなんて、後継ぎなんてガラじゃねーからな。玉の輿狙おうったってダメだぜ」
「そういうわけじゃないけど……。へえー、でも知らなかったなー」
「ワリぃな、説明しなくって」
「ううん、いいよ。本当は、言いたくなかったんでしょ?」
「まーな」
村上グループというのは、テレビなどを見ない俺でも知っている名前だった。
あいつがそこの御曹司だったとは、人は見かけに寄らないものだ。
「……皆様、食事が済みましたなら、お風呂を御用意してしております。
どうぞ御自由に御利用下さい。ただし、十二時以降の御利用はご遠慮いただきます」
そろそろ食べ終わる頃に、桐野さんがそう言った。
「フロか〜。よし、涼一君。ここはいっちょ、男同士の裸の付き合いでもするか!」
「お、お兄ちゃん?」
「オマエ、両刀使いだったのか……。あぶねぇ、あぶねぇ」
「言葉のアヤだって〜」
「ムキになるのがあやしいな」
「うん」
「あ、あのね。僕はただ……」
「それはどうでもいいとして……。俺は後で、一人で入らせてもらうさ。ご馳走様」
「あっ、浅田先輩……。お兄ちゃんのせいだー!」
「なんでだよ〜、大体涼一君はフロに入るからって、加奈が気にすることでもないだろ?」
「それは……その……」
「あーっ! このインラン妹!」
「両刀使いに言われたくないわよ!」
そんな騒ぎを後にし、俺は食後の散歩にでも行こうと思った。
―――外
あの後、屋台が終わったのが日暮れ前すれすれ。
海岸を探しまわったけど、高宮さんの姿は見られなかった。
「会ったからって、何ができるでもないんだよな……」
きっと、近くにはあいつがいるだろう。俺なんかが入りこむ隙間はない。
「わかってんだよ……。そんな姿見たら、さらにショック受けるくらいさ……」
それでも、彼女がここの海にいると思うと、居ても立ってもいられなかった。
『近くにある知り合いの別荘に……』
その言葉を思い出した俺は、夜中だというのにその別荘とやらを探していた。
「とりあえずここから……。それにしても、でっかいなここ……」
林を抜け、建物の裏手らしき場所に出る。
だけど、玄関とかに回ろうとせず、そこに突っ立ったきりだった。
もし、高宮さんがここに居たとしても、俺がどうこうできるものじゃない。
「そーだな……。帰って、寝よ」
――ザプン……
そう思ったとき、何か水の音が聞こえた。
「?……」
波の音ではない、これは家の中から聞こえる。
「あっ!?」
注意してみると、一箇所電気のついた窓から湯気が洩れていた。そうなれば、答は一つ。
「ふ、ふろだ。しかも……」
今度聞こえた声で、俺は硬直してしまった。
「あっ、ちょっと熱いわね……」
聞き間違えるはずもない、この声は高宮さんだった。
「えっ、そうですか〜」
「水で薄めちゃえば?」
「勝手にそんなことしていいんでしょうか……?」
しかも複数。
(こ、これは! 天が我に与えたもうた好機! これを生かさない訳には……)
見ると、窓の高さは背を伸ばせばなんとか目が届くと思われる。
(た、高宮さんの、ハ、ハダカが……)
呼吸を押し殺し、細心の注意で歩く。
――かぽーん……
なんとか、窓の下に来るまで気配を気付かれることはなかった。
(こ、この上に……!)
そう思った瞬間、己の理性の天使とやらがささやいてきた。
『いいのか? こんなことしたら、人間としてどん底に落ちてしまうぞ?
しかも、憧れの高宮さんに対して』
すると、強烈な煩悩の悪魔が負けじとささやく。
『何を考えてる? こんなチャンスは、一生に一度あるかないかだ。迷うまでもないだろう?』
そうなんだ、たしかにそうだけど。
『もしばれたら、夏休み以降ずっと口を聞いてもらえなくなるぞ。
それだけならまだいい、のぞき男としてのレッテルを貼られて、学校生活を耐えられるのか?』
……それはいやだ。高宮さんと話しをしたい。
『そんなものバレなければいい! どうせ減るものじゃないんだ。
バレなければ、彼女も自分も傷つかずに済む。
最悪見つかったとして、完全に顔を見られなければ大丈夫だ。あとは逃げ切れ』
ばれなければ……。なんて、甘い誘惑だ。
『それが好きな女の子に対する仕打ちか!? 自分の気持ちは、そんなものだったのか!?』
そうだ。俺の気持ちはそんなものじゃない。
『何を言っているんだ! 彼女は俺のことなんて気に掛けてもいない。
彼女は浅田に夢中なんだ! だったらいっそのこと……』
浅田……。そう、彼女はあいつに惚れている。これも現実だ。
『だめだ! 彼女が誰かを好きなんて関係ないはずだ。
自分はただ、純粋に好きなんだろう? こんなことをする必要はないはずだ』
『人間としての欲求にしたがって何が悪い!?
幸いここには誰もいない、夜中ということで条件は整っている。これを見逃すのか!』
『のぞきは立派な犯罪だ!』
『犯罪がなんだ! この機会を逃す方が、心に悔やまれるぞ!』
『さあ、どうする!?』
『どうするんだ!?』
『一体』
『自分は』
『どう……』
『……!』
葛藤、ジレンマ、心の板挟み。
――がっ!
その瞬間、俺は自分の頬を殴りつけていた。
(よしっ、頭が冷えた……)
「ねえ? 何か聞こえなかった?」
(や、やば!)
「気のせいじゃないのー?」
「そうね……」
(ほっ……)
俺は来た時と同じように、忍び足でその場を離れた。
「……ったく、俺ってやつはアホ丸出しだな」
誰にも見られないうちに、俺は家に戻ろうとした。
「……和泉か?」
その声が聞こえた瞬間、心臓を鷲掴みにされたような気分になった。
「あ、あ……」
逃げ出すこともできず、おそるおそる振り向く。
「やっぱり和泉じゃないか……。こんなところで、一体何をしているんだ?」
建物の影から出てきたそいつは、いわずもがな浅田だった。
「いや、その……」
「高宮からこの海にいるとは聞いていたが、こんな夜中に散歩か?」
「散歩……? ああ! そうなんだ! それでついでに、高宮さんにでも会えたらって……」
「そうか。高宮なら中にいるぞ、会って行くのか?」
「い、いや! やっぱりいいよ。俺が入り込む余地なんてないはずだから……。
浅田は、こんなところで何を?」
「俺も散歩だ」
「そ、そうか! だったら、一緒に散歩しようか?」
「えっ?」
「ほら、取り合えず海岸でも」
「まあ、いいが……」
取り合えず、なんとかその場を離れたかった。
いつ浅田が、風呂場のことに気付くか知れたものじゃない。
――サザァーン……
男二人、しかも一方は恋敵という、
ものすごく妙なシチュエーションで俺達は砂浜を歩いていた。
「……波音というのも、良いものだな」
浅田が立ち止まり、海に向かって言う。
「まあな、昼間の雑踏に比べれば、天と地の差だよ」
「いつから働いているんだ?」
「夏休み入ってすぐだよ。やってるのが親戚の家でな、手伝いとして駆り出されたんだよ」
「暑いだろう?」
「当然! 炎天下でヤキソバ焼いてみろよ、地獄だぜ」
「ああ、そうだな……」
月明かりの海。他に見える人影は、きっとカップルか何かだろう。
(何やってんだ……俺)
成り行きとは言え、浅田と二人きりになってしまった。
だけど、結構こういう場面が多いように思える。
「和泉、おまえ言っていたよな?」
「えっ? 何を?」
「俺が入り込む余地なんてないはず……と」
「あ、ああ。そう言ったっけ?」
こいつは一体、何を言いたいのだろう?
「俺もそうだった」
「そう……って、何が?」
「あいつらに入り込んでいることがな……」
「どういうことだよ? 解りやすく言ってくれよ?」
「俺は、もともと一人だった」
「ああ、クラスが一緒になった時からそんな風に思ってたよ」
「いつのまにか、周りに人が出来始めた。最初は追っ払っていたんだがな……」
「……高宮さんもだな?」
「ああ。そういえば、彼女が最初に話し掛けてきたな」
「それは前に聞いた。なんで、他人を突き放すんだ?」
この質問は、ぜひとも聞いておきたかった。
高宮さんが好きな、この男の人となりを知っておきたい。
「……贖罪さ、過去のな」
「しょくざい?」
「認めたくないが、俺はどうやらトラブルを巻き込みやすい性質らしい。
この性格になる前も、今も……な」
「な、なんだよ、それって。
つまり……それに巻き込まないために、他人を突き放すのか?」
「ああ」
「そんなの、そんなのって間違ってるだろ!?」
「………」
「トラブルなんて誰にでもあるだろ!?
そんな理由で他人を拒むなんて、オマエにそんな権利があるのかよ!」
「わかってるさ……。言われなくてもな」
「だったら……!」
「だから、もう逃げないようにする」
「えっ?」
「過去も、今も、これから先のことも……」
「………」
なんだかよく解らないけど、こいつはこいつなりに苦労しているらしい。
昔何があったかは知らないが、よっぽどのことがあってこうなったのだろう。
「……すまなかったな、俺も偉そうに言って」
「いや、いいさ」
「じゃあ俺帰るよ。考えて見れば、明日も朝早いんだった」
「ああ、またな……」
そして、俺達はその場で別れた。
――ざっ、ざっ……
砂浜を歩き、一人考える。
(あいつ、本当は良い奴なんだろうな。それに、色々な苦労をしている。
高宮さんは、それを見ているんだ……)
俺は勝てるだろうか? あいつに。
|