第六十五話 「少年と猫 (後編)」

「……ということがありました」

 そうして、彼の長い話が終わった。

「………」
「瀬名さん?」

――ガシッ

 私は、思いっきり彼の両手を握り締めた。

「かっこいー! すごいじゃない!」
「はあ……。あの、手……」
「いいのよ! 人前じゃなきゃ、抱きしめてるから」

 この言葉は冗談でもなく、本気だった。

「浅田君って、やる時はやるもんだねー」
「いえ、まあ……」
「いいのよ、謙遜しなくって。で、ミーちゃんはどうなったの? 浅田君が家で飼ってるの?」
「ああ……今はもう、いません」
「えっ? どういうこと?」 
「他の人にあげました」
「なんでっ!?」
「なんでって……、まあこれは後日談なんですけど……」


―――救出後 

 
 その後俺は、ミーを連れてそのまま家に帰った。

「さて、どうするかな……」

 家人に気付かれないよう部屋に入ると、ベットに座って善後策を考えた。

「みぃ?」

 ミーは今も、俺の腕の中にいた。

「……当然、学校は無理だな」

 もはや安心して学校に置いておく訳にはいかない。
 あの不良共は押さえられても、また他の人間があの場所に行かないとも限らない。

「とはいえ、このまま家に……、ん? ミー、おまえ怪我してるじゃないか?」
「みー」

 良く見ると、ミーの額辺りに擦り傷ができていて、うっすらと血がにじんでいた。

「さっきのドタバタでか……? いや、その前か。まったくあいつら……」
「みぃ」
「まってろ……」

 俺はポケットからハンカチを取り出した。

――キュッ

「……とりあえず、これでいいだろう。あとでちゃんと消毒するから」

 ハンカチをバンダナのように巻いてあげた。
 当然、左右の耳は出して。まあ、この形が一番固定しやすかったからだ。
 
「みぃー」
「ん? 気に入ったか?」
「みー、みー」
「そうか、良かったな……」

 その後俺は、食卓で家の人にそれとなく聞いてみた。

「……生き物を飼うのは、情操教育いいらしいな」
「何? いきなり」
「いや、さっき読んだ本でな」
「ふーん」
「でも、うちでは飼えないですよね?」
「そうだねえ……、金魚とかならともかく、犬とか猫は手間がかかるからね。
 私も店があるし、君達は学校だろう?」
「まあ、そうよね。あたしの友達で猫飼ってる子いるんだけど、
 家具を傷つけるわ、洗濯物を引っかき回すわ大変らしいわよ。
 それにメスだと、いつのまにか子供が増えちゃって……」

 やはり、飼えそうもなかった。

――バタン

 諦めた気分で部屋に戻る。

「みぃ」

 それに反応して、ミーがベッドの隙間から出てきた。

「だめだろ、人が入ってきたくらいで出てきちゃ」
「みぃ……」
「まあ、いいさ。どうせ俺もずっとここにいるからな」
「みぃー」

――ころころ……

 ピンポン球をベッドに転がし、それと戯れるミーを眺めていた。

「しかもおまえ、メスだしな……」

 溜め息のように、その言葉を呟いた。

「みぃ?」

 それに反応してか、ミーが小首を上げる。

「……いや、おまえは悪くないよ」
「みー」

 ちょうど明日は休日だ、ミーを外にでも連れて考えよう。

「にぁー……」

 ミーが小さなアクビをした。どうやらもう眠いらしい。

「そうか、じゃあ俺も寝るとするか」

 そう言って、寝むる準備を整えると。

――もぞもぞ……

 ミーはさっさとベッドに潜り込んだ。

「……一緒に寝るか?」
「みぃ」

――パチッ

 電気を消す。

「おやすみ、ミー」

(たぶん、最初で最後だろう……)

 そう思った。

――チッ…チッ…チッ……

 闇の中、時計の音が響く。そんな中俺は、中々眠れないでいた。

「………」

 横を見ると、ミーがスヤスヤと寝ている。

「みぁ……」

 軽くなでると、小さな寝言を洩らした。


―――翌日

 
 俺はミーをバックに入れて、家から遠く離れた公園に来ていた。
 
「狭い中で悪かったな」
「みぃ」

 バックから出したミーは、今もバンダナを巻いている。いたく気に入ったようだ。

「……ほら」

――ころころ……

 もう一つのお気に入りの、ヒンポン球を地面に転がした。

「みぃ、みぃ」

 相変わらず、ミーはピンポン球とじゃれあっている。

「………」

 その様子をしばらく眺めていた時だった。

「あー! ねこさんだー!」

 そう言いながら、5、6才の小さな女の子が駆け寄ってきた。

「みぃ?」

 ミーもそれに気付く。

「ねえねえおにいちゃん、ねこさんだかせてー?」

 その子は、無邪気に聞いてきた。

「……ああ、いいよ」

 そう言って俺は、ミーを抱き上げてその子に渡した。

「わぁー! かわいいー!」

 女の子は、随分と喜んでいる。

「みぃー」

 ミーも、特にいやがっている様子もない。やはり、人間がわかるのだろうか?

「あれ? なんか、へんなのあたまにまいてるー」
「ああ、それは外さないでくれないか?」
「うん、わかったー。ねこさん、おなまえはー?」
「ミーって言うんだ」
「みー」
「ミーちゃん、よろしくー」

 そして、しばらくした時だった。

「……あらあらすいません、うちの子が」

 その子の母親らしき人が現れた。となると、この親子は二人で公園に遊びに来ていたのだろう。

「あら仔猫? かわいいわねえ」

 そう言って、子供の抱くミーの頭をなでる。

「……猫、好きなんですか?」
「ええ」
「ママー、このこほしいー」
「だめよ、わがまま言っちゃ。この猫はこの人のなんだから」
「でもー……」

 その時、ある考えが頭を横切った。

「……いいですよ、お譲りしても」

 そして俺は、この親子そう言った。

「えっ? でも……」
「実は、飼ってくれる人を探していたんですよ。うちじゃだめで……」
「そうなんですか……。でも、よろしいんですか?」
「ええ、そちらがよければ」
「うちは大歓迎です。ねえ?」
「うん!」

 この親子なら、ミーを大事にしてくれるだろう。

「良かったなミー、大事にしてもらえよ」
「みぃ……」

 俺は女の子の抱くミーの頭をなでた。

「すいません。どうか、よろしくお願いします」

 俺は母親の方に頭を下げた。

「いえいえ、こちらこそ。大事に飼うよね?」
「うん! だいじにするー。ねえ、ミーちゃん?」
「みー」
 
(良かった、これでいい、これで……)

「じゃあ、失礼します」
「あ、はい」
「じゃあねー、おにいちゃん」

 そうしてその親子は、公園から去っていた。

「みぃ……」

 その時女の子に抱かれたミーが、一度俺の方に向いて鳴いた。

「………」

 俺はベンチに座り、その姿をぼんやりと眺めていた。

「……ん?」

 気付くと、足元にピンポン球がぶつかっていた。

「ミー……」

 俺はそれを拾い上げ、しげしげと眺めた。

「………」

 その間、ミーと最初に出会った頃のことが思い起こされる。

「これで、良かった……のか?」

 もしかしたら、家の人に強く頼めばミーを飼うことができたかも知れない。
 しつけだってちゃんとすれば、家に迷惑もかけることなく、上手く共存できたかもしれない。

「だめだ……もう、終わったことだ」

――ぐしゃっ!

 俺はピンポン玉を握りつぶし、ごみ箱に捨てた。

「……じゃあな」

 そして俺は、その公園を後にした。


―――現在 オープンカフェ


「――それ以来、ミーと会っていません。大事に飼われているのを願うだけです」
「うう……」
「瀬名さん?」 
「なんで……?」
「えっ?」
「なんで、そんな悲しい別れ方しなきゃならないの?」
「……仕方なかったんですよ」
「仕方なかったですって!?」

――ガタン!

 私は思わず立ちあがった。

「ふざけないで! そんな、そんな軽い仲だったの!?」
「………」

 周りが聞けば、ものすごく誤解されそうなセリフだった。

「いいわ、行きましょ」
「えっ?」
「ほら早く」
「あの……」

 私は伝票をつかんで、素早くレジを済ませた。

「瀬名さん、行くってどこに?」
「決まってるじゃない、ミーちゃんの所よ」
「しかし……。瀬名さん、お店は?」
「そんなものどうにでもなるわよ! さあ、その親子って誰?」
「いえ、名前は知らないんです」
「えっ、知らないの?」
「はい」
「しょうがないわね……。じゃあ、取り合えずミーちゃんと別れた公園に案内して」
「はあ……」

 そうして私は、強引に彼を公園に案内した。

「きっと、その親子は公園の近くに住んでいるわよ。
 周辺で猫を飼っているいえを聞き込んでいけば、きっと見つかると思うわ」
「そうですか……?」
「ええ。……浅田君、ミーちゃんに会いたくないの?」
「それは……」
「会いたいでしょ?」
「……ええ」
「じゃ、いいわね。私もミーちゃんに会ってみたいし」


―――公園


 しばらく住宅街を歩くと、そこにぽつんと一つの公園が見えた。

「……ここなの?」
「はい。あれ以来、ここには来ていませんけど……」

 滑り台、ブランコ、砂場……。どこにでもある、普通の公園だった。

「それで、あそこのベンチで……」

 そう指差すと、浅田君の言葉が止まった。

「どうしたの?」

 その様子に不思議に思い、私は聞いてみる。

「ねえ、浅田君」
「ミー……」
「えっ?」

――ダッ

 突然浅田君が駆け出した。

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

 慌てて私も後を追う。

――ザッ……

 浅田君が立ち止まる。

「………」

 その視線の先には、一つのベンチと……。

「……あ、あれは!?」

 追いついた私が見たものは、ベンチの上で丸まっているて、
 頭にバンダナの巻いている一匹の猫だった。

「……みゃ?」

 向こうがこちらに気付いたようだ。

「ミー……」

 浅田君が呼びかける。

「……みぃーっ! みぃーっ!」

――たたた……

 その猫はベンチを飛び降り、まっすぐ浅田君に駆け寄った。

「みぃー! みぃー!」

 浅田君は擦り寄ってくるその猫に手を伸ばす。

「ミー……、久しぶりだな」
「みぃー」

 そう言って、いとおしそうに抱きしめた。

「……その猫が、ミーちゃんなのね?」

 思わず感動して泣くことをおさえて、浅田君に聞いてみた。

「はい、そうです」
「みー」
「……大きくなったな。三年ぶりだから、当然か」
「みぃ」
「このバンダナ……まだしてたのか」

 その時だった。

「あの……もしかして、あの時のお兄ちゃんですか?」

 学校帰りと見られる小学生の女の子が、私達に話し掛けてきた。

「ああ。じゃあ、君は……」
「はい、私あの時にミーちゃんをもらいました」
「えっ? じゃあ、今のミーちゃんの飼い主の子?」
「あ、はい。そうです」

 なるほど、当時5、6才と言っていたから、ちょうど小学三年生くらいだ。

「その子、よくここの公園のベンチに来てるんです。なんでかなぁと思ってたけど……」

 きっと、浅田君が来ることを待っていたのだろう。三年間も、ずっと忘れずに……。

「あの、もしかしてお兄ちゃんは……?」

 その子は不安そうに聞く。

「ああ、いや。違うんだ……。ちょっと会いたくなってな」

 そう言ってミーちゃんを見る。

「みぃ」

 ミーちゃんは、それに答えるように鳴いた。

「そうですか……。あの、これからも会いに来てください。ミーちゃんも喜ぶと思います」
「ああ……」

 そして、しばらくしたあと。

「……じゃあ、君に返すよ」
 
 浅田君が今のご主人に返そうとした。

「あの、ちょっといいかな?」
「えっ?」
「私も……抱かせてもらってもいいかしら?」
「あ、はい。どうぞ」

 そして、私はミーちゃんを受け取る。

「かわいい……。このバンダナ、お気に入りなの?」
「はい、外すととっても怒るんです」

 女の子が答えた。

「みぃ」

 ミーちゃんは、彼との思いでを大事に取っていたのだ。

「……ありがとう。はい」

 そして、私は彼女にミーちゃんを返した。

「はい。あの……じゃあ失礼します」
「うん、じゃあね」
「またな、ミー……」
「みぃー」

 そして女の子は、ミーちゃんを抱いて帰って行った。

「良かったね、浅田君」
「ええ……」

 今日は、大学の講義なんかでは聞けない、とっても良い話しと体験ができた。

「あれ? 今何時……」

 ふと、時計を見てみる。

「あっ! もうこんな時間! 急げば間に合うわ、じゃあね!」
「あ、はい……」

 そう言って私は、慌てて公園を出て行った。

(浅田君、私……ううん)

 そのことを頭から追い出し、そのかわり遅刻の理由を考えた。