第六十四話 「少年と猫 (中編)」

「今日は、面白いもの拾ってきたぞ」

――こん、こん、ころころ……

 そう言ってミーの足元に転がしたのは、体育館で拾ったピンポン球だった。

「みぃ?」

 ミーはその物体に興味を持ったようだ。

「みぃ、みぃ」

――ころ……

 前足で引っかくと、その反動で転がってしまう。

「みぃー? みー」

 今度は覆い被さる様に乗っかる。

――ずるっ、ころころ……

 腹の下を抜けて、ピンポン球は転がる。

「みー、みー」

 今日は本を読まず、その光景をずっと眺めていた。

(いつまで、こうしていられるかな……)

 学校の者に、ここでペットを飼っていることが判明すれば、
 教師に間違いなく咎められるだろう。他の生徒に見つかってもそうかもしれない。
 そうなれば、今のような生活が出来なくなるだろう。

「みぃ?」
「ん、なんでもないさ……」

 そしてその予感が当たる日も、そう遠くはなかった。

「――ミー、俺だよ」

 その日も、いつものように昼休みに給食の残りを持ってやって来た。

「ミー?」

 いつもなら、来ると同時に駆け寄ってくるはずなのに、今日に限っては出てこなかった。

「……寝てるのか?」

 ダンボールを覗いてみるが、そこに姿はなかった。

「どこかに遊びにでも行ったのかな……?」

 小さいとはいえ、やはり猫。違う土地に出向くこともあるだろう。

「まあ、いいか」

 明日になれば、ひょっこり現れるかも知れない。そう思い、今回は読書だけをした。

――キーン、コーン……

「さて、行くか……」

 昼休み終了の鐘が鳴り、立ち上がった時だった。

「……?」

 地面にある排水溝に、煙草の吸殻があるのを見かけた。

(まあ、ここにも人は来るだろうが……)

 何かは知らないが、漠然とした不安を抱きながら俺は教室に戻った。

「………」

 五時間目、六時間目と、授業中ずっとその気分が続いていた。

「つまり……であるから……」

 教師の話しなど、当然耳に入らない。

(まさか……。いや、そんなこと……)

 様々な憶測が頭を飛び交うが、確証があるわけでもなく、結論がでなかった。

――キーン、コーン……

 と、授業終了の鐘が鳴った。これで今日授業が全て終了した。

(……帰りに、もう一度寄ってみよう)

 ホームルーム中、そんなことを考えていた。

「……でさ」
「うっそだろー?」

 そんな中、ふと隣りの席から雑談が耳に入った。今思えば、これはまったくの幸運と言える。

「そういやあいつらさ、校舎の裏で面白いもの見つけたって言ってたぞ」
「えっ? 何を?」
「いや、何かってだけで、教えてくんなかったよ」
「なんだよそれー」

 俺がこの話しを聞きとがめない訳がない。

「では、起立!」

 挨拶を終え、生徒達は掃除をするもの、さっさと帰るものと分かれていた。

「なあ、ちょっといいか?」

 廊下で俺は、その会話をしていた男に声を掛けた。

「あぁ? なんだよ」
「さっき、ホームルーム中に話していたことなんだけど……」
「知らねーよ、じゃな」 
「………」

――ガッ!

 俺はその男を物陰に引きずり込み、後ろ手を押さえつけて話し掛けた。

「いてぇ! 何すん……」
「いいか、質問に答えろ。このまま頚椎を砕かれたくなければ、正直に言え」

 俺は相手の首筋を押さえつけて、そのことを耳元に告げた。
 
「い、一体なんだってんだ」
「俺の質問以外には口を開くな」

――ギリッ……

「わ、わかった! わかったよ!」
「よし、ならば質問するぞ。さっきホームルームに話していた、校舎裏で見つけたものとはなんだ?」
「あ、あれは……。知り合いから聞いたけで、俺は関係ないんだよ」
「知り合い? そう言えば『あいつら』とは行っていたな、誰だ?」
「に、ニ組の岡宮と、藤間と、斉木……」
「あの不良グループか……。リーダー格は確か、永沢という奴だったな?」
「ああ、そうだよ。あいつにゃ、誰もかなわねぇよ。強いったらなんの」
「ふん……。そいつらは放課後、どこにいるか知っているか?」
「確か、旧校舎の音楽室だって……。あそこでよく、ヤニとか吸ってんだよ」
「なるほど。最後に聞くが、本当にその見つけたものが何か知らないんだな?」 
「あ、ああ! 本当だ、誓ってもいい」
「……わかった」

 こいつから、これ以上の情報も引き出せそうになかった。

――ガスッ!

 俺はその男の脇に、一発くれてやった。

「う、うう……」

 手を離し、耳元に囁く。

「いいか? このことは誰にも言うな。そして、俺に二度と構うな。いいな」

 相手の返事は聞けなかったが、俺の言葉は伝わったと思い、急いでその場を後にした。


―――旧校舎


 この校舎は、今はほとんど使われていない。
 木造で掃除もされていないので、一層廃屋の気配が漂う。

「音楽室は……」

 しかも物置がわりになっているので、色々な資材が転がっている。

「……あった」

 三階の一番奥の教室の壁に、黄みが掛かった色のプレートで『音楽室』と書かれていた。

(……しかし、まだミーがいると決まった訳じゃない)

 だが、念の為に校舎裏にも寄っていたのだが、ミーの姿は見られなかった。

「まあいい、とりあえず……」

――カチャ……

 そっとドアノブを回そうしたが、どうやら鍵が掛かっているらしい。
 だが、耳を澄ますと中に人がいる気配がする。間違いないだろう。

(なるほど……防音率が高くて、しかも内側から鍵も掛かるから、音楽室ということか……)

 感心している場合ではない、とにかく中の様子を探らなければ。

「……よし」

 俺はすぐ隣りの教室に入った。

――キィー……

 なるべく音を立てないように窓を開け、外側の縁に立つ。

「あっははは! そーれ、パース」
「キャーッチ! それっ」

 音楽室の窓を覗くと、なんとミーが奴等にキャッチボール代わりにされていた。

「みぃー! みぃーっ!」

 空中に投げ出されながら、ミーが怯えた鳴き声を挙げている。

(あいつら……!)

 思わず開いた窓から飛び出して行こうかと思ったが、
 いざとなったら向こうはミーを盾にしかねない。
 ここは慎重に行かなければならない。

「おう、そのネコに焼き入れてみっか?」
「お、いいなそれ。何個まで耐えれっかな」

 まずい、急がなければならない。

――ダッ!

 俺は隣りの教室に戻り、音楽室のドアの前に戻った。

(よし……)

――コン、コン

 俺は少し遠慮気味にノックした。

「………」

 中から何も反応がなかった。
 だが、先ほどまでの物音が聞こえなくなったことから、
 突然の来訪者に緊張している気配が伝わった。

「すいません。今日ここに、お金持って来いと言われたんですけど……」

 と、弱気な口調で言うと、中で安堵の雰囲気ができたのがわかった。

「おどろかせんな、まったく……」

――ガチャ……

 そう言って、向こうがドアの鍵を開ける。

「……あれ?」

 だが、すでに俺の姿は廊下から消えていた。

――ダンッ!

「あれ、ネコ……? ああっ! オマエどこから……!?」

 奴等がドアに引き付けられている間、俺は素早くミーを奪い返した。

「あ、浅田……!?」
「悪いな、窓から失敬させてもらった」

 そう。ノックをして声をかけた後、急いでさっきのルートで音楽室に入ったのだ。

「て、てめぇ、何しに来た!」
「何しに……だと?」

 俺は抱きかかえたミーを見た。

「みぃ、みぃー」

 ミーは俺だとわかり、嬉しそうに鳴いている。

「……この猫を助けに来た」

 そうだ、俺はそのためにここに来たのだ。

「バカかっ! 正義の味方気取ってんじゃねーよ!」
「イカレてんじゃねーの?」
「おい、やっちまおーぜ!」

 たとえミーを抱きかかえて両手が使えなくても、こんな奴等は物の数ではない。

――バキィ!

 奴等の一人が放り投げた椅子をかわし、突進して投げた当人のアゴに蹴り足を突き上げた。

――ズササッ!

 すぐさま姿勢を屈め、後ろに迫っていた奴のモップをかわしながらに足払いを放ち、
 倒れた所に腹部を蹴りつけた。

――ドスッ!

 ついでに、その横にいたもう一人の胸部に前蹴りを放つ。
 そいつは後ろに吹っ飛び、積み上げられた机を派手に崩した。

「残り一人……」

 俺はそいつに向き直った。

「永沢、お前だけだ」
「くっ……」

 俺が詰め寄ると、向こうもじりじりと下がる。

――ドン

 そして奴の背中が壁に当った。

「チョーシこいてんじゃねーぞ! てめぇ!」

――ピンッ

 すると奴は、懐からナイフを取り出した。

「いいか、脅しじゃねぇぞ? 俺のナイフさばきに勝てるヤツなんていねぇんだからな?」

 多分、今まではそうだったのだろう。奴がナイフを取り出したとたん、態度が変わった。

「てめぇ、猫もろともくし刺しにしてやる……」

 そう言って、慣れた手つきでナイフを俺に構えた。

「ふん……、やれるものならやってみろ」
「けっ! 後悔すんなよ。悲鳴あげたって、ここならだれも来やしねぇからな!」
「ああ、そうだな。好都合だ」
「なんだと……!」
 
――ダッ!

「うおおっ!!」

 そして奴は、ナイフを構えて猛然と突進してきた。

「単細胞が……」

――キィン……ッ!

 俺は避けつつ、左回し蹴りでナイフを弾き飛ばす。

「なっ……!?」

 思わぬ事態になり、バランスのくずした奴は前のめりになった。

――シュ……ガスッ!

 左回し蹴りの回転は止めず、そのまま身体ごとひねって、右回し蹴りを奴の後頭部に叩きこんだ。

「ぐあ……」

 そのまま奴は、前に倒れこんだ。

「いいか、お前の顔が利く奴等全員に伝えろ。浅田涼一に二度と関わるなとな」
「てめぇ、このままで……」

――ダン! 

 俺は倒れた頭のすぐ隣りを思いっきり踏みつけた。

「ひぃ……」

 奴が情けない声を挙げる。

「わかったか? 返事は?」
「は、はい……」

 そうして俺は、ミーを救出することができた。

「みぃ」
「……ああ、もう大丈夫だ」

 そしてその後、俺はほとんど不良から因縁をつけられることはなくなった。