第六十ニ話 「キャンパス・ライフ」

 七月の半ばも過ぎると、さすがに暑い日が続くようになった。

「……あっついわね〜」 
「もう、今更しみじみ言わないでよ」

 そんな中私は、朝から大学で夏休み前の単位取得の真っ最中だった。

「やあ、瀬名さん」

 ふと、突然目の前に男が立ちふさがった。

「あっ、マサユキさん!」

 その瞬間、隣り友人が黄色い声を挙げた。

「これから授業かい? 大変だね」

 なんともキザったらしく、当たり前のことを聞いてくる。
 その言葉遣いが、なにかしら甘ったるい感じがしてあまり好きではない。

「ええっ、そうです! マサユキさんもですか?」

 私が黙っていると、隣りが嬉々として質問に答えた。

「いや、オレは最低限の数だけ出ればいいからな。今日はもう終了だよ」
「へぇー、さすが経済学部きっての秀才ですね。言うことが違うなー」

 彼女は本気で関心しているみたい。だけど私には、ただのイヤミのようにしか聞こえないけど。

「あれっ、どうしたの? こっちを向いてくれないかな、瀬名さん」

 彼は私に注意を向けてきた。

「はあ……」

 仕方なく目線を向けると、そこには頭からつま先までブランドで固めたような男が立っていた。
 そいつ彼女が言うように経済学部一の秀才でルックスもそこそこいい、
 それでいてしかもどこぞの財閥の御曹司らしい。

「うん、やっぱり横顔もいいけど、正面から見据えた方が美しさを堪能できるね。
 さすがは我が大学のミス・キャンパスだ」

 そんなものは、去年の学園祭で男子学生が勝手に騒ぎ立ててつけられた称号だ。
 私が頼んでつけてもらった訳じゃない。

(そりゃあ、最初は嬉しかったけど……)

 おかげでそれ以来、軽薄っぽい男が何人か言い寄ってくるようになった。
 私はその度に断りつづけていたら、いつのまにか熱が冷めたように来なくなった。
 だけど、この男は違った。

「このオレが何回誘っても断り続けているなんて、キミが始めてだよ。
 一体何が気に入らないんだ? 別に彼氏がいる訳でもないんだろ?」

 この男は私がミス・キャンパスに選ばれた後に真っ先に声を掛けてきた男だった。
 私はその時会うまで、ちょっとした噂は聞いていた。
 まあ、これだけ派手な男だから耳に入らないはずもないけど。

「やあ、ミス・キャンパス。どうだい、オレと食事にでもいかないか?」

 最初は、私がどんな女か興味本位で近づいたんだと思う。
 ちなみにガールフレンドは両手の指では数え切れないほどいるって噂だ。

「いえ、結構です」

 そう断った時、この男は心底信じられないといった表情をした。
 思えばこの言葉が、彼の高いプライドに触れたのだろう。
 その後も何回かお誘いはあったが、私はその度に断った。
 彼も女友達も、どうして断るの? と聞いてくるが、私自身もはっきりしたことは言えない。
 ただ、彼の方はほとんど意地で私に声を掛けているに違いない。
 自分ほどの男が声を掛けているのに、一度もなびかない女なんて信じられない、とでも思っているのだろう。
 そんな男とは、到底付き合う気にはなれない。

「せっかくですけど……」

 私は今日も、いつも通りお誘いを断った。

「……そうかい。まあ、仕方ないな。また会おう」

 そういって彼は去って行った。こんな所だけ意外と諦めがいい。

「ねえー、なんで断っちゃうの?」

 友達が今まで何度も受けてきた質問をしてきた。

「まあ……なんとなく、好きになれないからよ」

 あまりつっこまれるのもいやなので、適当に言葉をにごしておく。

「わっかんないなー。私だったらソッコー付き合っちゃうよ?」
「あはは……」
「のぞみはさあ、彼氏いないみたいだけど……誰か好きな人でもいるの?」
「えっ?」
「うん。そうでもなきゃ、マサユキさんのお誘いをあんなに断ったりしないんじゃない?」
「そう……かな?」
「そうだよ。誰か気になっている人がいるじゃないのー? ほれほれ、白状しなさい」
「そんなー、私別に……」

 すぐに否定しようとしたが、なぜかできなかった。

(どうして……?)

 あのマサユキという男と付き合う気になれないのは、ただなんとなく好きになれないだけだ。
 ああいう、ブランドものやアクセサリーで着飾って、いい車を乗り回しているような男はどうも嫌悪感が働く。
 それでいて女性も自分のステータスの一部にしているような節があるから、好きになれないのは当然だ。
 私に声を掛けるのは、あの男のプライドが許さないだけだからだ。

「ん? どうしたの。あー! やっぱりいるんだー」
「ち、違うって。別にそんなんじゃ……」

(……まさかね)

 気になっている人がいるのかと聞かれた時、ふと浮かんだあの顔は偶然だったのか?

「それより、そろそろ教室行かないと遅れるわよ」
「あっ、そーね」

 そして、何事もなかったかのように私達は授業へと向かった。


―――午後 昼下がり


 講師が出張していたため、予定よりも早く終わってしまった。
 
「じゃーね」
「うん、それじゃ」

 友達と学食で昼を済ませ、私は一人大学を後にした。

「お店にはまだ時間あるし……、どうしようかしら?」

 当初の予定では、学校が終わった頃にお店の時間になるはずだったので、思いがけない時間ができてしまった。

「家に帰ってもすることもないし……。町中でもぶらつこうかな」

 ウィンドウショッピングでも流して行こうと思い、私はぶらぶらと歩いていた。
 昼過ぎとはいえ、週の初めの平日ではあまり人が溢れてはいない。
 
「――あら?」

 ひとしきりショーケースを眺めて店を出た後、気になる後姿を見かけた。

(……今日は平日だから、高校生は学校よね?)

 高校生だろうが中学生だろうが、
 自分みたいな大学生や専門学生みたいに時間がばらばらな人間でもない限り、
 この時間にうろついていていいわけがない。

「ねえ、もしかして……浅田君?」

 その後姿に追いつき、とりあえず声を掛けてみた。

「……?」

 無言で振りかえるその顔は、紛れもなく私の知る浅田涼一君だった。

「ああ、瀬名さん」

 私と気付いたらしく、名前を呼んでくれた。

「何してるのこんなところで? 学校は、サボり?」

 まるで、悪いことをした子供に問い掛ける母親のような口調で彼に話しかけた。

「いえ、この間球技大会があって、そのせいで休日がずれ込んだんですよ」

 と、まったく要領の得た答えが返ってきた。まあ、別にうろたえて欲しかったわけじゃないけど。

「ふーん、だからか。そういえば私服だしね」
「ええ、まあ……」
「ふーん……」
「………」
「暇?」
「えっ?」
「暇なんでしょ?」
「まあ、そうですけど……」
「じゃ、決定」
「……何が?」 
「そうと決まれば行きましょうか」
「いや、どこに……、それよりなぜ?」
「ほらほら、ぐずぐずしないの」
「あの……」

 
―――近所のオープンカフェ


「おなかすいてない? 私はもう済ませちゃったから、飲み物だけでいいけど」
「いえ、俺も……飲み物でいいです」
「遠慮しなくていいのよ、誘ったのは私なんだからおごるわよ」
「はあ……」

 結局、私がアイスティーを頼んで、彼がコーラを頼むということに落ちついた。

「でも偶然よねー、あんなところで会うなんて」
「ええ」
「ほんとは私今ごろ大学の講義出てるはずなんだけど、
 急に講師が出張していることがわかってね、お店の時間まで暇ができたのよ」
「そうですか……。お店は今どうです?」
「うん、まあいつも通りにやってるわよ。浅田君が辞めてから客層が元に戻ったしね」
「………」
「店長も、彼が戻ってくれればなあ……って連日ぼやいてるわよ。どう?」
「どう? って言われても……」
「まあ、しょうがないわよね。そう言えば前もそんなこと聞いてかしら?」
「とりあえず今の所はするつもりはありませんから、そう伝えてください」
「うん、わかった」

 会話が一区切りつき、手もとの飲み物に口をつける。

「なんかさあ……、私達が二人で話してる時って、飲み物飲んでる時が多くない?」
「まあ、そう言われれば」
「そういえばバイト最後の日も、私ぐだぐだに飲みつぶれちゃったわねー。
 あはは、ずっごいことしちゃったわ」
「はあ……、別に気にしてませんけど」
「そう言われると、がっかりした方がいいのかほっとした方がいいのかわからないわね」
「………」
「ま、いーけど」

 こんな態度を取っている私は、一体彼をどう思っているのか?

「学校はどう? 上手くやってる?」
「まあ、一応」
「私ねー、もう一回高校生に戻れたら、もっと充実した生活送れると思うんだけどなー。
 これでも昔は内気でおとなしめな生徒だったのよ」
「はあ……」
「あっ? 信じてないわね」
「いや、そう言うわけじゃないですけど……。高校生がうらやましいんですか?」
「うん、まあね。勉強とか受験とかは置いといて、友達とか部活とかあって、行事ものもたくさんあるじゃない。
 ほら、浅田君この間球技大会があったって言ったわよね?」
「ええ、それで今日が休みなんですけど」
「そういうね、みんなが協力して、楽しいことをするっていいじゃない?」
「まあ、楽しいかどうかはわかりませんが……。大学はどうなんです? 高校より自由そうじゃないですか?」
「うん……。自由っていえばそうだけど、大学って結構中の人間バラバラなのよ。
 年齢からしてそうだし、遊ぶために大学に入る人もいれば、本気で勉強したいために入る人もいる。
 サークル活動にエネルギーを注いでる人もいるわ。まあ、高校だってそういう人はいるでしょうけど。
 なんて言うのかな……、一体感というのがないような気がするわ。
 ほら、高校って、同じ日の同じ時間に学校に来て、同じ授業を受けて同じ時間に帰るでしょ。
 そこから仲間意識が目覚めるんじゃないかしら。まあ、私の個人的な意見だけどね。
 それがイヤって人もいるかも知れないけど」

 ちょっと長くしゃべってしまったので、私はアイスティーを飲んで喉を潤した。

「……ええ、俺もそうでしたね」

 と、彼が言い出した。

「えっ? 何が?」
「瀬名さんが言った言葉の、最後の所ですよ」
「えーと……じゃあ、人と同じ時間を過ごすのがイヤってこと?」
「まあ、そうですね」
「そう言われれば、浅田君はそんな感じがするしね。なんか『孤高』……ってやつかな?」
「そんな大層なものじゃないけど。でも、この頃は違う気がするんですよ」
「違うって?」
「……昔と比べれば、なんか人付き合いが多くなって、しゃべることも増えましたね。
 自分でもその変化に戸惑い気味ですけど」
「へえ、じゃあその昔とやらはスゴかったんだ?」
「いや、別に凄いとことなんてないですよ。むしろ何もなかったと言っていいくらいだから」

 そう言って彼は、おもむろにコーラにすすった。その行為がなんとなく照れ隠しに見えた。

「じゃあ、中学時代なんかはどうなの? ほとんど人と付き合わずに過ごしてたってわけ?」
「まあ……」
「心に残ってる思い出とかないの?」
「別に思い出なんて、大した物……」

 と言いかけて、何か思い出したような仕草をした。

「何、なんかあるの? 別に良い思い出じゃなくても、苦い思い出や笑える思い出、
 感動して泣ける思い出でもいいから聞かせてよ」
「ええ、まあ……。時間大丈夫ですか?」
「バッチリ! 朝までかかってもいいから聞かせてよ」
「はあ……。あのですね、あれは俺が中学二年の頃ですけど……」

 そして彼は、淡々と語り始めた。