第六十一話 「球技大会〜其の四」

 昼になると、中庭やグラウンドの隅で敷物を敷いたりして、大量の生徒が外に出て食事をしていた。

「あれは、何だったんだ? 涼一君」

 そんな中、俺を含めた他のいつものメンバーも同じように食事をしていた。 

「……何がだ?」

 瑞樹が何を聞きたがっているのはわかったが、とりあえず知らないふりして答える。

「何がじゃないだろ〜、最後のあのえらい豪快なダンクシュートだよ」
「ああ、あれか……。気にするな」
「でもね〜」
「ねえ、一体なんのこと?」
「実はね、僕のチームと涼一君のチームとでバスケの試合があったんだよ。見てなかったの、八木さん?」
「いいえ、知らなかったわ。なんだ、そんな面白そうなことがあったんだ」
「うん、まあ……。他に見てた人は?」
「私は応援してたから、ずっと近くで見てたわよ」
「ああ、高宮さんはそうだったね。他は?」
「………」
「………」
「いないみたいだね。じゃあ、みんなに説明しようか。いいかい、涼一君?」
「勝手にしろ……」

 すると瑞樹は、皆に試合の経緯を伝え始めた。

「……で、最後のシュートにより逆転負けを食らったのさ。まったく信じられないよ」
「へぇ〜、お兄ちゃんカッコわるー」
「そりゃあ悪うございました」
「それに比べて浅田先輩、無茶苦茶カッコイーです! 加奈もその場にいたかったな〜」
「それで涼一さんは、またバスケの試合があるんですよね?」
「いや……」
「浅田君は、クラスの都合でもうバスケの試合にはでないのよ」
「なーんだ、がっかり……」
「………」

 ふと俺は、その手元弁当箱をじっと見つめた。

「……どうしたの? 何かお弁当に嫌いなものでもあった?」

 それを察してか、高宮が聞いてくる。

「いや、そういう訳じゃないが……。
 わざわざこんな風に弁当を作ってきてもらって、なんか悪いと思ってな」
 
 考えて見れば、今までこんなことに思い至らなかったのが不思議だ。 

「あ…あんた、今更何言ってんの!?」

 確かに今更だろう。半ばこの生活が日常化しつつあったから、気付くのが先送りになった。

「あら、私は気にしてないわよ」

 当の高宮本人は、その言葉通り気にしている様子でもない。

「いや……」

 そうは言われても、一度気にしてしまうと中々頭から離れない。

(……前の俺なら、こんなことを考えただろうか?)

 今の気持ちを見つめ、そんな事を思った。

「いや……何?」

 高宮が、興味深げな表情で聞いてきた。

「そうだな……」

 そう言われても、何か考えがあって言った訳じゃない。
 ただ、なんとなく思ったことを口にしただけだ。

「何か、お礼でもするか?」
「お礼?」
「ああ」
「ふーん……」

 言ってしまってから、これは何かまずいと思うようになってきた。

「じゃあね、今度……」
「今度、俺が弁当を作ってこよう」

 何か面倒な要求をされる前に、俺はふと浮かんだ提案を口にした。

「えっ、浅田君が作るの?」
「まあ、そういうことになるな……」
「料理できたんだ」
「少しはな」

 俺は家でたまに、夕食とか作ったりしている。まあ、苦手ではない。

「なーにケンソンしてんのよ。たまに家で作るアンタの料理、ほとんどプロ級じゃない」
「そうか?」
「本なんか見て作ると、それに載ってる写真とまったく同じに作るから、ある意味芸術よ」
「写真じゃ味はコピーできないぞ」
「まっ、今までマズイと思うものはなかったからいいんじゃない」
「お前の料理に比べればな」
「何よー」
「……わかったから二人とも」

 見かねたのか、高宮が会話を止めた。

「じゃあ、浅田君が私の分のお弁当を作ってくれるのね。当然浅田君自身の分も作るんでしょ?」
「まあ、そうだな」
「涼一、ついでにあたしの分も作ってよ」
「そうだな……」
「だめよ、浅田君は私のために作ってきてくれると言ったんだから。
 他の人にも作ったら意味がないでしょ」
「なんでよー。いいじゃない、ねえ?」
「高宮の言うことに分があるな」
「うー……」

 ということで、今度俺が弁当を作ってくる約束を取りつけた所で昼休みが終わった。


―――放課後


『――体育委員は、決められた場所の片づけを……』

 その後、球技大会もとどこおりなく終了した。

「あー疲れた、ぐったぐただよ」
「まーったくだ。さっさと帰ろうぜー」

 一日中動かした身体を引きずり、生徒達が帰って行く。

「ねえねえ、このネットどこに持ってくの?」
「えーと、小体育館の裏の……」

 わずかに残った体育委員や生徒会の人間などが、球技大会の後片付けにいそしんでいる。

「………」

 そんな中俺は、さっさと帰るわけでもなく、
 かといって片付けの手伝いをするわけでもなく、ただその情景を眺めていた。

(こういうのは、嫌いじゃないな……)

 いつもと違う放課後。
 何かが過ぎ去った後というのは、何とも感慨深いものがあるように思う。

「さて……」

 あてもなくふらふらと歩き、中庭辺りに向かう。

(……そういえば、弁当を作る約束をしたんだったな)

 自分で口走ったこととはいえ、なんとも妙なことになったものだ。
 そして何を作ってやろうかと、メニューを考えている時だった。

「……あのう、すみません」

 と、突然声が聞こえた。

「……?」

 立ち止まり、その声の所在を確認する。

「すみませーん、助けてくさーい」

 見ると、その主は何やら花壇にうずくまり、こちらに向かって声を掛けているかのように見える。

「………」

 周りを見渡すと、視界に入る限り自分以外の人間はあの花壇の女子生徒を除いては確認できなかった。

(簡単に言えば、俺を呼んでいるんじゃないか……?)

「……何か?」

 無視しても良かったのだが、とりあえずその主に向かって聞いてみる。

「あのう、ちょっと助けてください。できれば、こちらに来て頂けると嬉しいんですけど」

 そう言われ、とりあえず近づいてみる。
 
「……どこかで、会ったか?」

 向こうがしゃがんでいるので、彼女はこちらを見上げる形になる。

「いいえ、初対面です」

 そう言って、ニッコリと微笑んだ。

「だよな……」

 確かにそうだ。しかもその体操服のデザインから、三年生だということが見うけられる。
 知っている人間のはずがない。

(それにしては、随分気安く声を掛けてきたな……)

 まあ、それはともかく。

「助けて……だって?」
「はい」

 見ると彼女は、花壇の土の上で花を手で押さえながらしゃがんでいる。

「その花か?」
「はい」

 彼女の手元を良く見ると、どうも茎が折れてしまっているようだった。

「……で、何か?」
「あのですねー、ちょっとこの花を支えてくれませんか? 添え木を付けたいんですよ」
「ああ、なるほど」

 そう言われて納得した。

(……まあ、いいか)

 断るのも面倒に思えて、俺は素直に彼女の元に寄った。

「ああ、花壇に入る時は気をつけてください」

 そう言われ、足元に注意して花壇に足を踏み入れた。

「ええと、ここを持っててください」
「……こうか?」
「はい、ええと……」

 そして彼女は、茎に細い木をつける作業にかかる。

「どうして、こんな風に折れたんだ?」

 ふと、思った疑問を聞いてみた。

「多分ですねー、この花壇にボールが飛び込んだんだと思うんですよ。
 ほら、今日は球技大会じゃないですか。それで……」
 
 なるほど。言われてみればそんなこともあるだろうと思う。

「こんな風にわざわざ補強して……、折れたんだから捨てたらどうなんだ?」

 添え木された花なんて、見た目にも美しくないだろう。

「そんなー、だってかわいそうじゃないですか?
 まだこの子はまだ、立派に花を咲かせているんですよ。
 せめて寿命をまっとうするまで、こうやっておきたいじゃないですか」
「……そういうものか?」
「そうですよ」

 断言された。

「……と、これでよしっ。あ、いいですよ手を離しても」

 そう言われて手を離すと、花はきちんと真っ直ぐ立っていた。

「へぇ……、見事なもんだな」

 素直に感心してしまう。

「ええ、私こういうの好きですから」

 こういうのとは、多分園芸一般をさしているのだろう。

「どうも、ありがとうございました」

 そう言って彼女は、立ちあがって深々とおじぎした。

「いや、べつに……」

 そんな、お礼を言われるほどのことはしていない。俺も立ちあがり、花壇の柵から出た。

「………」

 少し離れた場所であらためて花壇を見る。
 すると、随分手入れが行き届いているように見える。
 雑草一本生えておらず、枯れた花もない。

(今まで、まともに見たことなかったな……)

 そして俺は、いつのまにか隣りにいる彼女の方を見た。

「あんたが手入れをしているのか?」
「はい」
「ということは……」
「はい、園芸部員です」
「まあ、そうだろうな。……球技大会なのに、活動してるのか?」
「ええ。お花たちは、こっちの都合に合わせて待ってくれませんから」
「ということは毎日?」
「ええ、ほとんどそうですね」
「ふうん……」
「それに、園芸部といっても私一人だけですし」
「一人だって? 本当か?」
「ええ、もともとこの学校の植物を管理していたのは用務員の人だったらしくて、
 私が希望してから園芸部というのができました」
「それって、いつ頃なんだ?」
「えと……、私が入学してすぐでしたね」
「入学してすぐ……」

 つまり彼女は、三年間近く一人でこの学校の花壇の手入れをし続けたのだ。

(こんな奇特な生徒がいたのか……・)

 まあ、気付かないのも無理はないだろう。園芸という、さして目立つ活動でもないのだから。

「じゃあ、俺はそろそろ……」
「あっ、そうですね。すみませんお引止めして」
「いや……、いいさ」
「どうもありがとうございました」 
 
 そう言って、また深々とおじぎをした。

「じゃ……」

 そして、歩き出そうとする俺に。

「あの、ここのお花達どう思いますか?」

 と、聞いてきた。

「ああ、……いいんじゃないか?」

 生命が満ち溢れているみたいだ、とまでは言わなかった。

「そうですか、良かった……」

 その呟きを後にし、俺はまた目的もなく歩き始めた。