第五十六話 「藤ノ木高等学校生徒会長 月原 優(つきはら ゆう)」

 一学期末テストの三日目が終了し、いつも通り生徒会の仕事がやってくる。

「……書き直しだ」

 仕事始め早々、手渡された原稿に目を通し、素早く判断を下した。

「えっ?あ、あの……」
「文体がまるでなっていない。
 女子高生の話し言葉をそのまま文章にして、載せられると思っているのか?」
「す、すみません。すぐにやり直します!」
「次も不採用ならこの仕事は他の者にまわす、早く戻れ!」
「は、はい!」

 そしてその一年生は、慌てて席に戻って原稿を書き直し始めた。

「まったく……」

 私は手元の資料に目を戻し、自分の仕事を始めた。
 こうやって他の人間に指示を出しつつも、自分の仕事もこなさねばならない。
 生徒会長など名ばかりで、生徒と教師の間を往復する中間管理職のようだ。

(……良し、完璧だ)

 書類に不備がないか確認した結果、どこにもミスはなかった。

「私はちょっと教師に生徒会予算案の書類を提出してくる、後は頼んだぞ」

 そう言って今作成した書類を持って、私は生徒会室を出た。

――キュッ…キュッ…

 リノリウムの床が、私の靴底の摩擦の音を奏でている。
 平日の真昼間だというのに、学校内は静まり返っているのは少々無気味とも思える。

(……と、感傷的になっている場合ではないな。急がないと)

 そう思い、歩みを速めた時だった。

―――タタタ……

「あっ……!」

――バサバサッ

 階段を下りて廊下に曲がる途中で、走ってきた生徒と危うく人とぶつかりそうになった。
 衝突は免れたものの、手に持っていた書類を床にこぼしてしまった。

「気を付けないか!放課後だからといって、廊下を走るのは校則違反だぞ!」

 思わず生徒会の調子で相手に怒鳴ってしまった。
 考えてみれば、そのことに対して注意できる権限など私には無いのだ。

「……ああ、すまなかったな」

 だがその生徒は反論もせずに、素直に自分の行為を認めたようだ。

「いや、前方不注意だった私も責任はある……」

 そう言って私は床に落ちた書類を拾い出した。

「……ん?」

 すると、数枚の書類を掴んだ手が私に差し出された。

「拾ってくれたか、ありがとう」
「別に……」

 全ての書類を集め、ページを揃える。

「生徒会の予算か……」
「そうだ、別に秘密事項でもないからな。見てもらっても構わないぞ」
「いや、遠慮しておく」

 そう言ってその人物は、私の横を通り過ぎて行った。

「ふん……」

 その態度に軽く鼻を鳴らし、私も職員室に向かおうとした時だった。

「……余計なことかも知れないが。11ページの総計の金額、間違っているぞ。少し足りない」

 突然、背後から声が掛けられた。

「えっ?」

 驚いて振り向くと、すでにその人影はなくなっていた。多分向こうの角で曲がったのだろう。

「ばかな……」

 疑いつつも、その言われたページを確認してみる。

「……あっ!?」

 その一つ一つ項目を足して行くと、確かに総計の所で書かれた金額には140円たりなかった。 

(じゃあ、さっきの奴はあの一瞬で計算したというのか?)

 確かに書類を拾ってもらったのだから、中身を見たのだろう。
 だが、すぐに私の渡したのだから考える時間なんて無い筈だ。
 全部で二十項目近くある金額を全て足して行くのはかなりの暗算力が必要な筈だ。
 現にこの私でも、今ので数分ほどかかったのだ。

「何者だ?あんな奴がこの学校にいたのか……」

 しばしその場に立ち尽くすが、やがて思い出したように私は動き始めた。

「………」

 もちろん、問題を修正に生徒会室に。


―――校門前


「まったく!浅田君って、目を離すとすぐにどこかに消えるんだから」
「……別に俺がどう行動しようと勝手だろう?高宮こそさっさと帰って、テスト勉強でもしたらどうだ」
 
 校舎内で振りきったと思っていたら、校門で待ち構えられて捕まってしまった。 

「だから、今日こそ勉強教えてよ。マンツーマンで」
「あのな……」
「家がだめだったら、図書館でも喫茶店でも公園でもいいわよ」
「断る」
「あ!ちょっと待って」
 
 制する高宮を無視して、俺は歩き始めた。


―――PM 5:32 新崎家


「……あれ?」

 学校から帰ってきてしばらくした後、
 テスト勉強しようと思って鞄を開けたら一冊だけノートが足りなかった。

「参ったなあ……学校に忘れちゃったな」

 そのノートには、その教科のそれまでの課題範囲が書かれてある。
 今夜そのノートで復習しようと思っていたのだ。

「しょうがないな、取りに行くか……」

 まだ制服に来たままだったので、ちょうど良かったと言えばちょうど良かったけど。
 
「あら?制服着てまた出かけるの?」
「うん、ちょっと忘れ物しちゃったんだ。ちょっと学校に行って来るよ」

 家族と軽く言葉を交し、僕は学校へと向かった。

「そういえば、先輩なんか荒れてたなあ……」

 道の途中で、ふとそんなことをつぶやく。
 今日の生徒会の仕事で、いつだったか月島先輩が部屋に戻って来たと思ったら、
 いきなり書類やらなりやらを引っ張りだして総点検をさせられた。
 いつも以上に叱咤を飛ばし、かなりハードな時間を過ごしてしまった。

(……あの時は忙しくて考える暇なかったけど、実際何があったんだろう?)

 生徒会室を出た後だから、外で何かあったのかも知れない。

「先生にでも叱られた?まさかね……」

 先輩は三年生の中でもトップクラスの成績を維持している。
 その上、生徒会長で生徒会の仕事もこなしているから、教師達からも一目置かれている存在だ。
 まさしく才色兼備と言えるだろう。

(そりゃまあ、多少厳しい所もあるけどね)

 そろそろ夕暮れ時に指しかかった時間、僕は学校の門をくぐった。

――ガラガラ……
 
 物音一つ無い校舎の中だと、
 普段何気なくしている扉の開け閉めの音がこんなにも大きく聞こえるものかと思う。
 僕はなんとなく足早に廊下を戻った。

「……え?」

 すると、帰る途中でふと目に入ったものがあった。

「……あれは、生徒会室?」

 みんな帰ったはずの生徒会室に電気が点いていたのだ。

「消し忘れ……じゃないよな?」

 気になり、僕は生徒会室の方に足を向けた。もし教師とかだったら、挨拶してそのまま帰ろうと思った。

――ガラッ

 部屋の中央に置かれたテーブルに、大量の書類に向かって何やら仕事をしている女子生徒……

「……月原先輩!?」

 その女子生徒は、この学校の生徒会長その人だった。

「新崎か?どうしたこんな時間に」

 先輩は手を止めて、僕の方に向き直った。

「い、いえ……ちょっと忘れ物をして、
 そうしたらここの電気が点いていたから、ちょっと寄ってみたんです」
「そうか……いや、私のことは気にしなくていい。そのまま帰ってくれ」

 そう言って、先輩は書類に目を向ける。

「そういう訳には、いきませんよ……」

 この情景を見て、そのまま帰るにはあまりにも引っかかりすぎる。
 僕は部屋の中に入り、先輩の元に寄った。

「あの、どうしたんですか?生徒会の仕事は四時までだったんじゃ……」

 さっき腕時計を見たときは、とっくに六時をまわっていた。

「別に、ただの残務整理だ。生徒会長なら、このくらいの仕事もこなさなければな」
「そんな……」

 そういえば、生徒会から帰るときはいつも先輩が最後まで残っていた。
 ここの鍵を預かっているから、それは当然だろうし、
 ちょっとだけ残って仕事でもしているのかと思っていた。

「そうだ。いつもとは言わないが、遅くまで残って残業をしている」

 僕の考えを見透かされたように、先輩が答えた。

「どうしてですか?仕事が残っていたなら、僕らに言ってくれればいいのに」
「……一応規則では、こういうテスト期間では四時まで。普通日なら七時までとなっている。
 私は、まあ……会長という肩書きを持っているから、多少の融通が利くがな」
「でも、先輩……」
「いいさ、何も言うな。それに今日は……」
「えっ?」
「……いや、なんでもない」

 言いかけたことに、気にはなったが聞く事はできなかった。

「じゃあ、僕も手伝いますよ。二人でやれば早く終わるでしょうし」
「テスト勉強があるだろう?早く帰った方がいい」
「お互い様ですよ、大丈夫です」
「……勝手にしろ」

 そうして、二人で残った仕事に取り掛かり、なんとか早めに一段落をつけることができた。

「ふう……なんとか終わりましたね」
「ああ、ご苦労だった」
「これ一人でしようとしてたんですか?すごいなあ」
「別に、仕事だからな……」
「仕事、ですか」
「ああ」 

 そうして僕達は、生徒会室を出た。

――……ガチャッ

 先輩が鍵をしめ、僕らは二人廊下を歩く。

「………」
「………」

 会話も無く、ただ二人並んで歩く。
 暗い廊下の先にある非常口の緑の光が不気味に光っている。

「あの、先輩」

 沈黙に耐えきれず、僕は話しかけた。

「もうこんな時間ですし……途中まで一緒に帰りませんか?
 いや、夜道に一人じゃ何かとほら、危険じゃないかと思いますけど……」

 なんか途中でしどろもどろになってしまったけど、
 先輩は僕言わんとしていることを理解してくれたようだ。

「別にいいが……私なぞ、襲う奴などいないと思うがな」
「いや、それはないと思いますよ」

 才色兼備というのは伊達じゃない。

「第一まず私は、この鍵を職員室に返さねばならないからな」
「あ、そうですか?じゃあ、僕校門の所で待ってますよ。それじゃ」
「ああ、わかった」

 そう言って僕は、揚々とした気分で一人その場を後にした。