第五十二話 「聞きたいこと」

「……なんだ?」

 私の視線に気付いたのか、涼一さんがこちらを向いた。

「い、いえ……別に」

 目が合ったのが気恥ずかしくなり、私はテキストに視線を戻した。
 今私達は、涼一さんの自室で勉強をしている。
 その部屋には、涼一さんと、私と、高宮さんがそれぞれ同じ英語の勉強をして過ごしていた。

「………」

 また、ちらりと涼一さんを見てしまう。
 彼は教科書をパラパラと見ているだけで、
 テキストやノートを開いて何かを書いたりはしていなかった。
 たまに教科書を閉じて、何か考え込んでいるくらいだった。

「あの、涼一さんはその勉強方法で頭に入るのですか?」

 言ってしまった後、失礼な聞き方だったかもと思った。

「ああ……第一、勉強なんてする必要もなかったんだが」

 けど、特に気にする風でもなく、涼一さんはまた教科書を閉じた。
 涼一さんは、成績の上では決して良くはないらしいけど、
 実際はかなり勉強ができると聞いている。
 なぜ、本気でテストに取り組まないのかと聞きたいけど、
 それは個人の思想の上に成り立つ何か理由があるかもしれないので、私は聞こうとはしなかった。
  
「それだけできるのに、どうしてテストはちゃんと書かないの?」

 と思っていたら、高宮さんが私が考えていたことを聞いた。

「……前に言わなかったか?ただ、目立つのは嫌いだからだ……
 進級できる程度の点を取っていれば、それでいいと思っている」
「本気を出せば、学年トップも簡単なわけ?」
「多分な」 
「へえ……」

 この言葉が本当なら、すばらしい頭脳の持ち主ということになる。
 それなのに活用しないのは、やはり勿体無いと思う。

「でも、それが涼一さんの考えなんですよね」
「まあ……な」

 私の言葉に、涼一さんは軽くうなずいてくれた。

「ふうん……じゃあ、この問題は?」

 高宮さんが、自分の英語のテキストブックを指差して、涼一さんに見せた。

「……この文法の応用が、教科書に載っていただろ?
 『let him have the job of painting the house』
 だから、答えは『彼に家のペンキ塗りの仕事をさせる』……だ。」

 涼一さんは少し見た後、さらりと回答した。

「ねえ、合ってるの?」

 そして高宮さんは、私にその個所を見せた。

「あ、はい……多分それでいいと思います」
 
 私は自分のテキストを見ながらそう言った。
 その和訳の個所は前にやっていた所なので、答えが書いてある。

「へえ、さすがね」

 そうは言っても、さほど驚いた風ではないようだった。

「じゃあ、ここは?」
「自分で解け。そのための勉強だろう」
「勉強するから。せめて、解き方でも教えてくれない?」
「……まったく」

 そうして涼一さんは、渋々と言った様子で教え始めた。

「ねえねえ、この問題は?」
「だから……」
 
 聞かれる度に、素っ気無くともちゃんと答えてくれる。

「………」

 私はその様子を、勉強もせずに見ていた。

(やっぱり……私はここに居るべきじゃ、なかったかも……)

 その雰囲気から、自分がいかに場違いな存在だということが思わされる。

「そっかー、なるほどね」
「本当に理解しているのか?」
「ええ、先生が優秀ですから」
「まったく、よく言う……」

 涼一さんがそう呟いて顔を背けた時。その光景を眺めていた私と、また目が合ってしまった。

「あ……」
「ん?北村も何か、聞きたいことでもあるのか?」
「い、いえ。そんな……」 
「北村さん、遠慮なく聞いたら?」

 そう言われた時、私は自分のテキストにある場所で、
 どうしていも解けない個所があったのを思い出した。

「じゃあ、あの……ここを」

 急いでその個所の載っているページを開き、涼一さんに差し出した。

「………」

 それを受け取り、黙って問題を見つめている。 

「ご迷惑で、なければ……」
「できたぞ」
「え?」 

 返ってきたテキストには、回答と、丁寧な説明が添えられていた。

「あ、ありがとうございます!」 

 それを見て、私は感謝の気持ちで一杯になった。

「……感謝されるまでも、ないと思うが」
「そういう訳じゃないのよ、普通わね」

 そう言って、私に向かって軽く片目をつぶって見せた。

(高宮さん……)

 私は心の中で、お礼を言った。
 
 そうやって、勉強の時間は過ぎて行った。

「………」

 涼一さんはすでに、机に座って自分の読みたい本を読んでいる。

「ねえ、ここは?」

 聞かれた時だけ、勉強の手ほどきをするというのが続いていた。

「ああ、これは化学式から見ると……」

 私も何箇所か教えてもらっていたが、この勉強の間に、とあることが気になっていた。

「………」

 ふと、ベッドの方に視線を向ける。
 その下には、さっき涼一さんが取り出した白い箱がしまってあった。

(あれは……一体?)

 恵美さんも知らないと言っていた、涼一さんのプライベートな部分。 
 気にしてはいけないことは、自分でもわかっている。
 でも、頭ではそう思っていても心は違っていた。 
 誘われた時、この部屋で私が知らない涼一さんの何かが見れるのではないかと、
 内心期待もしていた。もちろん、勉強も目的だったけど。
 涼一さんと一緒に勉強できるだけでも、嬉しくてたまらなかった。

(でも……あの箱はなんですか?なんて、聞けるはずがないし……)

 涼一さんはつまらない物だと言っていたけれど、本当は大事な物かもしれないし、
 見られたくないものかもしれない。
 ベッドの下にしまっているくらいだから、そういう物だと思う。
 この部屋に来てから、しばらくは気にしなかったけど。
 さっきちょっと思い出してから、そのことがずっと頭に引っかかっていた。

「あ、そうだ。恵美に教科書借りてこなきゃ」

 すると、高宮さんが立ち上がった。

――パタン

 そして、そのまま部屋から出て行った。

「………」
「………」

 部屋には、私と涼一さんの二人きりになってしまった。
 でも、涼一さんは相変わらず何かの本に目線を向けている。

(高宮さんは、すぐに戻ってくるはず……)

 この機会は、もう殆どないことだと思う。そう考えた時、
 私は心に思っていたことが口から出ていた。

「涼一さん、あの……ベッドの下の箱はなんですか?」