第四十四話 「涼一と和泉君」

 体育も終わり、後はホームルームを残す所になった。

「はあ……」

 机の上で、ため息が出る。

「何、暗い顔していんだ?和泉」

 すると、前の席に座っている吉岡がこっちを向いてきた。

「別に……」

 横を向いて、素っ気なくあしらった。

「どーせ、高宮さんがらみだろう?」
「そ、そんなんじゃねーよ」

 内心の動揺を隠しつつ、クールに装う。

「止めときなって……高嶺の花だぜ。それに、あの浅田にぞっこんだし」
「わかってるさ、だけど……」

 先程の情景が思い起こされる。両手にケガをしながらも、不良五人を軽くあしらったのだった。

「たしかに、高宮さん美人だけどな。相手が悪すぎるよ……別に、学校には他にも女がいるんだしさ」
「……うるさいな!」

 思わず、声を荒げてしまう。

「そこ、何してるの!ホームルームくらい静かにしなさい!」

 そのせいで、御崎先生に怒られてしまった。

「ばか」
「わるい……」

 吉岡も大人しく前を向き、俺も大人しく机にじっとした。

(高宮さん……)

 横目で、窓際の彼女を見た。

「浅田……君、ちょっといいかな?」

 ホームルーム終了後、俺は浅田の元に寄って行った。

「あら、和泉君。どうしたの?」
「高宮さん……!あ、いや……浅田君。良かったら、一緒に帰らないか?」
「えっ、和泉君って……浅田君と親しかったの?」
「あ……いや、まあ……」
「ありがとう!これからも仲良くしてあげてね。浅田君大丈夫よ、彼は良い人だから」

 なんとも、複雑な気分である。

「ああ……知ってるさ」

 意外なことに、浅田はそれに同意した。

「じゃあ、今日は私先に帰るね。ばいばーい。怪我、お大事に」

 そう言って、嬉しそうに教室から出て行った。

「さてと、俺も帰るか……どうしたんだ?」

 浅田に話し掛けられた時、俺は教室の壁に頭を立て掛けていた。

「あ、いや……なんでもないよ。じゃあ行こうか?」
「ああ……」

 そうして、浅田と一緒に帰ることに成功した。
 無口で人付き合いが悪いと思っていたから、こう上手くいくとは意外だった。

(ただ、高宮さんが……)

「……どうした?和泉」
「ん、いや。別に……」

 さっきから二人で並んで帰っているが、何も話しのキッカケが掴めずに、無言状態が続いていた。

(キミって、みかけより強いんだな〜!)

 わざとらしい。

(今日のテストびっくりしたよ!あの教師、くやしがって帰っちゃったな)

 ……これもだめだ。

(怪我……大丈夫か?)

 これが無難かな?

「け……」
「何か、用があったんじゃないか?」

 言う前に言われてしまった。だが、そんなことにはくじけない。

「あ!うん……そうなんだ、浅田……君。あの……」
「……言いづらいなら、浅田と呼び捨てで構わないが」
「じゃあ、浅田!キミは……キミは……」

 高宮さんとの仲は、どうなっているんだ!……なんて聞けない。
 あまりにも、負け犬っぽいセリフだし……

「……そういえば。どうしてあの時、俺を助けようと思ったんだ?」

 すると、浅田の方から聞いてきた。あの時とは、体育の時間のことに他ならない。

「あ、いや……どうしてかな?」

 そう言われると、なんであんなことをしたか、良くわからない。
 憎き恋敵なハズなのに、どうして助けようなんて思ったのだろう?

「でも……別に、助けなんていらなかったし」

 むしろ、俺は邪魔をしたんじゃないかと思える。
 浅田があんなにケンカに強いなんて知らなかった……
 いや、なんとなく噂は聞いていたが、到底信じられなかったし、
 第一今は、ケガをしているじゃないか。

「そういえば、ケガ……大丈夫か?」
「……まあな。ちょっと今は、安静にしておかなければならないがな」

 浅田が、手の平を見詰める。その表情は、どこか寂しげだ。

(なんだよ……ちょっとカッコ良くて、ケンカが強くて、頭も良くて……)

「……って、だめじゃん!俺、勝てる訳ねーじゃねーか!」

 その答えに絶望し、両手で顔を覆って空を仰ぐ。

「何を言いたかったのかは、知らないが……」

 その様子にお構いなく、浅田は淡々としゃべる。

(待てよ!こいつは、こんな風に無口で、冷たくて、
 情熱も、優しさのカケラも見られないじゃないか!)

 それならば、俺にもチャンスがあるかも知れない。
 いずれ、高宮さんが浅田の性格にうんざりして、愛想を尽かしてしまえば……

「……あんな風に、助けられたのは始めてだ」
「えっ?」
「この頃、ああいう輩に絡まれるのが多くてな……大概は一人で片付けた」
「ああ……」

 なんか、平然とすごいことを言っているよ、この男は。

「だが、痛い目に合うかも知れないのに、
 それでも助けようと思ってくれたのは君だけだ……すまなかった」

 その言葉を言った時、浅田の横顔は、いつもの無表情とは違う気がした。

「あ、いや別にいいんだよ……ははは」

 そんな風に言われると、さっきまであんなことを考えていた俺は、
 なんとなく居心地が悪くなってしまう。

「……そういえば、あの時殴られた頬は大丈夫か?」
「うん、いや!大丈夫。なんてことないよ!じゃあ俺、家あっちだから……じゃ!」

―――タッタッタ……

 そう言って俺は、強引に浅田と別れた。駆け足になって、その場から逃げ出す。

「はあ、はあ……」 

 しばらく走り、体力が続かなくなって立ち止まった。

「高宮さん……俺、バカなんでしょうか?」

 なんとなく、そんな言葉が口から出た。


―――1年前の入学式


「えっと、一年B組……一年B組」

 始めてこの学校に来たあの時、俺は自分の教室を探していた。

「どこだよ……この学校広すぎるよ」

 無駄に廊下をウロウロと歩き回る。
 こんなことなら、恥ずかしがらずに姉ちゃんと一緒に学校にくれば良かったと思っていた。
 一つ年上の姉もこの学校である。

「誰かに、聞くしかないかなあ」

 と思って、辺りを見渡しても誰もいない。
 入学式ということもあり、緊張して早く学校に来すぎたせいだった。

「あっ……!」

 すると、廊下の向こうから一人の女子生徒が歩いてくるのが見えた。

「はぁ……」

 近づくにつれて、その人の姿がハッキリとわかる。
 その風体や物腰、中学生とは違う、大人のイメージが漂っていた。もちろん、美人。

「あ、あの……」

 思わず、俺は話し掛けていた。

「こ、この学校に入学した一年生ですけど……い、一年B組はどこでしょうか!?先輩」

 緊張し、言葉も震える。

「先輩……?」

 だが、なぜか怪訝な表情をしている。尋ね方がおかしかったのだろうかと、心配していると。

「ふふっ……やだ、あたしもあなたと同じ一年生よ」

 と、言った。

「ええっ!そうなの!」

 俺は、驚きの表情を隠せなかった。すると、恥ずかしさも込み上げてくる。

「ちなみに、あたしも一年B組なのよ」

 その言葉に、踊り出したいような気分になった。さっきの恥ずかしさも、どこ吹く風。

「あ……じゃあ、悪いけど連れて行ってくれないかな?」

 それならばと、言葉を変えてもう一度尋ねてみた。 

「それは……残念だけど、できないわ」

 と、断られてしまった。

「な……なんで?」

 ショックを受けつつ、理由を聞いてみる。

「だって……あたしも、探していたところだから」

 彼女はそう、冗談っぽく、笑って言った。

「あ……そうなんだ、それなら仕方ないね……ははは!」
「ふふふ……ごめんなさいね」
「いや!いいんだ、それなら一緒に探そうよ……
 そうだ、自己紹介まだだったね。俺の名前は、和泉敏樹」
「あたしは、高宮美紀……よろしくね」
「高宮さんか……一年間よろしく!」
「こちらこそ、よろしくね」

 ……それが、最初の出会いだった。
 それから一年間、ごく普通の友達って感じでやってきた。
 良くも悪くもない、普通のクラスメートという感じだった。

「二年生も一緒!よっし、次こそは!」

 そして進級し、クラス替えの張り紙を見て、俺は自信に溢れていた。
 またも一緒のクラスになれたのである。これは、運命的と言っていいのではないか?と。

「浅田……?誰だよ、それ」

 その時になって、始めて浅田のことを知った。

「ほら、自分の席で孤独に座ってるアイツ」
「へぇ……で、それがどうしたんだよ?」
「本当に知らないんだな、アイツ……結構女子にモテるって噂だぜ」 
「あっそ、だから?」
「……まあ、いいや。それより、担任になった御崎先生!美人だよなー」 
「そうそう!やっぱり、オトナって感じするよなー!」
「へっ……まったく、そんなこと」

 正直、そんなことはどうでも良かった、俺は高宮さん一筋だから。

「高宮さん……一人で出て行った。チャンスだ!」

 そして、しばらく様子を見て、高宮さんが一人きりになるのを見計らっていた。
 自分が手紙やら伝言やらで呼び出せば言いのだが、照れくさくってそれができないでいた。

「屋上に向かっている……よしっ!人気もないし、ムードもばっちりだ!」

 その時は、どうして高宮さんが屋上に向かっているのか、考えもしなかった。

――ギィ……

 高宮さんが扉を開けて屋上に入り、俺もその後に続いて入ろうとした。

「……あれは!?」

 すると、鉄の扉を開けた向こうには、ベンチに座る高宮さんと浅田の姿だった。

「なんで……」

 ハンマーで頭を殴られたような衝撃を覚え、呆然としてその光景を見る。
 ベンチで高宮さんは、何やら楽しげに話し掛けている。

「嘘……だろ」

 俺は、階段へと引き返した。一段一段下りるその感触が、なんともおぼつかない。

『アイツ……結構女子にモテるって噂だぜ』

 同級生のその言葉が頭に浮かぶ。
 考えて見れば、今、高宮さんの席の隣りには浅田がいたのだ。
 そう考えると、高宮さんが目移りしてもおかしくはない。

「……俺は、一体なんだったんだ?」

 俺達はただの友達、クラスメートだった。
 そう考えると、高宮さんが俺以外の男と仲良くなっても不思議じゃなかったんだ。
 ただ、俺が遅かったんだ。

「そうだ……遅かった!」

――ガンッ!

 とりあえず、手近にあった壁を殴る。

「もっと早く……つかんでいれば……」

 拳に力がこもり、歯も食いしばる。
 
「……何を掴むのかね?」
「あ、先生」
「校舎はもっと大切に扱いなさい。ただ怒りを発散する道具ではありませんよ」
「す、すみません……」

 なんて、俺は不幸なんだろうと思った。

 そして、いつの間にか高宮さんは、弁当を作って浅田に食べさせるという仲にまでなっている。
 だが、それ以上進展したという噂は聞かない。
 良く、休み時間なんかに浅田の周りに友達らしき人達が集まるが、その中にも女子はいる。
 中に見知った人がいるのには驚いたが・……
 特定の女子と付き合ったりしてはいないのだろうか?と思うと、なんてナンパな奴……
 と考えてしまうが、今日接近して会話をした結果、そんな性格には思えない。
 女子にはモテるが、自分から言い寄ったりはしないのだろう。

「そう思うと、なんてうらやましい奴……」

 何もしていないのに、女子が寄ってくる。一度でいいからそんな体験をしてみたいもんだ。

「だけど……」

 昨日までは、浅田は憎き恋敵、女性を惑わす悪魔かと思っていた。だが……

『……すまなかった』

 浅田のセリフを思い起こす。俺は、あんなことを言われるとは思っていなかった。
 あの瞬間、浅田にあったイメージが崩壊した。

「そんな……悪い奴じゃないのかな」

 実際そうだろう、浅田は何もしていない。
 高宮さんから言い寄ったのだ、それは皆が知っている。
 うちの女子も、高宮さんが上手く近づいたなどと、陰口を叩いたこともある。

「だが、浅田との仲はそれほど進んでいないはず……
 ならば!俺にもチャンスがある!待っててくれ高宮さん、俺がキミの目を覚まさせてあげるよ!」

 俺は、高々と右手を掲げた。

「くすくす……やーねえ」

 その時、俺の姿を目撃した通行人のオバちゃんが笑っていた。