第四十三話 「両手を縛られた獣」

 五、六時間目は体育だった。グラウンドに出てサッカーの授業を行うのだったが、
 この手の怪我を理由に、俺は着替えもしないで木陰で堂々と見学をしていた。

「おらあっ!サイドがガラ空きだぜいっ!」
「ちっくしょお!上がれ上がれぇー!」

 クラスの男達は、一生懸命グラウンドを走り回っている。
 砂埃を上げ、一つのボールを追い掛け回している。

「………」

 俺は、両手を見詰めた。

(まあ……サッカーくらい、できない訳じゃないがな……)

 そう思いつつ、包帯のほつれを直す。

「必殺うぅぅ……シュートぉおおおお!」
「させるかあっ!!」 

――バシッ

「何いっ!」
「はっはーっ!この俺からゴールを奪うなぞ、百万年早いわあ!」

 いつもながら、元気な奴等だ。俺はその様子を何となしに見ていた。

「暇そうね、浅田君」

 気付くと、体操服の高宮が木のそばに立っていた。

「……別に」

 顔も見ずに返事をする。

「ふふ、残念ね。せっかく同じグラウンドでの体育だったのに、浅田君の勇姿がみられなくて」
「……それはお見せできなくて、すまなかったな」

 少しばかり皮肉を込めて返す。いつからだろう、こんな会話をするようになったのは。

「あの後、なんとなく皆ばらばらになっちゃったけど。どこにいたの?」
「パンを買って、外で食べた」

 北村と一緒だったとは言わなかった。

「ふうん……あのね、恵美と話し合った結果、浅田君の判断に任せることにしたの。
 それでどっちがいいのかなって」
「別にどうでもいいが……」 

 こんな判断を任されても困る。

「じゃあね、私考えたんだけど。食べやすいサンドイッチとかはどうかな?
 お箸さえ使わなかったら、大丈夫でしょ?」
「……ああ」


―――グラウンド中央


  さっきから向こうで、浅田と高宮さんが何やら話している。 

「それー、いったぞ!」

 それが気になって、おかげでサッカーに身が入らない。

「何話してんだろう……」

 当然ここからじゃ、会話が聞こえるはずがないけど。

「和泉!いったぞー!」

 あの浅田と……

「……え?」

――ボスッ!

 突然、ボールが俺の顔面にヒットした。

「いててて……」
「ばーか、何ぼーっとしてんだよ」
「い、いや」 
「どうせまた、高宮さんに目がいってたんだろ?」
「な、何言ってんだよ!」
「あ……鼻血出てるぜ」
「え?」

 痛む鼻に手を近づけると、ぬめりとした感触があった。

「あ、本当だ」
「まったく、保健室でも行ったらどうだ?」
「お言葉に甘えて……じゃあ、あとよろしく」
「ああ、別にオマエがいなくても試合に影響ないからな」
「なんだと!」
「ジョーダンだって」
「まったく……」

 その場から離れる時ふと見ると、高宮さんは浅田の所から離れる所だった。

「実際どうなんだろう、あの二人……」

 この頃急速に接近した二人。
 周りから見る分には、高宮さんの方が積極的にアプローチしているみたいだ。

「そんでもって、お弁当を作って……・あああっ、もう!」

――ガン、ガンッ!

 下駄箱を叩き、一人嘆く。

「君、何しているんだ?」
「あ・……いえ、ちょっと体育で顔にボールぶつけて。
 その……鼻血がでちゃって、今から保健室に……」
「授業中だ、静にしなさい」
「はい……」
 
 たまたま出くわした先生に注意されつつ、俺は鼻を押さえながら保健室に向かった。

「……ちょっと、鼻の内側が傷ついただけね。しばらく、頭を前に傾けていなさい」
「あ、はい」
 
 詰め物をしてもらい、俺は言われた通り頭を傾けた。

「ボールをぶつけたんだって?」
「ええ。今、体育でサッカーしているんです」

 詰め物のせいで鼻声になるので、少し情けない。

「そう……あ、クラスと名前を聞かせてもらえるかしら」
「『和泉 敏樹(いずみ としき)』、二年D組です」


―――グラウンドの端の木陰


 さっき、一人男子がグラウンドから出て行った。
 顔を押さえていたので、大方ボールでもぶつけて鼻血でも出したのだろう。

「………」

 じっと、サッカーの光景を見ているのも飽きてきた。
 文庫本でも持ってくれば良かったが、あいにくこの手じゃページをめくるのも労力がいる。

(一眠りするか……)

 そう思って、体勢を変えた時だった。

「おい」

 不意に声を掛けられた。見ると、ガラの悪そうな男子生徒が四、五人立っていた。

「二年の浅田だろ?ちょっと付き合ってくれや」

 不良達のお誘いらしい、その態度から平和的な解決は出来そうになかった。

「へへっ……怪我したって噂、本当らしーな。体育もサボってやがる」

 もう一人が、俺の手に巻かれた包帯を見る。

「……なんだ、おまえら」

 一応、尋ねてみる。

「けっ、そんなのどーだっていいだろ。何も言わずにとっとと付き合えや!」

 俺が今両手が使えないから、叩き潰す絶好の機会という訳だ。
 短絡的なこいつらが思い浮かびそうなアイデアだ。

「退屈していたんだ……いいだろう」

 そいつらの目を見ながら、ゆっくりと立ち上がった。

「う……こ、こっちだ」

 その気配に怖気つつ、そいつらは囲むように俺を連れて行った。


―――保健室前


「……ありがとうございました」

 たかだか鼻血で、ずっと休んでいるわけにはいかないので、
 しばらくして保健室から出てきた。

「みっともないなあ……早く、止まらないかな」

 ひりひりする鼻を触る。まだ、詰め物はしていた。

「早いとこ、グラウンドに戻ろう……あれ?」

 廊下の窓から、数人の生徒が歩いているのが見えた。

「こんな時間に……俺も人のこと言えないけど」

 気になったのは、その中に見知った人がいたような気がしたからだ。

「……浅田?」

 まさかと思った。でも、ちょっと気になった。

「う〜ん……まあ、いいや。ちょっとだけ見てこよ」

 俺は急いで昇降口に向かった。校舎を回って、先程見かけた場所に向かう。

「……あ!」

 中庭の影になる部分に、そいつらはいた。

「やっぱり……」

 浅田が、他の生徒に取り囲まれている。どう見ても、穏やかな雰囲気じゃない。

「こんな状況で、随分余裕だな?おい」
「……いつまでも、そのスカしたツラできると思うなよ」

 とてつもなくやばい状況だ。今にも、ケンカが始まりそうだ。

「でも、浅田は……」

 そうだ、たしか両手をケガしていたんだ。
 だから、さっきの体育を見学していたんだっけ。

(ということは、このままやられる……ラッキー!)

「……じゃないだろ」

 俺は、そいつらの前に飛び出した。

「お、おい……何してるんだ!」

 ちょっと言葉がどもったのは、緊張してるせいじゃない。
 鼻に詰め物してるせいだ・・…きっとそうだ。

「……なんだ、てめえ?」

 突然現れた俺に、少しびっくりしたように見詰める。

「一人を相手に……しかもケガしてるのに、そんな多人数で卑怯じゃないか!」

 首筋に汗を感じるのは、天気が暑いせいだ。ここが日陰なのは、この際置いておこう。

「何、正義感ぶってんだ?コイツ、バッカじゃねーの」
「見ろよ、鼻に詰め物してるぜ。鼻血出してやがるよコイツ!」
「ハハハハハッ!」

 先生を呼んできた方が良かったかも……なんて思っていない。

「テメエも、やられたいか?ん?」

 そのうちの一人が寄ってくる。上背があって強そうだ。

「い、いや……」

――ビシッ!

 その瞬間、左の頬を殴られた。そのショックで、よろよろと倒れそうになる。

「……これで勘弁してやる。とっとと消えな」

 そうして、その男は後ろを向けた。他の奴等もニヤニヤと笑ってこちらを見ている。

「だ……だめだ!」

 俺は断った。本当は逃げ出したかったが、この状況を黙って見過ごすなんてできない。

「聞き分けのないガキだな……おい!ウォーミングアップ代わりに、こいつをやっちまおーぜ!」
「へっ……バカな奴だ」

 そして、三人ほど寄ってくる。まずい……どんどん泥沼にはまって行く。

(ああ……どうして、こんなことになっちゃたんだろう)

「すまなかったな……こんなゴタゴタに付き合わせて」 

 その言葉は、浅田が言ったものだった。

「えっ?」

 と、言った時は。すでに不良の二人が地面に突っ伏してした。

「なっ!てめえ……」

 こちらに寄ってきた三人が降り返る時、浅田は息をつかせぬ早さで、三人を薙ぎ倒した。

「……たとえ手が使えなくても、肘や脚がある。そんなのも判らないのか」

 そう呟いて、こちらに寄ってきた。

「あ、あの……」

 何を言ったらいいか判らず。ぼけっと突っ立っていると、浅田は俺の横に来て。

「用は済んだ……グラウンドに戻ろう」

 と、言った。

「う……うん」

 俺はただうなずいて、着いて行くしかなかった。

(まるで、牙を隠した獣みたいだ……)

 能ある鷹は爪を隠す、というが。この時は、その言葉は当てはまらないような気がした。