第四十一話 「スリーピング・テスト」

 翌朝、医者に寄ってきたので、学校には二時間目から登校することになった。
 恵美も付き添いたいと言っていたが、医者に行くくらい、一人でいいと言って断った。

(しかし……)

 俺は、今着ている学生服を見詰めた。
 今朝着替えをしたが、両手が不自由なのは予想以上に困難な作業だった。
 靴紐も満足に結べないだろう。
 今の両手は、包帯でぐるぐる巻きになっているので、まるでボクサーのようだった。
 医者いわく、ここしばらくは安静とのことだった。
 箸も鉛筆も持てないので、これからも苦労するだろう。

――……ガタンッ

 下駄箱の上履きを取るときも、怪我した手が邪魔になる。
 火傷の少ない手の平の下部で、挟み込むように靴を持ち上げた。


「あ!浅田君、恵美に聞いたわよ……災難だったわね」

 教室に入り、自分の席に近づくと高宮が話し掛けて来た。

「まあな……」

 そう言って、俺は席に座った。

「その手じゃ、何かと不自由でしょう。遠慮しないで、なんでも言ってね」
「……ああ」

 するとチャイムが鳴り、次の授業が始まった。
 入ってきた担当教師を見ると、どうやら教科は数学らしい。

「起立!……礼」

 だが、俺はいつもノートなど取らず、
 授業もろくに聞いていないので、両手が不自由だろうとあまり関係無い。

「えー……一学期期末試験が近いので、今日は模擬テストを行う!」

 こういう場合を除いて。

「この中から応用された物が、テストの範囲に入っているから、心してかかるように!」

 前列からプリントが配られてくる。高宮が、何か言いたそうな表情でこちらを向いた。

「………」

 俺もプリントを受け取ったが、ぺンが握れないのでそのままにしていた。

「おい浅田、何をしている?」

 模擬テストが始まってしばらくした時、見まわっていた教師が俺の席の前で止まった。

「……この手なもので」

 俺は、包帯まみれの両手を教師に見せた。

「ふん、それでテストができないと言うのか?」
「ええ」
「そんな理由が通じると思っているのか!」
 
 教師は声を荒げた。まったく、威勢ばかりは一人前なのだから。

「……では、どうしたらいいんですか?」
「みんながこのテストを終わった後、お前にだけ特別に時間をくれてやる。
 だれか他の人に代筆を頼め」
「それなら、あたしがやります」

 そこで、高宮が口を出した。

「なら、そうするがいい……ただし五分だけだ、今のうちに問題を良く読んでおくんだな」

 そう言って、教師は醜い薄ら笑いを浮かべた。

「五分なんて……短すぎます!」

 高宮が反論している。

「うるさい!お前はテストに集中していろ!」

 教師がそれを制する。

「……いいですよ」

 俺は、その提案を飲んだ。その時、わずかに教室がざわついた。

「精々、がんばるんだな」

 教師はそんな言葉を残して、教壇の方に戻って行った。

(やれやれ……)

 俺はプリントを一瞥した後、浅い眠りについた。


「……終了だ、鉛筆を置け!」

 教師の耳ざわりな声で目が覚めた。教室内の緊張が解けて行くのがわかる。

「浅田君……大丈夫?」

 すると、高宮が話し掛けて来た。

「何が?」
「……何って、テストよ。今まで寝てたじゃない」
「ああ……大丈夫だ」

 すると、教師がこちらに寄ってきた。

「さて浅田、お前のために特別に時間を割いてやろう。用意はできたか?」

 そいつは何やら、薄笑いを浮かべている。一体何が楽しいのだろうか?

「ええ……高宮、プリントを頼む」

 俺は自分は席に座ったままで、プリントを渡した。

「えっ?答案、見なくていいの?」
「……ああ。答を言うから、そのまま問題を埋めてくれ」 
 
 気付くと、クラスの人間がこちらを注目しているのがわかる。

(見世物じゃないんだがな・……)

「問一からいくぞ……17、9、32、−4、1……」
「あ、ちょっと待って」
「2分の17、−ルート5……」

 頭に記憶した答えを次々と言っていく。
 次第に教師の薄ら笑いが消えて、驚愕の表情へと変わっていった。

「……おい」
「ああ、すごいな……」

 教室内も、ざわざわと騒ぎ立てる。

「男247人、女108人……最後は、223日と4時間11分39秒……だ」

 これで、全部の問題が終わった。時間にして、二分弱と言ったところか。

「……すごい浅田君!問題の確認もしないで、全部キチンと答えが当てはまったわ!」

 高宮が感嘆の声を上げる。

「なんだと……貸せ!」

 教師がその答案をひったくる、そして、その内容を何度も見ていた。

「くっ・……!」

――バンッ!

 すると、俺の机に叩きつけた。

「もういい……授業は終わりだ」

 そう言って、教師は教壇に戻った。荷物を持って、教室を出て行こうとする。

「先生ー、答え合わせは?」

 クラスの一人がそんなことを聞いた。

「浅田の答案を見ればいい……全部正解だ!」

――ピシャッ!

 扉を閉めながらそう言い残し、教室を出て行った。

「……という訳だ。
 高宮、このプリントを黒板に貼るなり、皆に回すなり好きにしてくれ」
「あ、うん。わかったわ」

 高宮にプリントを手渡し、ざわめきの絶えない教室で、俺は再び浅い眠りについた。

(……別に、楽しくも……なんともない)