第三十九話 「涼一、バイトをする (最終日)」

 今日で、彼のバイト期間が終わる。
 店長なんかは、正式にバイト社員として働かないかと頼んでいたが、
 彼はその申し込みを断った。もとより、あまり乗り気じゃなかったみたい。

――パタン

「じゃ、お先に」
「……お疲れさまー」

 同僚が着替えを終えて出て行き、更衣室には私一人になった。

「ふう……」

 何か、色々な気分と共に溜息が出る。

(今日で最後……か)

 そんなことが頭に浮かぶ。

「な、何考えてんのよ。別に今生の別れでもないし、彼がいなくたって別に……」

 その後の言葉は続かない。頭では理解できても、心の、身体のどこかは何かを訴えている。

「………」

 私はその考えを振り払うように、さっさと制服を脱いだ。


――ガチャッ

「あ……」

 着替えを終え、荷物を持って扉を開けると、廊下を歩く浅田君を見かけた。

「はあーい、浅田君」

 声を掛けると、気付いてこちらを向いた。

「瀬名さん……どうも」
「今帰り?」
「ええ、まあ」
「じゃあ、途中まで一緒に帰ろう」
「え?」
「いいじゃないの、ほら」
「………」

 そうやって、ちょっと強引に浅田君を連れ出した。

「もう、バイト終わっちゃったね」
「……ええ」
「どうだった?この一週間」
「どうって……別に」
「相変わらずねー……その態度だけは、ずっとそのままね」
「……性格ですから」
「ふふふ、そうね」

 そうして話しながら、店を出てしばらく一緒に歩いていた時だった。

「あれえー、見たことある顔だな」

 道路の隅でたむろしていた、若い男達の一人が声を掛けてきた。

「そうか、ここあの店の近くだからな。今帰りってとこか」

 もう一人が立ち上がる。その人達は見覚えがあった。
 先日店の客として来て、私にちょっかいを掛けた二人だった。
 あの時は、浅田君の機転でなんとかしのいだのだが、
 今はその二人だけでなく、ざっと五人程いる。

「二人そろって、仲むつまじくお帰りか。良いご身分だなアンタ」

 その男が、浅田君に詰め寄る。

「……なんの用だ?」
「あの時はよ、お前の手品にちょっとびびったが、今回はそうはいかないぜ」
「あ、浅田君!」
「いいんですよ……こういうのは、慣れてます」

 そう言って、浅田君は私を手で制した。

「慣れてるか……恨みを買うタイプなんだな、お前?」
「……そんな気はないがな」
「何やってんだよ!早いとこボコっちまおーぜ」

 仲間の一人が、いらついたように言い出す。

「ちょっと待ってくれ、俺はこいつと一対一で勝負したいんだ。
 まあ、どう見たって因縁つけてケンカを吹っかけているのは判ってるが……どうだ、受けるか?」
「……嫌だと言ったら?」
「こいつらが襲いかかってきてお前をフクロにするだろう、俺はあまり乗り気じゃないが」
「その後は、彼女とお楽しみってとこさ!ひゃはははっ!」

 そう言って、もう一人の男は私に嫌な視線を向けた。

「あ……」

 それに対し、私は思わず後ずさりするが、すでに背後にも男の仲間が控えていた。

「やめろ!そんなのは関係ない」

 この男は、まだマトモな方だろうか。そうだ、浅田君は一体どうするつもりなんだろう?

「……いいだろう、さっさとかかって来い」

 すると浅田君は動じた様子は無く、いつもの様に淡々とした口調で受けた。

「余裕だな……ならさっそく」

――シュッ!

 いきなり男が殴りかかった。急な不意打ちで、浅田君の横顔に当たったと思ったが……

「………」

 身体をわずかに傾けて、男のパンチを避けていた。

「なっ…!」

 あわてて拳を引っ込め、男は体勢を立て直す。

「ちょっと今までと、パターンが違ったがな。やはりこんな物だろう……」

 そう言い、浅田君は無造作に右手を突き出した。

――ガシッ

「あ……」 

――グイッ……ボフッ!

 胸元を掴んだ後、引き寄せて腹にパンチを入れたみたい。

「う……ぐっ・……」

 その男は、そのまま屈み込んだ。

「これで……終わりだ」

 そう言って、浅田君は男から背を向けた。

「すごーい!浅田君、一瞬で勝負決まっちゃったね」
「別に……」

 その時だった。

「待てよ、おい!」

 回りにいた、男の一人が叫んだ。

「てめえ……このままで帰れると思ってるのか?」
「ガキが、チョーシこいてんじゃねえぞ!」

 気付くと、男達は手に手にナイフやら鉄の棒やら持っている。

「あ、浅田君。どうしよう……」

 私は、彼の背に隠れるように立った。

「やれやれ……やっぱり、こうなるか。なら、最初からこうすればいいのに」

 浅田君は臆することもなく、回りを見た。

「ば……馬鹿、てめえらがかなう相手じゃ……ねえ……」

 さっき倒した相手が、声も切れ切れに呼びかける。

「へっ、四人も一度に相手すりゃあこんな奴」

 だが、そんなことは耳も貸さない。

「……早くしろ」
「てめえ……二度とそんなスカしたツラできないようにしてやる!」

 その後が早かった、浅田君はあっという間に男達を叩き伏せた。

「うわ……」

 その様子を見て、私は驚きの声を洩らした。

「なんで、いつもこうなるかな・……」

 浅田君は、そんなことを呟いた。そうして、最初の男の所に近づいていく。

「……おい」
「なんだよ……」
「もうあの人や、店なんかにちょっかいをかけるな。わかったか」
「ああ、もうお前に関わりたくないからな……」
「……ほらっ!もう、こんな所いないで、早くいこう!」

 そうして、私達はその場を後にした。

「………」
「………」

 しばらく、二人は無言だった。何か言わなきゃいけない気もするけど、何も言えなかった。

「……あ」

 浅田君が、角を左に曲がる。
 私の家はここを真っ直ぐに言った所だから、ここでお別れということに……

「ちょっと待って!」
「……はい」
「えーと、私の家あっちなの。どお?寄って行かない」
「は……?」

 怪訝な顔をしている。

「バイトを終わって、このままお別れってのもなんだし、
 ちょっとお姉さんに付き合っていきなさい」
「いや……しかし」
「大丈夫、彼氏なんて連れこんでいないから。私一人暮しだし」
「だから……」
「それとも何?何か急ぎの用事でもあるの」
「いえ別に、ただ家に帰るだけですけど……」
「じゃ、決まったわね。さあさあしゅっぱーつ!」
「………」

 ちょっと浅田君は、こういう強引な所が苦手みたい。


――ぐびぐびぐび……

「ぷっはー!ほら、浅田君も飲みなさいよ〜」
「いえ……未成年なんで」

 アパートに帰ってから、既に缶ビールを四本開けていた。
 なんとなく飲みたい気分だったのだ。

「でもすごいわね〜、あんなヤンキー達を一瞬にしてやっつけちゃうんだから。
 しょっちゅうケンカしてるの?」
「いえ……絡まれた時に、仕方なくですよ」

 浅田君は、別にキョロキョロしたりせず、差し出された座布団に大人しく座っている。
 テーブルの上に何本か飲み物を置いてあるが、アルコールには手をつけていない。

「ふ〜ん。トラブルに巻き込まれるタイプなのね、かわいそうに……」
「それは……否定しません」 
「お姉さんが、なぐさめてあげようかー?」
「結構です」

 あまり、乗った会話じゃない。私が無理矢理誘ったから、こんな物なのだろう。

「浅田君がいなくなって寂しくなるわねー……特に、女の子の客達が」
「知りませんよそんなこと……」

 嘆息交じりに答えている。

「そういえば前にも聞いたような気がするけど、彼女とかいるのー?」
「いえ、そういうのは……」
「うそお?お店でキャーキャー言われるルックスで、ケンカにも強くて彼女がいないの?」
「別に、いいじゃないですか」
「むう、これは由々しき問題ね。健全なる男子高校生が、そんなことじゃいけないよキミ」
「はあ……」

――ファサ……

 そう言って、私は髪を解いだ。そして、浅田君の隣りに近づく。

「こうなった場合、どう対処したらいいか判る?」
「えっ・……?」
「キミは、もうちょっと女を知らないとだめよ……」

(酔った勢いでこんなこと言うなんて……私って、卑怯かな?)

「浅田君……」
「………」

 お互いの顔と顔が近づき、そして……

――バフッ

「………」
「……瀬名さん?」
「ぐう……」
「……やれやれ」


 気が付いた時は、一人だった。

「……あれ、浅田君?」

――ガバッ

 見ると、身体に毛布が掛けられている。どうやら浅田君がしてくれたらしい。

「いたたた……えーと確か・……」

 二日酔いで痛む頭を押さえながら、夕べのことを思い出す。

「浅田君を部屋に呼んで……一緒に酒盛りして……それで……」

 そうして序々に思い出す、そして最後に何があったか思い出した。

「うわーっ!なんてことしたんだろ私!あわせる顔がない……」

 と言った所で、もう浅田君と仕事で会うことがないことに気が付いた。

「ふう……そうよね」

 ふと、テーブルに目をやった時だった。

「あら?」

 飲み散らかされて雑然としているテーブルに、
 水の入ったコップとその下に一枚の用紙があった。

「これは……」

 手にとって見ると、その紙にはこう書かれてあった。

『眠られたようなので、帰ります 浅田』

 ただ、それだけだった。

「手紙も素っ気無いのね……」

 そう呟き、私は少し笑った。

「ありがとう、浅田君……でも、夕べあのまま寝ちゃったのは、少し惜しかったかな?」

 そう言って、コップの水を飲み干した。