第三十八話 「涼一、バイトをする (六日目)」

 今日も今まで通りに仕事をこなした。

「では、ご注文がお決まり次第・・・」

 六日目にもなればこれが日常のように思えてくるから不思議だ。
 人間は慣れというものがあるから恐ろしく思えてしまう。
 しかし、この日常も明日で終わりだ。俺はまた前の生活に戻るだろう。

「・・・ありがとうございました」

 だからといってこの仕事が気に入っている訳でもない。
 最初の日からなんとなしの惰性で動いてきたような物だ。
 この仕事をしていて、たしかに勉強になったこともあるが、
 それがこの俺に必要なことだったかどうかは首を傾げざるを得ない。

(とはいえ・・・必要かどうかは今はわからないか。後々何が起きるか・・・)

 そう思い、今の自分を正当化した・・・
 そういえば、前にもこんなことを考えていたような気がする。気のせいだろうか?
 とりあえず俺は盆を片付けた。


「あの・・・困ります」

 そんな時、向こうからそんな声が聞こえた。

「ん・・・?」
 
 目を向けると、瀬名さんがテーブルについていたが、
 どうやらそこの客にからまれているらしい。
 見たところ二十歳そこそこのが二人。見た目に穏やかな人間とは言えないだろう。

「いいじゃんかよー、ねえ」
「しかし私は・・・」

 あのような状況に陥った場合、店員は強く出られない。
 暴力や、強い口調で言い返すのも原則としては禁止されている。

「あ・・・」
「・・・・・」

 その時、瀬名さんと目があった。何やら期待の眼差しをこちらに向けている。

(しかし・・・俺は、こういう状況に陥りやすい体質なのか?
 人は誰かに頼って生きる者だとは知っているが、
 こうも度々続くと何か策略的な物が感じられる・・・のは考え過ぎか?)

「ふう・・・」

 近頃多くなった溜息を吐きつつ、俺はそのテーブルに向かった。
 
「・・・どうなさいました?」
「あっ、浅田君」
「おいおい、男の店員には用はねーのよ。あっちいけよ」
「そーそー」
「お客様、こちらのメニューの・・・」

 そう言い、俺はメニューを見せた。
 そして、この二人にしか見えないように右手をメニューで隠す。

「あっ?何・・・」

――グニッ!!

「!?」「!!」

 二人はそれを見て驚愕の表情を浮かべた。

「・・・セットが当店のお勧めでございます」

 俺は、淡々とメニューの説明をした。

「は・・・はい、いただきます・・・なあ?」
「ああ・・・」

 それきり二人はおとなしくなった。

「???」

 瀬名さんは状況がわからないといった表情で、俺と客とを交互に見比べていた。

「それではごゆっくり・・・」

 俺はその場を後にした。今、使ったそれをポケットに放って。


―――休憩時間

「ねえねえ、さっきのアレどうやったの?」

 事務室に入るなり瀬名さんに尋ねられた。

「・・・・・」
「あ・・・そうか、お礼言ってなかったね。アリガト。で、どうやったの?」
「別に・・・これですよ」

――ピンッ

 俺はポケットにあったそれを瀬名さんに投げた。

「っと・・・え?これって・・・」
「ええ、五百円玉です」
「でも、半分に・・・まさか!?」
「・・・そうですよ」

 さっき俺は、奴らに五百円玉を片手の中指と人差し指で折り曲げたのを見せたのだ。

「へぇー・・・」

 そのまま瀬名さんは、ひしゃげた五百円玉をしげしげと眺めている。

「ちょっと手見せて」
「・・・え?」

 そう言い、いきなり俺の手を取って見つめた。

「・・・なんですか?」
「どうやって曲げたの?トリック?」
「いや、普通に・・・」
「普通って・・・うーむ、すごいわね。これじゃあ、おとなしくもなるわね」
「・・・・・」
「でも、もったいないわね」
「え?」
「五百円玉、これじゃあ使えないでしょ。あっ、私が代わりの・・・」
「いえ・・・それなら、ちょっとそれ・・・」

 俺は五百円玉返してもらった。

――グッ!・・・グッ!・・・

「・・・ほら」
「うわー・・・!」

 俺の手の平の上には、ちゃんと円盤型の五百円玉が乗っていた。
 このくらい平らなら機械も通るだろう。

「何それ?ハンドパワーでも持ってるの?」
「・・・ただの力技ですよ」

 俺はそのまま五百円玉をポケットにしまった。

「見かけに寄らず力あるのねー、何かスポーツでもやってるの?」
「いえ・・・別に」

――ズズッ・・・

 そういうのはあまり答えず、コーヒーをすする。