第三十二話 「付きまとう者」

 良い天気だ。

「・・・・・」

 澄み渡る青空に途切れ途切れの雲、空を舞う鳥の影が光を横切る。

「・・・・・」

 こんな日は屋上にでも行ってゆっくりしたい所だが・・・

「・・・田」
「・・・・」
「・・・浅田」
「・・・・・」
「浅田!」
「・・・・・」

 机の上で頬杖をつき、俺は外を眺めていた。

「おい浅田!」

 そういえば今日は新刊の発売日だったな、帰りに本屋に寄っていくか。

「ちょっと浅田君・・・」
「・・・・・」

 こんなくだらない授業なんか・・・

「浅田!・・・貴様」

――ヒュッ!

 何やら俺に向かってチョークが飛んでくる、あの教師が投げたらしい。

「・・・・・」

――カッ!

 俺は手元のシャープペンを取り、チョークを串刺しにした。

「おお・・・!」

 クラスが少しざわめく。

(しかし、今時チョークを投げる教師がいるとはな・・・) 
 
――シュッ

 ペンを振り、チョークをごみ箱に放った。

「・・・なんでしょうか?先生」

 俺は目線を教師に向けた。

「う・・・いや、なんでもない。つまり・・・この曲線の方程式が・・・」

(まったく・・・あの数学の担当教師は、威勢だけで中身は大したことはないな)

「・・・・・」

 俺は再び外に顔を向けた。

「・・・くすくす」

 隣りの高宮は何やら笑いをこらえているようだ。


―――昼休み

「・・・・・」

 屋上に行こうとして廊下に出たあたりだった。

「ひそひそ・・・」
「・・・うん」

 何か視線が俺を突き刺している。

――ピタッ

 ふと足を止める。

「・・・・・」

 俺の後ろ気配も一緒に止まる。

(・・・なんなんだ一体?)

 再び歩き出すと気配も付いてくる。

「・・・・・」

 どうやら付きまとわれているらしい・・・このまま屋上に行っても気が休まらないだろう。

(・・・振り切るか)

「あ、浅田君。屋上だよね?」
「高宮・・・」
「?」

 俺は耳元でそっと囁いた。

「・・・屋上で待っててくれ、後から行く」
「え?」

 そのまま俺は駆け足で階段を下りた。

「あ・・・」

――タタタッ!

 その時、後方の足音が自分に向かってきているのをはっきりと自覚した。


―――屋上

「・・・だって」
「ふ〜ん」
「その後、三人くらいの女子生徒が彼の後に付いていったわ」
「ははあ・・・なるほどね、まったく・・・うらやましいねぇ」
「何が?お兄ちゃん」
「わからないかい?涼一君の追っかけだよ、いやはや・・・」
「そうなんですか?」
「まあね、おかげでこっちは苦労してるんだけどね」
「・・・おまえにはいい薬だ」
「正弘〜」
「・・・じゃあ、アイツはその子らを振り切ってくるつもりね」
「どうやってですか?」
「涼一がその気を出せば・・・」

――バサッ!

「・・・ふう」

 屋上を見渡すと、あいつらと一般の生徒がちらほらとしているだけだった。

(ここにはいないな・・・)

 俺は呆然とこちらを見るあいつらの元へ足を向けた。

「涼一・・・アンタどっからきてんの?」
「フェンスから登場とはカッコイイねぇ〜」
「ねえ、まさか下から・・・」
「・・・ああ」

 ちらりと金網に目をやる。

「二階の窓からパイプを伝ってきた」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」

 しばしの沈黙。

「あの・・・ええと・・・」
「ロッククライマーみたいですね〜!」
「・・・無茶な奴だ」

 それでも納得したのか、そのまま昼飯を食べることになった。

「・・・しかし」
「え?」

 食べ終わり、ふと俺は口を開いた。

「正直鬱陶しい」
「・・・でしょうね」
「贅沢な悩みだね〜、僕なんて・・・」
「具体的になにかされてるの?」
「ありゃ・・・?」
「・・・いや、ただ付いてくるだけだ」
「あの・・・話し掛けられたりは・・・」
「・・・ない」
「ふふん!そりゃそうだろうね、なんたって・・・」
「で・・・どうするの?」
「あああ・・・もう」
「・・・そうだな」
「一人一人に話し掛けて近づくなって、釘刺しますか〜?」
「あの・・・それはちょっと」
「・・・・・」
「・・・お〜い、みんな〜」
「う〜ん・・・」
「僕の話も聞いてくれよ〜・・・」
「慎也、おまえの話だとすぐに余計な方向に行くからな」
「そりゃないだろ〜」
「まあ・・・浅田が話し出したんだ、余計な茶々入れないで見守ってろ」
「余計なって・・・」
「しかし・・・あたし達が何かと口出す問題じゃないかもね」
「えっ?」
「その子達が浅田君に近づくことを止める権利は無いし、それを止める理由もないと思うの」
「そう・・・ですね」
「えぇ〜っ?」
「まっ、涼一ならこんなこと簡単に解決できるでしょ」
「・・・・・」
「でも、これ以上ライバルが増えるのはちょっと・・・」
「えっ?何か、高宮さん」
「ううん、なんでもないの」
「・・・でも、どうしてそのまま話し掛けないのかしらね」
「恵美、それは・・・」
「涼一君にまともに近づいたら、カウンターパンチ食らって即KOだからね〜」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・いや、まちがってないだろ〜」
「慎也」
「・・・わかったよ〜・・・ぶつぶつ」
「で、どうするんですか?」
「そうだな・・・しばらく一人でいて、相手の出方を伺うとする」
「まっ、それがいいかもね。涼一、がんばんなさいよ」
「・・・・・」

(何をがんばるのやら・・・)

―――放課後

「きりーつ・・・礼」

 今日の授業が全て終了した、後は帰るだけだ。

「・・・浅田君」

 担任が、俺の方に近づいてきた。

「あなた、数学の時間なにかした?」
「・・・・・」
「その先生がこれを・・・」

 その手を見ると何やらテキストらしい。

「放課後、今日中にやっておきなさいって。大変ね」
「・・・・・」

 受け取ったテキストをめくると、ざっと十数ページはある。

「どう?無理なら私から・・・」
「・・・いえ、いいですよ。やっておきます」
「そう?じゃあ、しっかりね」
「・・・・・」

 そう言って、御崎先生は教室から出て行った。

「・・・浅田君」

 見ると、高宮がまだいた。

「手伝おうか?」
「いや・・・いい、自分に課せられたことだ。自分でやる・・・先に帰っててくれ」
「・・・そう、じゃあ」

 そうして高宮も帰っていった、見るといつのまにか教室には自分一人になった。

――ガタン

 俺は机に座り直した、鞄から筆記用具を取り出す。

――カリカリカリ・・・

 黙々と問題を解いていく。

「・・・・・」

 スラスラと進むペンに迷いは無い、このペースなら十五分もあれば終わるだろう。

(・・・あの数学教師・・・しかえしのつもりか?)

 だとしたら、本当に心の狭い奴だ。

――カツ・・・

 その時、教室のドアの向こうから物音が聞こえた。
 ほんの小さな音だったが、聞き逃さなかった。

「・・・・・」

 ペンは止めずに、横目でちらりとドアを見た。

「・・・・・」

 隙間からそっとこちらを見ている、一人ではない。

(昼休みの奴らだな・・・)

 確信はないが、なんとなくそう思った。
 元々最初から顔など見ていないので、目の前に普通に出てこられてもわからないのだが。

「・・・・・」

 多分向こうはこちらが気づいていないと思っているだろう。

(さて・・・どうするか?)

 もうすぐテキストも終わる、これをあの教師の元に突き出して帰るだけだが・・・

(・・・逃げるのは簡単だ)

 しかし根本的な解決策ではない、問題を先送りしているだけだ。
 そんなものは相手があきらめない限り永遠に続くことになるだろう。
 結果がどうであれ自体を進展させる必要がある。

――・・・カリカリ・・・カリ

 終わった、多分回答に間違いはないだろう。これなら文句のつけようが無い筈だ。

――ガタン

 俺は立ち上がり、帰る準備をした。

「・・・・・」

 テキストを手に持ち、教室のドアに近づく。

――ガラッ

 そこには人はいなかった・・・が、向こうの廊下の角に一瞬人影が見えた。

(逃げれば追いかけ・・・追いかければ逃げる・・・)

 とりあえず無視して今は職員室に向かった。

「・・・・・」

 テキストを眺め、目を丸くした教師を尻目に職員室を出た。

「・・・・・」

 気配はする。

(・・・さて)

 急ぎ足で廊下を曲がる、向こうも急いで付いてくるだろう。

「・・・・・」

 角の所で足を止めた。

――タタタッ!

 足音が近づいてくる。

「・・・あっ!」

 待ち構えた俺と、そいつらと鉢合わせする。

「あ・・・あ・・・」
「あの・・・」
「わ・・・私達」

 そいつら三人はしどろもどろになる、何か言葉を探しているようだ。

(・・・?)

 何か引っかかった、どこかで・・・

「ああ・・・」

 思い出した。

「あの時屋上から・・・」

 そうだ、落ちそうになった所をたまたま俺が止めたんだ。

「あ!そ・・・そーです!あの時はどうもお世話になりました!」
「・・・なぜ、付きまとう?」
「そ・・・それは」
「アユミが何回も声をかけようとしたけど・・・なんか中々踏ん切りがつかなくて」
「あのー、ばれてました?」
「まあ・・・」
「あちゃ〜、カッコわる・・・あの!別にあたし達はただ・・・」
「・・・・・」
「ただ・・・」
「・・・アユミ」
「ほらぁ・・・」
「ただ・・・ちゃんとお礼が言いたくて・・・」
「・・・なんだ」

(そんなことか・・・わざわざ・・・)

「わかった・・・もういい・・・」
「あ・・・」
「もうこそこそと付きまとうな・・・用があるならはっきりと伝えろ」
「は・・・はい!」

 そうして俺はその場を後にした。


―――校門

「よう、浅田」
「・・・・・」

 村上と出会った、どうやら一人らしい。

「悩み事は解決したか?」
「・・・ああ」
「そうか・・・じゃあ、一緒に帰ろうぜ」
「・・・わかった」

 そうして、二人で帰ることになった。

「なあ・・・」
「・・・・・」
「珍しいツーショットだな」
「・・・そうだな」

 確かにこの二人で帰るのは初めてのようだ。

「・・・あれから俺も練習を積んだ」
「・・・・・」
「だがおまえにはまだまだだろうな・・・」
「・・・・・」
「まったくうらやましいぜ、その強さが天性のものなんてな」
「村上は・・・」
「あ?」
「村上は・・・なぜ強さを求める?」
「はっ!そんなことを聞くか・・・」
「・・・・・」
「俺はただ・・・自分が強くなることに、自分を見つけている」
「自分・・・?」
「・・・ああ・・・まあ、ようはやりたいようにやっているだけだがな」
「・・・・・」
「他にやりたいことがみつからないってのも、一つの理由かな?」
「なるほど・・・」

(目標を定めた人間か・・・)

「ただ・・・強くなるのには何も惜しまない、強い相手がいれば何度でも闘う」
「・・・だから俺に付きまとっているのか?」
「まあ・・・それもあるな」
「やれやれ・・・」
「だから、いずれ頼むぜ」
「ああ・・・」

 そいつの目は真っ直ぐに前を見据えていた。