第二十七話 「ある雨の日の午後」

  雨だった。

――ポタ・・ポタ・・

  しとしと・・・という表現がぴったりだった。

「・・・浅田君どうしたの?」
  授業中、窓をじっと見詰めている俺に高宮が話し掛けてきた。
「いや・・・なんでもない」
  俺は視線を机の上に戻した。

(・・・なぜだ?)

  雨は相変わらず降り続く。

(この頃・・・過去のことばかりを思い出す・・・)

「や〜れやれ・・・雨ばっかだと気がめいるね〜」
「ほんと・・・これじゃあ、室内で筋トレばっかだし」
「そうですね〜」

  昼休み。教室内でいつもの様に集まり、いつもの様にしゃべっていた。

「浅田君はどう?」
「え?」

  急に振られたので答えられなかった。

「雨は・・・嫌い?」
「・・・ああ、そうか」
「え?」
「・・・・・」

  何も言わなくなったので、皆が不信げに俺を見つめた。
  
「・・・涼一さん、どうしたんですか?」
「・・・・・」
「浅田せんぱ〜い」
「・・・・・」
「お〜い」
「・・・あ、すまない」
「どうしたの?」
「雨で・・・ちょっと思い出してな・・・」
「何をだ?」
「・・・昔・・・いやいい」
「なんですか〜?気になりますよ〜」
「そうだよ涼一君、言い掛けて止めるのはよくないよ」
「・・・・・」
「あの・・・話したくないのなら別に・・」
「・・・いや・・・いいんだ、話すよ」
「え?」
「あれは・・・中学一年の梅雨時・・・」


―――・・・四年前  梅雨

  あの時期もこんな風に降っていた。

――ザアアァーーッ・・・

  中学の帰り道で、増水した川の橋を渡った時、俺は奇妙な人を見た。

「・・・・・」

  街灯の下で、傘も差さずに立ち尽くしている女性。

「・・・・・」

  赤いワンピースとハイヒール・・・目立っているようで、妙に溶け込んでいた。

「・・・・・」

  彼女の見た目は二十歳位・・・髪の長い人だった。

「・・・・・」

  だが、俺には関係のないこと。そのまま前を通りすぎた。

「・・・あの」

  通り過ぎた所で、不意にあの人が声を出した。

――トッ・・・

  その押し殺したような声に、俺の足は止まってしまった。

「・・・何か?」

  振り向いても、彼女はこちらを見ている訳でもなく、ただ俯いていた。

「アナタ・・・私を知っていますか?」

  そのままの姿勢で問い掛けてきた。

「・・・は?」

(何を言っているんだこの人・・・)

  無視して帰ればいいものの、なぜか俺はその場にいた。

「あの・・・どういうことですか?」
「・・・いえ、すみませんでした・・・どうぞ・・・そのまま」

  そのまま行ってくれと言いたいのだろう、俺は言われた通りに帰った。

―――次の日

  ・・・その日の帰りもその人はいた。

「・・・・・」

  朝もこの道を通ったがその時はいなかった、どうやら俺が帰る時間の午後にだけいるみたいだ。

「・・・・・」

  前を通るが、もう話し掛けてこない。当然、俺も話し掛けない。

「・・・・・」

  そんな日が続いた。何日も何日も続いた。

―――一週間後

  さすがの俺も気になった。
 ここの所雨がずっと続く、一体あの人はなんのためにあそこにいるのか。

「あの・・・毎日ここで何をしてるんですか?」

  その日の帰り、俺はその人に始めて話し掛けた。

「・・・あら、アナタ」
「・・・・・」
「ここで?」
「・・・ええ、少し気になって」
「そう・・・ごめんなさい」
「いえ・・・」
「・・・私ね、誰かを待っているの」
「誰か?」
「そう、誰か・・・でも・・・・誰かは私は知らない」
「え?」
「私ね・・・待ってる相手も、どうして待っているのかも知らないの」
「それって・・・」
「・・・記憶喪失ってやつかしら」
「・・・・・」
「でもね、そんな大袈裟なものじゃないの。
 他のこと・・・自分の名前とか、出身とかは全部覚えているの」
「あの・・・病院には」
「・・・行ってないわ、記憶喪失というより・・・ただの、ど忘れみたいなものだし」
「あ・・・だから、あの時」
「そう・・・とりあえず始めてみる人に話し掛けてるの、私を知ってますかって・・・」
「・・・・・」
「フフ・・・でもね、私が声を掛けた人で、また私に話し掛けてくれたのはアナタだけよ」
「・・・そうですか」

  その日から、帰り道で会うたびによく話しをするようになった。

「どうして・・・その格好を、それよりどうして傘を指さないのですか?」
「あ・・・これ?これは・・・私が最初の日、ここにいた時の格好よ」
「・・・・・」
「ここでね・・・私倒れてたの、病院に運ばれて・・・
 しばらくしたら退院したけど、あの日・・・どうして私がここにいたかが思い出せないの」
「だから・・・」
「・・・その日、私は誰かを待っていた・・・それだけは覚えてる。
 だから私は、あの日と同じ格好でここにいるの」
「でも・・・傘くらい」
「駄目なの・・・なぜか・・・傘は嫌いなの」
「・・・?」
「・・・あの日以来、傘を持とうとすると・・・体が拒絶するの」
「それって・・・」
「わからない・・・ここで待っていたのと何か関係があるのかも・・・」

  俺がどうしてこの人と話し込むようになったのかは、自分でも良く分からない。
 学校ではほとんど人と接さない俺がどうして・・・

「・・・そういえば、名前聞いてなかったわね」
「あ・・・そうですね、僕は浅田涼一。そこの中学の一年です」
「私は・・・」

  この人は、午後四時頃から七時頃の三時間を毎日立っていた。雨が降っても傘を差さずに・・・

「あの・・・いつまで待つつもりなんですか?」
「・・・そうね、梅雨が明けるまで・・・てのはどうかしら?」
「・・・・・」
「でもね・・・この頃思ったの、もしかしたら・・・キミを待ってたんじゃないかな・・・って」
「え?」
「フフ・・・冗談よ」

  その時の笑い顔は、ひどく印象的だった。なんだか・・・寂しげで。

「私ね・・・恋人がいたの」

  唐突に言い出した。

「・・・でも、あの日以来姿を見せない・・・私が待っているのはその人かも」
「じゃあ、連絡とか・・・」
「ううん・・・待っているのがその人なら、私はただ待つだけ・・・」
「・・・・・」

  今思えば、この言葉は後々とても重要なことだったのだ。

――ポタ・・ポタ・・ポタ・・・

  その日も雨が降り、あの人は傘を差さずに立っていた。

「こんにちは」
「・・・どうも」
「知ってる?・・・もうすぐ梅雨が明けるんだって」
「じゃあ・・・」

――ブロロロロ・・・・・キッ

  その時、俺達二人の前に一台の車が止まった。

――バタン

  運転席と助手席からそれぞれ中年と若い二人の男が出てきた。

――バシャ・・バシャ・・

  その二人はこちらに寄ってくる。

「・・・さん、だね」

  そのうちの中年が彼女の名前を言った。

「はい・・・そうですが、あなた達は?」
「私達は・・・」

  そう言って男が取り出したのは黒い手帳・・・

「・・・警察?」
「そう」
「その方が一体・・・」
「亡くなったあなたの恋人について話しが・・・」
「・・・亡くなった・・・ああ!?」

  その瞬間彼女はその場にしゃがみ込んだ。

「・・・どうしたんだ?」
「私!・・・私・・・思い出した・・・」
「思い出した?」
「私が・・・どうしてここにいるのか・・・どうしてここで・・・待っているのか・・・」
「よくわからないが・・・あなたは、当時そこの川の先で見つかった遺体・・・
 つまりあなたの恋人と何か関わりがあるのですか?」
「ええ・・・彼は殺されていたんでしょう」
「そうです、当初身元不明の殺害遺体で・・・判明したのは先日です」
「・・・凶器は見つかりましたか?」
「ええ、一緒に川で見つかった・・・血痕の付いた傘がね」

(傘・・・まさか)

  俺はその時、全てが見えたような気がした。

「私が・・・彼を殺したんです・・・傘で・・・彼の胸を・・・」
「・・・・・」
「ここで私が待っていたのは・・・彼ではなく・・・警察だった・・・」
「・・・詳しい話しは署で聞きましょう、ところで・・・この子は?」

  その時、男は俺に目を向けた。

「あっ!彼は関係無いんです!・・・時々私の・・・話し相手になってくれて・・・」
「・・・本当に、そうかい?」

  男は俺の目を見て言う。

「・・・そうです」

  まっすぐ見据えながら俺は応えた。

「そうか・・・いいかい、この事は忘れるんだ。いいね」
「・・・はい」

  すると男は俺から目線を外した。

「・・・では、行きましょうか」
「はい・・・涼一君、バイバイ・・・」
「・・・・・」

――バタン・・・ブロロロロ・・・・

  彼女は警察の車に連れて行かれた。

「・・・・・」

  最後に彼女が俺に別れを言った時、彼女は笑っていた・・・
 でも、雨だったけど・・・泣いているのがわかった。


「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・ということだ」
「浅田君・・・」
「・・・涼一君って、ズイブン凄まじい過去を持ってるね〜」
「・・・・・」
「アンタ・・・中学の時そんな事があったの、あたし聞いてないわよ?」
「・・・恵美はその頃、俺と通学路が違ったし・・・わざわざ言うことでもないしな」
「たしかに、友達の家に寄って学校に行ってたから・・・でも・・・」
「・・・浅田、その人がその・・・彼氏を殺したんだよな?」
「ああ」
「理由は?」
「・・・聞いて無い・・・聞きたくも無いがな」
「それは・・・そうだよな」

――ポタ・・ポタ・・ポタ・・

  最後に彼女と会った次の日、梅雨が明けた。