第百話 「文化祭〜後編〜」


――PM 1:08

 手頃な窓から校舎に入った時に生徒に姿を見られて少々驚かせてしまったが、
 それ以外は何のトラブルも無く自分の教室に戻る事が出来た。
「……ねえ、大丈夫なの?」
 勝手に教室を抜け出したので怒鳴られるかと思っていたが、
 意外な事に高宮は心配そうな表情で話し掛けてきた。
「何かだ?」
 俺はエプロンを身に付けながら答える。
「だって……学校中を走り回っているって聞いているわよ。
 何か厄介なトラブルでも抱えているんじゃないの?」
 流石にあれだけの事をしていれば人の目にも付いたであろう。
 だが、高宮の様子からして俺がどんなトラブルを抱えているかまでは分からないようだ。
「大した事では無い。ちょっとしたゲームに参加しているだけだ」
「嘘よ。だったらそんな、疲れ切った顔になる訳ないじゃない」
 平静を装ったつもりだったが、蓄積された疲労を隠す事は出来なかったようだ。
「とにかく、与えられた仕事は果たす。長い時間サボっていた分取り戻さないとな」
「……分かったわ。でも、何かあったら遠慮なく言ってね。
 クラスの皆にはわたしから話しておくから」
「ああ」
 ウェイターの仕事は爆弾探しに比べれば楽だった。
 とりあえず、これからの作業に向けて体力と気力の回復に努める。
「ホットケーキ一丁上がり! 浅田、三番テーブルに持って行け!」
「了解」
 だが、その時間も長くは続かない。

――PM 1:57

 朝の時と同じく、再びトイレと偽って教室から出た。
 だが、教室の近くにあったトイレは人が行列を成していて入る事は出来ない。
 俺は仕方なく別の場所を探した。

 ――プルルルルルルッ。

 迷っているうちに一階廊下の途中で携帯電話が鳴り出す。
 俺は咄嗟に窓から外の裏庭に出て、通話ボタンを押した。
「マナーモードに出来ないのか?」
『変更ハ出来マセン。我慢シテクダサイ』
 あっさりと要求をはね付けられる。
『次デ最後デス。気ヲ引キ締メテクダサイ』
「……本当に、最後なんだろうな?」
『今マデワタシガ嘘ヲ付キマシタカ?』
「ならば、爆弾を発見して無事に解除したのならば、負け認めて姿を見せるんだな?」
『勿論デス』
 今ここで押し問答をしても始まらない。
「……分かった。謎々を聞こう」
『フフッ、ソレデイインデスヨ』
 満足そうなXの声。
『デハ、問題デス。マル、バツ、サンカク、シカクノ中デ最モ驚クモノノハナーンダ?』
 またしても厄介な問題である。
(記号に一体何を驚くというんだ?)
 頭の中で○、×、△、□を描く。
『言ッテオキマスガ、最後ノ爆弾ハ前ノトハ比ベ物ニナラナイ程ノ爆発力デスヨ。
 空ニ投ゲタクライデ防ゲルトハ思ワナイ事デスネ』
「制限時間は何時までだ?」
『今マデト同ジク三時間。午後ノ五時マデデス。ソレデハ、健闘ヲオ祈リシマス』
 通話の切れた携帯電話をポケットに放り込む。とりあえず、教室に戻らねばならない。
「……でよ、おまえらに来てもらったってわけさ」
 再び窓から校舎に戻ろうとした時、裏庭の奥からそんな声が聞こえた。
(この声は……?)
 ふと気になってそちらに足を伸ばす。
「それで、何すりゃいいんだ?」
「店ん中に居座って、偉そーにしときゃいいんだよ」
「なーんだ。それって、いつもやってる事じゃねーか」
「そーそー。それで他の客は来なくなる」
「ぎゃははっ! オレらって迷惑?」
 男達は五人。いずれも若く、ちゃらちゃらとした格好をしている。
 地面に座り込んで煙草を吹かし、どこから持ち込んだのか缶ビールを飲んでいた。
「じゃ行くぜ」
 一人が立ち上がり、他の男達もそれに続く。
「そういや、アイツはどうした?」
「ああ。アイツはここクビんなったろ?」
「それで来なかったのか?」
「いや、連絡したらこんなクソ学校ぶっ潰してやるって言ってたぜ。
 へへっ、今頃どこかに居るんじゃねーか?」
「なーるほど。それで――」
 まず一人、背後から近寄って手刀を首筋に叩き込んで昏倒させる。
「な、何だ!?」
 驚愕の表情を浮かべた二人目に素早く近付き、鳩尾に拳に突き入れて昏倒させる。
「てめえ!」
「おい! そっちを――」
 ようやく反応した三人目、四人目をまとめて回し蹴りで顎先を叩き、脳を揺らして昏倒させる。
 残り一人。
「お、おまえは!?」
 うちの教室で鈴乃にちょっかいを掛けていた男であった。
「性懲りも無く仲間を連れて来たのか。言え、もう一人の仲間は何をするつもりだ?」
「誰がてめえなんかに!」
 男は叫ぶと震える手でナイフを取り出した。
「そうか。なら、消えろ」
 直線的なナイフの動きを軽く避け、男の側頭部に掌底を叩き込む。」
「さて……とりあえず、どこかに放り込んでおくか」
 俺は裏庭にある物置に目を付け、そこに男達を運び込んだ。
 残った酒を身体にぶちまけて、泥酔したように見せ掛ける。
(気になる事を言っていたが……まさか、Xの事ではあるまい。
 どう考えても、こいつらとはレベルが違う)
 悔しいが、奴の爆弾を作る技術といい、こちらを手玉に取る手並みといい、
 知能は相当高いと言える。
「……ん?」
 物置から出ようとして、壁に掛けられた一束のロープが目に入る。
(……こいつは使えそうだな)
 また校舎の壁を上り下りする必要に迫られるかもしれない。
 俺はそれを失敬する事にした。
(制服の下に巻き付ければ目立たないだろう。
 それより早く教室に戻って、謎々を考えなければ――)

――PM 2:10

 トイレが込んでいたと言い訳をして再び仕事に戻る。
 昼のピークは過ぎたのか客足も少なくなってきた。
 仕事量も減ったので、おかげで考え事に集中出来た。
(マル、バツ、さんかく、しかく……)
 それぞれの記号を指先で何度も掌になぞる。
(驚く……とはどういう事だ? もしかしたら、何か別の言い方に変えるのかも……)
 もう少しで何かが掴めそうなのだが、どうにも上手くいかない。
 窓の外のグラウンドを眺めながら、あれこれと思考を働かせていた。
「おい、浅田! ぼーっとしてんなよ!」
 すると、俺に和泉が注意した
「ほら、注文のチョコドーナツ! 一番テーブルに大至急!」
「ああ、了解――」
 受け取ろうとして、ふと動きが止まる。
「和泉は驚いた時、何て叫ぶ?」
「はあ? そりゃあ……『ぎゃあ!』とか、『わっ!』とかだろうな」
「それだ!」
 俺は声を上げると、注文の品をすぐにテーブルに届ける。
「お待たせしました!」
 突然の事に客も目を白黒させているが、今はそんな事を気にしてはいられない。
「高宮」
「……もしかして、また大事な用なの?」
 エプロンを外しながら話し掛ける俺を見て高宮は溜息を吐く。
「いいわ。クラスの皆には、私から適当に理由を付けて言っておくから」
「すまない。埋め合わせは必ずする」
「だったら――」
 そこで高宮はふと思い付いたように言った。
「夕方の六時に、グラウンドでフォークダンスがあるでしょ? あれに付き合ってよ」
 文化祭の締めくくりとして毎年行われているものである。
 中央に大きな火を焚き、男女がペアになって踊るものらしい。
「分かった」
「それまでに戻って来てね。必ずよ!」
「ああ。約束する」
 俺は頷く。
「それじゃ、いってらっしゃい! 何のゲームから知らないけど負けないでね!」
 高宮に見送られながら、俺は急いで教室を飛び出した。

――PM 2:27

 マルは輪とも表現できる。
 つまり『わっ』と驚くから、マルで正解なのだ。
 輪があるところと言えば、真っ先に思い付いた場所があった。
 そのものずばり、『輪投げ屋』だ。
(しかし……)
 目的の三年生の教室の前まで来て、ふと足を止める。
(一人で行って、輪投げもせずに教室内を調べ回ったら流石に不審に思われるだろうな)
 窓から中の様子を伺うと、客の数もそう多くは無い事が分かる。
 順番待ちの間に調べようにも時間が足りないだろう。
(誰か連れて行って代わりにゲームをやってもらう方がいいな。
 何回か挑戦させている間に調べよう)
 そうなると、誰を連れて行くのかが問題になる。
(……そうだ。ここからなら図書室もそう遠くはない。北村を誘おう)
 利用するようで気が引けるが、仕方の無い事だと自分に言い聞かせながら走る。
「北村!」
 図書室の扉を開けながら名前を叫んだ。
「あっ、涼一さん」
「約束を果たしに来た。今、大丈夫か?」
「ええ。じゃあ……」
 他の図書委員と話をして北村はカウンターから出る。
「三十分だけなら大丈夫です」
「そうか。なら、急ごう」
「はい。でも、どこへ?」
「ちょっと行って見たいところがあるんだ。こっちだ」
「あっ――」
 俺は北村の手を取って歩きだす。
「あの、涼一さん……」
「どうした?」
「いえ……何でもないです」
「もしかして、どこか行きたい所があったのか?」
 もしそうなら悪い事をした。
「いえ! 涼一さんとなら、どこだっていいんです……」
 頭を振って否定する。
「ならいいが……ここだ」
 目的の輪投げ屋に辿り着く。
「もう! 全然入らないじゃないのよ!」
「他んとこ行こう。こんなとこいても仕方ないって」
 ぶつくさと言いながら男女の生徒が教室から出て来る。
「いらっしゃい!」
 入れ替わりに俺達が中に入ると、中に居た三人の男子生徒が声を掛けて来た。
「どうぞどうぞこちらへ。お一人様、一回百円となっています」
 笑顔を浮かべての馬鹿丁寧な対応である。
 室内はCDラジカセによって高い音量でロックミュージックが流されていて、
 あまり気分の良い場所ではない。
「北村。先にやってみたらいい」
「えっ、でも――」
「ここに誘ったのは俺だ。一回で取れるとも限らないから、先に金を払っておこう」
 今度はちゃんと持ち出してきた財布から千円札を抜き出し、男子生徒に支払う。
「はい! 毎度あり!」
「さあ、頑張ってくれ」
 おろおろとする北村に、紙製の輪の束が手渡される。
「わ、分かりました……」
 黒く塗られた台の上に置かれた様々な景品を真剣に見詰める北村。
 中には腕時計やデジカメに携帯ゲーム機など、結構良い物が並んでいる。
(さて、爆弾は……)
 俺はさりげなく教室内を歩き回った。
「あっ!」
「残念。ハズレ〜」
「すみません。外してしまいました……」
「大丈夫。構わないから続けてくれ」
 男子生徒達は北村に注目している。気付かれずに探すには今しかない。
(ロッカーには無いな……机の中か?)
 スペースを確保するために教室の隅に積まれていたが、どれもこれも空っぽのようだ。
 おそらく持ち運びやすくする為にわざとそうしてあるのだろう。
(床や壁、天井などは流石に無理だろうな……だとすると、あの景品の中か?)
 しかし、輪投げに使われるものだから景品は小ぶりなものが殆どで、
 余程の細工をしない限り爆弾は仕込めないだろう。
(爆弾の威力の上がるなら、火薬も仕掛けも大きくなる。あの中でもないな)
 そう思った時だった。
「七回目。これもハズレ〜。お客さん、まだ一度も入っていませんよ〜」
 見ると北村は泣きそうな表情になっていた。
 手はぶるぶると震えて、あれでは上手く投げられないだろう。
「北村」
 俺はその肩に手を置いて名前を呼んだ。
「すみません……わたし、こんな……」
 何度もすまなそうに頭を下げて謝る。
「気にするな。こういう事もある」
 俺は北村の手から残った輪を受け取る。
「代わりにやっても構わないか?」
「どうぞどうぞ」
 男子生徒のやけに余裕たっぷりな態度が気になる。
(せめてものお礼に、何か良い物を取ってやらないとな……)
 紙製の輪はふにゃふにゃしていて上手く真っ直ぐに飛びそうに無い。
 しかも高額の商品は段の奥にあるので、狙うのは相当難しいだろう。
「北村。何が欲しい?」
「えっ? でも――」
「遠慮するな。ほら、何がいいんだ?」
「じゃあ……」
 北村はゆっくりと指を向ける。
「あれか。分かった」
 それはウサギのデザインをしたガラス細工だった。
 他の高額景品と並んで、台の奥の方に置かれてある。
(しかし、何か気なるな……)
 景品が並んだ段を見ていてどこか違和感があった。
 どうしてわざわざ床から一段高くして、黒塗りにしてあるのかが気になったのだ。
(まあいい。とにかく、あの景品を取ってしまおう)
 狙いを付けて輪を投げる。
「!?」
 だが、目当ての景品に近付いた時に輪が不自然な動きをした。
「はい。ハズレ〜」
 男子生徒が嬉しそうに声を上げる。
(今の動きは……)
 まるで、景品を避けるように輪が落ちていったのである。
(軽い紙製だから、風か何かに乗ったのだろうか?)
 だが、窓も扉も閉められている。
(偶然か? ならばもう一度――)
 良く狙って投げると、またしても同じような動きをして輪が外れた。
「またもハズレ〜。お客さん。あと一回だけですよ〜」
「分かっている……」
 どうも違和感が拭えない。
 黒塗りの台。
 大音量の音楽。
 不自然に外れ続ける輪。
「はい。これもハズ――」
「動くな!」
 台の上の輪を回収しようとした男子生徒に向けて叫ぶ。
「おまえらもそこを動くな」
 他に二人にも睨んで言い含める。
「北村。誰か、生徒会の人間か教師を呼んで来てくれ」
「は、はい!」
 北村は弾かれたように教室から出て行く。
「なんだよオマエ? 自分が失敗したからってイチャモンを付けるのか?」
 男子生徒の一人が言ってくる。後輩が相手だからか、随分と偉そうな態度だ。
「すぐに分かる」
 程なくして北村が帰って来た。
「あの、ちょうどそこで……」
 続けて教室に入って来たのは、二人の生徒だった。
「生徒会の新崎です」
「同じく、水野です」
 二人が名乗る。
「ユッコ、一体何があったの?」
「えっとね……」
 どうやら北村は男の方と知り合いらしい。
「俺が説明する」
「きみは?」
「ここに客として来ていた、二年の浅田という者だ」
「きみが!?」
「あなたが!?」
 俺が名乗った瞬間、生徒会の二人が驚きの声を上げた。
「きみは会長に一体何をしたんだ! 今まで僕は彼女のあんな姿を……!」
 新崎と名乗った男が俺に詰め寄る。
「今はそれどころじゃない。ここの出し物には不正の疑いがある」
「不正?」
 新崎はぴたりと動きを止めた。
「おい! 言いがかりは――」
「まずは、この耳障りな音楽を止めてもらおうか」
 俺はCDラジカセを指差しながら言った。
「あれも不正に一役買っている」
「てめえ! いいかげんにしろ!」
 男子生徒の一人が俺に掴み掛かろうとしたので、俺はそれを軽く避ける。
「まあまあ、ちょっと調べるくらい良いじゃないですか」
 それを見て新崎が場を宥めた。
「何もやましい事が無ければ、もっと堂々としているべきでしょう? 違いますか?」
「ぐ……」
 男子生徒達は押し黙る。
「水野さん」
「はい」
 水野と呼ばれた女子生徒が、CDラジカセのスイッチを押して音楽を止める。

――フィーン……。

 すると、何やら虫の羽音のような音がかすかに聞こえてきた。
 今までCDラジカセの音楽によってかき消されていたのである。
「この音は何だ?」
 俺は男子生徒達に尋ねるが、奴らは黙ったまま答えようとはしない。
「……景品台の下から聞こえるな。新崎と言ったか、そっちを持ってくれ」
「分かった」
 新崎も不正の気配を察知したのだろう。厳しい表情をして俺の言葉に従った。
「せえの――」
 台を持ち上げて前にずらす。
「あっ!?」
 その下には、大量の小型プロペラが回っていた。
 扇風機か何かを改造したもののようで、微弱な風を上方に送っている。
「この台、良く見ると小さな穴が開いている。真っ黒なのはそれを隠す為か……」
 新崎が台を注意深く観察しながら呟く。
「紙製の輪は風に押されて景品から外れてしまう。これは明らかな不正だな」
「よし、分かったよ。水野さん。他の人達も呼んで来て。
 これから本格的な調査と被害状況を調べるから」
「はい!」
 言われて水野は教室から出て行く。
「な、なあ……」
 男子生徒一人が恐る恐る尋ねる。
「これが発覚したら学校のイメージダウンになるだろう?
 ここは儲けの半分で手を打たないか? 午前中だけでも結構な――」
「黙れ!」
 新崎が一括する。
「そうだとしても、僕はあなた方を赦してはおけない!
 それがこの学校の生徒会の……いや、生徒としての義務だ!」
 その言葉に男子生徒達は縮こまる。
(流石だな。月原は、良い後継者を育ててきたようだ……)
 その様子を見て俺は感心する。
「浅田君。不正を暴いてくれたきみに……感謝する」
「金を騙し取られたんだ。当然の事をしたまでだ」
 そう言って俺は男子生徒達に支払った千円札を奪い返す。
「それと、慰謝料代わりにこいつをいただいていくぞ。不正が無ければ確実に取れた筈だからな」
 景品の中からガラスのウサギを手に取った。
「ほら、お望みの品だ」
「えっ? でも……」
 北村は困ったように俺と新崎を交互に見る。
「受け取ったらいいよ。きみ達にはそれくらいの権利はある」
 新崎はにこやかに頷く。
「は、はい……ありがとうございます」
 北村は頭を下げてそれを受け取ってくれた。
「すまなかったな。こんなところに連れて来てしまって」
「いえ、そんな……」
 結局爆弾は見付からなかった。
 念の為に台の下も覗いてみたが、それらしいものはどこにも無かった。
(さて、次はどこに行くか……)
 学校内で輪を扱ったもの、または輪の形をしたものは何かと考え込む。
「このリングも証拠品として押収します。
 この不正に関わった者が他にも居ないのか、あとで聞かせてもらいますから」
 新崎の言葉を聞いてはっとなる。
(リング……そうか!)
 教室の窓から外を眺めていた時の事を思い出す。
「俺は先に戻る。後は任せたぞ」
「あっ、きみにはまだ話が――」
 引き止めようとする新崎を無視して、俺は教室から飛び出した。

――PM 2:45

 グラウンドに出て目的の場所へと走る。
 その場所は人だかりが出来ているので、すぐに分かった。
「くそっ! ちょこまかと!」
 四方に杭を立ててロープが張られただけの簡易リングの中では、
 手にグラブを嵌めた二人の男が対峙していた。
「……村上?」
 良く見ると片方の男は村上であった。
「ほら、こっちこっち!」
 もう一人のヘッドギアをした男が挑発するように手招きする。
「逃げんじゃねえ!」
 村上が拳を繰り出すが相手の男にあっさりと避けられる。
 どうやらボクシング部の人間らしく、ディフェンスがかなり上手い。

――カンカンカーン!

 ゴングが鳴らされて終了する。
「はい、残念でした! また挑戦してくださいね!」
「ちっ……」
 息を切らした村上が悔しそうにグローブを外してリングから出る。
「さあさあ、次の挑戦者はどなたですか?
 一分間五百円で殴り放題。こちらは一切手出ししません。
 もしもこちらがKOされたり手を出したりしたら、お代はお返ししてすぐに店をたたみますよ」
 メガホンを手にした数人のボクシング部員達が観客に向けて声を上げる。
 これがボクシング部の行っている『殴られ屋』というもののようだ。
「村上」
「おっ? 浅田じゃねーか」
「どんな相手なんだ?」
「かなりやるな。向こうは防御に専念しているとはいえ、有効打が一発も入らねえ。
 くそっ!蹴りが使えればな……」
 心底悔しそうな様子である。
「それにしても、どうしてこんな場所でやっているんだろうな」
「ボクシング部にはちゃんとしたリングが無いらしいぜ。
 これで稼いで、部費の足しにするつもりなんだろーな」
「成程。確かうちの学校には、
 プロレスやアマレスのようなリングを使う部活は他に無かったよな?」
「ああ。それがどうかしたか?」
「いや、確認したかっただけだ」
 つまり、今この学校で試合に使うようなリングはここだけである。
「挑戦させてもらう」
 俺はボクシング部員に五百円玉を渡した。
「おおっと! 新たな挑戦者の登場です!」
 俺がリングに入ると観客達も盛り上がる。
「さあ、グラブを嵌めてください。ゴングの合図と共に一分間です。
 攻撃は拳だけで、頭突き、蹴り、掴み技などは当然禁止です」
「分かった」
 グラブの具合を確かめる。誰でも使えるようにしている為か、大きめで少々振り回しにくい。
「すまないが、終わりにしてもらう」
「何?」

――カーン!

 ゴングの合図と共に、俺は真っ直ぐに飛び出した。
「――っ!?」
 ボクシングをしている者としての条件反射なのだろう。
 相手の男は迎え撃とうと鋭い左ジャブを繰り出してきた。
 寸前で頭を揺らしてその拳を躱す。

――ごすっ!

 クロスカウンターとなった俺の左拳で確実に顔面を捉えると、
 相手の男はそのまま後方の地面に吹っ飛んだ。
「キャ、キャプテン!」
 部員が慌ててリングに飛び込む。
「うっ……」
「大丈夫ですか!?」
「あ、ああ……」
 キャプテンと呼ばれた男は部員達の手を借りてよろよろと立ち上がる。
「手を出した上にKOされたな。約束通りに料金の返還と店をたたんでもらおうか」
「貴様!」
 部員達が拳を構えて俺を取り囲む。
「止めろ!」
 それを制したのはキャプテンだった。
「彼の言う通りだ……約束は守る」
「しかしキャプテン! まだ目標金額には――」
「やはり我々は、このような方法で金を稼いではいけないのだ。
 リングがなかろうと、器具が無かろうと、強くなれる筈だ!」
「キャプテン!」
「キャプテン!」
「キャプテン!」
 涙を流して肩を抱き合う部員達。
(……何だか、悪い事をしたような)
 グラブを外しながらその光景を眺める。
「ナイスファイトだったぞ!」
「がんばれよー!」
「俺らも応援するって!」
 観客達も声援と拍手を送る。
「強いな、きみ。ボクシングをやってみないか?」
「断る」
「そうか。撤収する!」
 部員達は瞬く間にリングを片付け始め、
 俺の手からグローブを受け取ると代わりに五百円玉を握らされた。
「おいおい……何のコントだよ」
 呆れた様子で村上が呟いた。
「完全に食われたな。美味しいところ全部持ってかれたぞ?」
「そんなものはどうでもいい」
 リングが無くなったので観客もどこかへと散って行く。
「おっと、そろそろ時間だな」
 村上が時計を見て声を上げた。
「何か予定でもあるのか?」
「朝に言ったろ? 可奈が出る演劇を見るってな。じゃあな!」
 そう行ってグラウンドから去って行った。
「さて……」
 人気が無くなったのを見計らって、辺りを歩き回りながら慎重に調べ始める。
 地面は四本の杭が刺さった跡があるだけで、どこにも不審な点は無かった。
 多くの人の足で踏み荒らされてはいるが、掘り起こした跡くらいは一目で分かる筈だ。
(ここではないのか……?)
 ボクシング部が使っていた道具にも怪しい点はなかったと思う。
 爆弾を仕込むにはそれなりの大きさが必要だ。
(ならばどこに? 他にリングは――)
 その時になってようやく気付いた。
 スポーツで使うリングは、他にもある。
(しかし今は……)
 一抹の不安を抱えながら、俺は走り出した。

――PM 3:07

 体育館の扉の前に辿り着くと、
 そこには立て看板が設けられてあって今後の予定表が張られてあった。

『午後三時から四時まで演劇』

 村上が言っていたように、瑞樹の妹が出演するという演劇が公開されているようだ。
 体育館後ろの扉を開けて中に入ると、照明の落とされた室内は真っ暗だった。
 おそらく窓には暗幕が掛けられているのだろう。
 しかも大勢の観客が居るので、とてもじゃないが動き回れるようなスペースは無かった。
(さて、どうする……?)
 ステージを見ると、スポットライトに照らされた可奈の姿が見えた。
『――このカボチャの馬車があれば、お城の舞踏会に間に合うわ!』
 声高に台詞を叫ぶ姿は堂に入っている。
 ここに来た目的は、バスケットボールに使うゴールリングを調べる為だ。
 コートは二つだから全部で四つ。
 だが、この混雑では調べるのは無理だろう。
(今は他を探すか? しかし、この後人が少なくなるという保証は無い……)
 一度外に出て体育館の構造を良く思い出す。
 ステージを正面にして、体育館の左右にはテラスが設けられている。
 その入り口となる階段はステージのすぐ両脇にあった筈だ。
(そこから上がれば、テラスに入ってリングを調べられる)
 そう思ってすぐに体育館前の扉を開けるが、階段の目の前を男子生徒が立ち塞がっていた。
「テラスには上がれないのか?」
「だめだって。スタッフ以外は立ち入り禁止なんだ」
 良く見ると、テラスにはステージにスポットライトを当てている者が居た。
 他にも演出に使うのか、色んな機材を持ち込んでいるようだ。
「演劇が終わった後でもか?」
「そうだよ。今日はずっと立ち入り禁止。
 上から見たいって気持ちも分かるけど、あんまり沢山人が入ったら危険だしね」
 これ以上押し問答をしても仕方ないので、俺は大人しく体育館を出た。
 すぐ近くにはステージに直接上がる扉があったが、そちらも当然立ち入り禁止である。
(まてよ。人が居るのはテラス前方の一部だけだ。後ろからこっそり上がれば……)
 俺は再び体育館後方の扉を開けた。
 中の人達は皆、前方の演劇を眺めている。
しかも照明が落とされている上に、窓を暗幕で覆われている為に真っ暗だ。
 頭上を確認すると、素早く飛び上がってテラスのフェンスの金網にしがみ付いた。
 周囲の人間に気付かれないように、なるべく音を立てないでよじ登る。
(確か、村上も来ている筈だな)
 他の知り合いも居るかもしれないが、この暗さでは人物の識別は難しい。
(とにかく、演劇の最中に調べ終わらせないとな)
 テラスに身を躍らせると、近くにあるバスケットのゴールリングのところへと向かう。
(ここは違うな)
 ゴール板の後ろからだけではなく、フェンスから身を乗り出して前の方もくまなく調べるが、
 爆弾らしきものは見付からない。
(次は向こうだ)
 更にテラスを進んでステージに近いリングの方へと近付く。
『――人魚の姿では、あの人の前には出られない。この薬を使えば、両足を得る代わりに声を……』
 ステージでは相変わらず可奈が演技を続けている。
 数メートル先に居る照明の人間に気付かれないように足音を殺し、先程と同じように調べる。
(ここにも無い。ならば、向こうか?)
 体育館の反対側にあるテラスを眺める。ここからでは暗くて良く見えない。
(しかし、どうやって向こうに行く?)
 向こうのテラスの下は扉が無いので、暗がりの中でも人がびっしりと並んでいるのが分かる。
 いくらなんでも目の前でよじ登れば不審に思われるだろう。
(外から回って窓から入るか? いや駄目だ。確か鉄格子が嵌められていた筈だ)
 転落防止の措置だろうが、今はやっかいな代物である。
 無理にこじ開ければ侵入出来るかもしれないが、
 中の人間に気付かれないようにするのは不可能だろう。
(いや、まてよ……)
 俺はテラスの一番後ろへと戻った。
(侵入路はもう一つある)
 見上げると、体育館の天井に張り巡らされた鉄骨が目に入った。
(……やるなら今のうちだな。この暗さなら誰に気付かれないだろう)
 フェンスを乗り越えて頭上の鉄骨にしがみ付く。隙間があるので、
 手や足が掛けられるスペースは充分にある。
(問題は時間だ。向こうに行っても、爆弾が無かった上に帰れなかったのなら、
 どうしようもないからな)
 雲梯の要領で進むが、中央部分に行くのに上りになっているので少々つらい。
(手元が見えないからな。慎重に――)
 ふと、指先に何かが当たった。
 鉄骨ではない。
 それより柔らかく、球形の物だった。
(まずい!)
 鉄骨の隙間から何かがぽろりと落ちる。
 このまま下の観客に当たれば、俺が頭上に居るのがばれてしまうかもしれない。
(くっ! 足を――)
 両足を伸ばしてそれをキャッチする。
 もう少し反応が遅ければ、このまま下に落としてしまうところだった。
(……危なかった)
 俺は内心で溜息を吐いた。
 鉄骨の隙間にバレーボールが挟まっていたのだ。
 他にもこのように打ち上げられたものがある事を すっかり忘れていたのである。
(こんな障害物があるとはな……もっと注意しないと)
 それからはボールを落とす事も無く、無事に渡り切る事が出来た。
 かなりの疲労だが、休んではいられない。
『――本当にこの林檎を食べるの?
 いくら王子様のハートを射止める為にとはいえ、わざわざ自分から仮死状態になるなんて』
 何となく気になるのがステージで行われている演劇の内容だ。
 気付いた時には全く異なる場面に移っている。
(まあ、そのおかげで客は大人しくステージに注目してくれている。瑞樹の妹に感謝するべきかな)
 結局、三つ目と四つ目のゴールリングにも爆弾は無かった。
 ここで落胆するよりも、これだけ人の多い場所に爆弾が無い事に安堵するべきだろう。
(とにかく、早く戻らなければ)
 帰りも来た道と同じ道を通る事にする。
 鉄骨の配置や障害物が分かるので、来た時よりは移動時間は早く済むだろう。
(終了予定の四時まで残り十分あまり。どうにかぎりぎり、というところか……)
 それは、屋根の中腹まで来た時の事だった。

――ピッ、ピッ、ピッ。

 下から電子音が響いてくる。どうやら誰かが携帯電話を操作しているらしい。
(演劇の最中に非常識な……)
 自分の事は棚に上げてそんな事を考える。
「ちっ、何で出ねーんだよ!」
 壁に寄り掛かって立っていた男は、吐き捨てるように言って携帯電話をしまう。
「これから面白くなるっていうのに」
 良く見ると、男の周りだけ人が避けているように空間が開いていた。
 服装からして外から来たガラの悪い人物らしく、誰も注意をする訳でもなく敬遠しているようだ。
(まさか……)
 悪い予感が胸に去来する。
 男がポケットから何かを取り出すと、手の中で火花のようなものが走った。
(ライター? それに、今の光で見えたものは――)
 間違い無い。
 花火でよく使われる、爆竹の束だった。
(奴か!)
 校舎裏で叩きのめした男が言っていた、この学校を退学になった男だという奴だ。
 演劇のクライマックスで爆竹を鳴らして、台無しにさせるつもりの腹積もりらしい。
(そうはさせない!)
 俺は制服の下から物置で手に入れたロープを取り出すと、その端を鉄骨に結び付けた。
「へへっ……イクぜぇ」

――シュルルルルッ。

 ロープを使って真下に降りると、
 男が振り上げた手を掴むと同時に脚で首を三角締めの要領で締め付けた。
『――お姫様のお世話なんてもうウンザリだわ! 誰かわたしを助けて!』
 爆竹の導火線に点いた火を指で揉み消す。
 男が気を失ったのを確認すると、
 周囲に気付かれないうちに俺は素早くロープの端を口で咥えたまま壁を蹴って駆け上った。
(奴が手にしている危険物を見れば、すぐに誰かが処理してくれるだろう)
 ロープを解いて再び鉄骨を渡る。
『――そうよ! 今度はわたしの王子様を見付けるのよ!
 魔女だって、恋がしたいんだから!』
 ファンファーレが鳴り響き、物語は終焉を迎える。
 観客達の拍手喝采の中で、俺はようやくテラスへと辿り着いた。
 一息付く間も無く向こうから順に暗幕が開かれていく。
 ここに来る前に素早くフェンスから飛び降りて、体育館の床に着地した。
 照明が点された頃には扉を開けて体育館の外に出ていた。
「危なかった……」
 肩で息をしながら呟くと、入り口にあった立て看板が目に入った。
 ここに来た時は気付かなかったが、演劇のタイトルが書かれてあった。

『プリンセス・プランナー〜魔女の憂鬱〜』

 どうやらその魔女の役を可奈が演じていたらしい。
 助っ人と聞いていたが、主役クラスの扱いだったようだ。
「お疲れ〜」
「お疲れ様でした〜」
 ステージ脇の扉が開き、中からどやどやと演劇の人間が舞台衣装のまま出て来た。
 大成功を収めた事もあって、互いに褒め称えあっている。
「あっ! 浅田せんぱ〜い!」
 すると、俺の姿に気付いた可奈がこちらへと走り寄って来た。
「どうでした? 私の演技、おかしくなかったですか?」
「ああ。おかげで助かった」
「えっ?」
「いや、こっちの話だ」
 黒い服に黒い三角帽子、手にはステッキを持っていて、いかにも魔女といった姿だ。
「可奈ー! そろそろ打ち上げパーティに行くよー!」
「は〜い! じゃ、これで!」
 可奈は慌しく演劇の仲間ところへと戻って行く。
 体育館からは客もぞろぞろと出て来て、すぐに廊下は人で溢れ返るだろう。
(……とりあえず移動するか。爆破まで、あと一時間を切っている)

――PM 4:10

 あてもなく校舎の中を歩き回っていた。
(輪……リング……他に何か無いのか?)
 考える事はそればかりである。
 体育館から離れる前に、そこの用具室にも顔を覗かせてみた。
 もしかしたらフラフープでもあるかもしれないと思ったが、結局は空振りだった。
 鍵が開いていたのは、今も何かの準備をするのか忙しそうに道具を出し入れしているので、
 その間を狙ったのである。
(土俵はこの学校には無い。あと輪を使うスポーツと言えば……)
 一度、スポーツから離れた方が良いかも知れない。
(車輪……輪ゴム……指環……そんなものまで含めたら、探しようが無いな)
 今までの傾向からして、もっと何か象徴的なものの筈である。
(もっと大きくて、分かり易いものと言えば――)
 ある教室の前に来た時に、その目立つ看板が目に入った。

『占いの館〜恋愛学業仕事何でもござれ〜』

 見るからに怪しい出し物である。
 教室の中の様子を伺うと、
 占い師に扮した数人の生徒達がそれぞれ別のやり方で占っているようだった。
 巫女の格好でおみくじを引かせたり、本格的なタロット占いがあったり、
 カーテンですっぽりと覆 われたところがあったりと様々だ。
(ここで爆弾の場所を占ってもらうわけにもいかないしな)
 心の中で苦笑してその場から離れようとした時、見覚えのある人の姿を見掛けた。
「瀬名さん?」
「あら、奇遇ね」
 一人で、誰かを捜している風に歩いていたようだった。
「連れとはぐれちゃってね。ああ、勿論大学の女友達よ」
 尋ねてもいないのに先に話し始める。
「そうだ! 折角だから少し付き合ってよ。ちょうどそこって、占いをやっているみたいだし」
「いや、俺は……」
「ほらほら! おごってあげるから、遠慮なんてしないの!」
 強引に手を引っ張られて占いの館に足を踏み入れる。
「まあ、ここで出会ったのも運命みたいなものだし。そうなると占いをするのも必然じゃない?」
「はあ……」
 良く分からない理論で説き伏せられて、俺は曖昧に頷いた。
「あっ! これ知ってる! 六星占術ってやつだよね」
 瀬名さんは早速占いを始めている。
「えっと、私は金星人で……明るく行動的な自由主義者でしょう、か。
 当たっているような、いないような……」
 手渡された紙を眺めながら瀬名さんは首を捻っている。
 あまり満足のいく結果は得られていないらしい。
「ちょっと浅田君。きみもやってみてよ」
 そう言われたので、仕方なく俺も占い師の前に座った。
 名前と生年月日と性別を記入して占い師に渡す。
 どうやらここではパソコンを使っての占いらしい。
 占い師がキーボードで入力すると、すぐに紙がプリントアウトされた。
「はい、出ました。結果はこちらです」
 紙が手渡されてそれを眺める。

『貴方は土星人タイプ』

「なんだ、きみのは当たってるじゃない!」
 瀬名さんが横から覗き込んで声を上げた。
「ふむふむ。性格は孤独な世界に住む理想主義者で、異性に関してはむっつりスケベと。
 ほほう、興味深いわね」
 しかし俺は、こんな占いの結果など気に止めていなかった。
「瀬名さん。あれ、もしかして連れの人じゃないんですか?」
 カーテンで覆われた他の占いのスペースから、
 女子大生と思われる二人組が出て来て騒ぎ立てている。
「もう、詐欺よ詐欺! なんであたしの結婚が二十年後なのよ!」
「そうよ! わたしなんて、病気と事故と借金で不幸三昧よ!」
 どうやら散々な結果が出たらしい。
「あー、本当だ。彼女達もここに来ていたみたいね……」
 瀬名さんが呆れたように呟く。
「じゃあ、俺はこれで」
「えっ? もう行っちゃうの? もっと付き合ってもいいんじゃない?」
「すみません。外せない用事があるんです」
「そっか……悪い事しちゃったかな」
「いえ。ここに連れて来てくれて感謝していますよ」
「そうなの?」
「はい。では、失礼します」
 頭を下げて教室から飛び出す。
(占いというのも馬鹿には出来ないな。俺が探していたものを見事に見付けてくれた)
 輪は、土星にもある。

――PM 4:22

 俺が向かった先は理科室だった。
 そこの準備室には確か、天体観測の道具や惑星の模型があった筈だ。
 その中に土星が含まれている可能性は高い。
(問題は、どうやって侵入するかだ……)
 理科室に辿り着くと、そこでは『面白実験教室』なるものが行われていた。
 教室の中は子供連れの親子が多く、
 風船やシャボン玉といった不思議な実験に目を惹かれているようだった。
「おおっ! すげーすげー! このコップ、本当に音が再生されてるよ!」
 中には生徒の姿もちらほら見られる。
「敬司、おまえもやってみろよ」
「俺はいいよ。唯ちゃん、やってみたら?」
「うん。そうだね」
 と思ったら、和泉と倉谷だった。
(あいつらか……もう一人は、知らない奴だな)
 廊下側にも準備室の扉があるが、そこは当然鍵が掛かっている。
 磨りガラスなので中の様子も伺えない。
(とにかく、見学の振りをして理科室に入ろう。隙があれば侵入する)
 開いたままだった扉から理科室に入り、後ろの方から辺りの様子を伺う。
「はい。注目ー」
 白衣を着た初老の男性教師が教卓の上で何やら実験を開始するようだ。
 子供たちは一目散にその周りに集まる。
「今度は静電気の実験だよ。ちょーっと、ビリっときちゃうからね」
 その言葉を聞いて子供達が騒ぎ立てる。
(……準備室に続く扉は開いているな。
 だがこの状況では、誰かが侵入すればすぐに目立ってしまうだろう)
 人が集まっている教卓のすぐ横である。ばれずに侵入できたとしても、
 何かを持ち出したら流石に見咎められるだろう。
(準備室に窓は無い……やはり、廊下側の鍵をどうにかするべきだろうか?)
 考えあぐねていると、いつの間にか近寄って来た和泉に肩を叩かれた。
「何やってんだ? こんなところで?」
「ああ、いや……」
「おまえ、ずっとサボってるよな?
 高宮さんは何か重要な事があるからって言ってたけど、随分と暇そうじゃねーか」
 詰問するように俺を睨み付ける。
 だが、事情を知らない者にとっては無理もないだろう。
「まあまあ、落ち着けよ敏樹」
「そうだよ。浅田君は不良も追い払ってくれたじゃない」
 他の二人が宥めるが、和泉は聞く耳持たないようだった。
「俺らだってようやく時間が取れたのに、高宮さんはずっと仕事をしているんだぞ!
 その事に対して何も思わないのか!?」
「すまない……とは思っている」
 襟を掴み掛かる和泉に対して、俺にはそう答えるしか出来ない。
「もう止せ。子供達が見ている」
 すると、敬司と呼ばれた男が和泉の腕を掴んで厳しい口調で言った。
「ああ、何でもないんですよ。お騒がせしました」
 倉谷が笑顔を浮かべて言うと、何事かとこちらを注目していた子供や親達も教卓に向き直った。
「それで、あんたは何しに来たんだ? 何か厄介事なら俺らで良ければ協力するよ」
「おい、敬司!」
「気付けよ、敏樹。彼が遊び回っているように見えるか? こんなにも憔悴しているじゃないか」
 敬司は俺を一目見てそう判断した。
「ちぇっ、分かったよ……」
 渋々ながら和泉は承知したようである。
「高宮さんと何か約束してるんだろ? それまでには絶対に戻れよな」
「ああ」
 心の中で『無事に生きていたのなら』と付け加える。
「それで、用は準備室にあるのか? さっきからそこを見ていたようだけど」
「探し物があってな。中を調べたいんだ」
「そうか。だったら聞いてみるよ」
 そう言うと敬司はすぐに教師のところへと歩いて行った。
「先生」
「んー?」
「準備室の中を見学してもいいですか?」
「あー、いいぞ。それで、この蓄積された静電気が……」
 教師は説明に夢中らしく、生返事を返すだけだった。
「オッケーだ」
「すまない」
 教師の気が変わらないうちに、俺は素早く準備室の中に足を踏み入れる。
「浅田。俺達も探してやろうか?」
「中は狭い。俺一人で大丈夫だ」
 和泉の申し出を丁重に断る。
 整頓された美術準備室と違って、ここは乱雑に物が置かれてあった。
「……見付けたぞ」
 棚の上にあった数々の模型。その中に、サッカーボール程の大きさの土星があった。
 慎重に手を伸ばして取り出すと、今まで以上のずしりとした重量感があった。
 通常は空洞である筈のこの手の模型にしては不自然である。
(こいつで間違い無い……理科室に仕掛けるとは、Xも考えたな)
 ここなら様々な危険な薬品がある上にガス管も通っている。
 爆弾による引火で、確実に二次災害が引き起こされる。
 俺は土星の模型を抱えて準備室を出た。
「探し物って……それなの?」
 倉谷が物珍しそうに尋ねる。
「へえ、土星儀か」
「土星儀?」
「ああ。地球儀ってあるだろ?
 あれの土星版だよ。他にも火星儀、水星儀、月球儀なんてものもあるんだ」
「へえ、以外ね。知らなかったわ」
「それって俺の事? 土星儀の事?」
「両方よ」
 和泉や倉谷と違って、敬司は神妙な顔付きだった。
「そいつが必要なのか?」
「ああ。何を言われても、これだけは絶対に持って行く」
 ここには子供を含めて人が大勢居る。このままにはしておけない。
「ん? そいつは……」
 教師がこちらに気付いた。
「そんなもの準備室にあったかな?
 仕入れた覚えも、借りた覚えも無いが……」
 土星儀を見て首を捻る。
「多分、誰かが勝手に置いたんでしょう。心当たりがありますから、俺が返しておきますよ」
「そうか。じゃあ、頼む」
 そう言うと、こちらには興味を無くしたように再び実験に戻った。
「あの先生、ズボラで有名なんだ」
 敬司が苦笑する。
「感謝する。おかげでスムーズに目的のものが手に入った」
 どう侵入するかばかりを考えていたのに、
 まさかこんな単純な方法が通用するとは思いもしなかった。
「なあに、素直に頼むのが一番さ」
「何だか知らないけど、さっさと教室に戻れよ」
「またね」
 三人に見送られて俺は理科室から出る。

――プルルルルルル。

 土星儀を抱えたまま廊下に出ると、今まで通りに携帯電話が鳴った。
『見付ケマシタカ?』
「ああ。土星の輪とは、中々洒落たセンスじゃないか」
『フフッ。褒メ言葉トシテ受ケ取ッテオキマショウ』
 この状況になっても向こうにはまだ余裕があるようだ。
「爆弾を解除する場所だが――」
『ソレハコチラデ指定シマス』
「何?」
『万ガ一ニモ、前ミタイナ事ガアッテハイケマセンカラネ』
「それで、どこに行けばいいんだ?」
『視聴覚室ニシマショウ。今ハ使ワレテイナイ筈デスシ、
 アソコナラ多少騒イデモ気付カレマセンヨ』
「……分かった」
 言われた通り視聴覚室に向かう。
(そこで決着を付ける……!)
 残り時間は少ない。
 一目も気にせず、俺はひたすら走り続けた。

――PM 4:48

 視聴覚室の扉は開いていた。
 最初から開いていたのか、Xが開けておいたのか今更どうでもいい。
 室内に入ると誰の人影も無かった。
『デハ、土星儀ヲ開ケテモライマショウカ』
 指示に従って土星儀の輪を外して本体の繋ぎ目に指を掛ける。
 中から出てきたのは、ぎっしりと詰まった爆薬と起爆装置の携帯電話だった。
(前の爆弾から推測すると……この量なら軽く校舎が半壊するな)
 視聴覚室の窓の外は住宅街で、上にも下にも教室がある。
 ここからどこに放り投げたとしても被害は出るだろう。
「時間が無い。早くしてくれ」
『焦ル必要ハアリマセンヨ。爆弾ニ取リ掛カル前ニ、制限時間ヲ一時間ダケ延長シテアゲマス』
「何だと?」
『今ノ残リ時間デハ、問題ヲ出スダケノ時間ガ無インデスヨ』
「……一体、どんな問題なんだ?」
『スグニ分カリマスヨ。ソレトモ、自力デ爆弾ヲ解体シマスカ?』
 装置を眺めると、今まで以上複雑な造りなのが見て取れる。
 特別の知識でもない限り無闇に手を出さない方が無難であろう。
「分かった。問題を出してくれ」
『エエ。デハ、ソノ前ニ――』

――ピピッ。

 爆弾に繋がれた携帯電話が音を出した。おそらくこれで、時間が延長されたのだろう。
「コレデ爆発ハ午後六時ニ延長サレマシタ。
 問題ヲ出シマスノデ、ソノ部屋ニアルビデオデッキヲ見テクダサイ」
 部屋の前の天井にはテレビがぶら下がっている。
 その近くの教卓の下にあるビデオデッキはそこに繋がっていた。
『デッキノ棚ニ、ラベルノナイビデオテープガアリマスヨネ?』
「ああ。こいつを再生するのか?」
『ソウデス』
 指示されたビデオテープをデッキに入れて再生させる。

『――新入生、起立』

 テレビに映し出されたのは、この学校の入学式の風景だった。
『覚エテイマスカ? コレハ、アナタガ入学シタ時ノ光景デス』
 言われてみると、確かに見覚えのある光景だった。

『――新生徒会長からの挨拶』

 月原がステージに上がって挨拶を述べている光景が写される。
 この頃はまだ二年生で会長に就任したばかりの筈だが、
 今と変わらずに堂々とした立ち振る舞いだった。
(こんなものを見せて、一体どんな問題を出題するつもりだ?)
 そういった映像を延々と一時間近く眺めた頃だった。

『――新入生代表』

 そこで突然映像が途切れた。
 ビデオやテレビの故障ではなく、テープ自体がそこで終わっていたのだ。
『問題デス。コノ後ニ登場スル人物ハ誰デショウ? 名前ヲ入力シテ答エテクダサイ』
「何? まさか貴様――」
『質問ハ受ケ付ケマセン。サア、ジックリト思イ出シテクダサイ』
 Xはそれきり黙り込んでしまった。
(あの時の新入生代表だと? ここに来てこんな問題を出すとなると、やはり……)
 残り時間は十分。
 俺は目を閉じながら当時を思い起こした。
(確か、男子生徒だった筈だ。今の俺の知り合い……ではない)
 つまり、全くの他人という事だ。そうでなければこの時点で思い出している。
(あの時……新入生代表と呼ばれて立ち上がった人物を俺は見ていた)
 それもすぐ近く。隣の席だった。
(同じクラス……? しかしその後で、そういう人物を見た記憶が無い……)
 そういえば、入学直後に来なくなった生徒が居たような気がする。
 クラスでほんの少しだけ話題になったが、すぐに忘れ去られてしまった。
(そうだ。出席番号が二番の生徒。
 ずっと空席だったそいつの机は、一月も経たないうちに撤去されたのだ)
 自分のすぐ背後の席だったので、その事は何となく覚えている。
(来なくなったのは、確か病欠……が理由だった筈だ)
 一人少ないままスタートしたクラスだったが、いつの間にかそれが当たり前になっていた。
 二番が欠番のまま一年間を過ごし、俺は二年生に進級したのである。
(そいつの名前は……名前は……)
 そこだけがどうにも思い出せない。
(当時、出席番号が三番の生徒は木村という奴だった。
 という事は、苗字が『あ』から『き』の間になる)
 伊藤、上田、江川、小野、川崎などの苗字を思い付く限り頭に浮かべる。
 だが、どれもしっくりこない。
(……珍しい苗字だったような気がする。二文字で、読みも二つ――)
 ここで考えたのは、どうして奴が『X』と名乗っているかという事だ。
 勿論、謎の人物という意味を指すのだろう。
(ここまで凝った演出をしてきた奴が、何の捻りもない『X』などという名前を使うだろうか?)
 そこにも何かしらの意味があるように考えられる。
 わざわざ向こうが、そう呼んでくださいと言っていたのだから。
(エックス……いや、別の読み方をするのかもしれない。
 イクス、エキス、シース、ハー、カイ――)
 そこではっとなる。
(そうだ! 『カイ』だ!)
 ここまでくると、瞬時にフルネームが頭に浮かんだ。
 俺はすぐに爆弾に繋がった携帯電話のボタンを押して名前を入力した。

『甲斐 柳人(カイ リュウト)』

――ピー。

 そして、電源が切れる。
 これで爆弾は爆発しないだろう。
「ようやく思い出してくれましたね」
 その声は携帯電話からではなかった。
「貴様が……?」
 視聴覚室に入ってきた一人の人物を見て俺は呟いた。
「Xという名前は、とある推理小説を参考にしたんですよ。
 ははっ。結局、最後まで気付きませんでしたね」
 ノートパソコンを手にした甲斐は力無く笑みを浮かべる。
「その身体は――」
「もう、長くは無いんですよ。今頃病院では大騒ぎでしょうね」
 この学校の制服を来た甲斐は、真っ白な髪の毛に痩せ細った身体だった。
 携帯電話で話していた時とは随分と印象が違い、
 その青白い顔は立っているのも辛そうな様子であった。
「だから死ぬ前に、一花咲かせるつもりだったのか?」
「それもあります。ですが、一番の目的はあなたです」
 甲斐は俺に震える指を差して言った。
「人づてにあなたの噂は聞いていました。
 入学式でたまたま隣り合わせだったわたし達が、何の因果か別々の道を歩んでしまった。
 あなたのような人物には、学校などさぞかしつまらない場所に思えたでしょう。
 対するわたしは、学校に来たくて仕方なかった」
 壁に背を預けながら、懐かしそうに頭上を見上げながら話を続ける。
「病院は暇でしてね。親が気を使って個室を用意してくれたので色々と勉強をしました」
「それで爆弾の作り方を覚えたのか?」
「最初は興味本位だったんですよ。
 作り方を調べても、実際に製作するには中々至らなかった。
 ですが、転機が訪れたのは今年に入ってからです」
「何があったんだ?」
「わたしは、身体の調子が良い時は学校に登校していました。
 保健室で受けてしましたから生徒には気付かれませんでしたけどね。
 その際に、学校のあちこちにカメラを仕掛けておいたんですよ」
「盗撮か」
「ええ。教室や廊下など、長い時間を掛けてあちこちにね。
 病室でも学校気分を味わいたかったんですよ」
「それで、今年になってから何が起きたというんだ?」
 俺が尋ねると、甲斐はさも可笑しそうに笑い声を上げた。
「それは、あなたがよくご存知でしょう。きっかけは同じクラスの高宮美紀だった」
「……あれか」
「そうです。あれを境にあなたの生活は激変した。
 人付き合いを極端に避けてきたあなたが、いつの間にか多くの人間と関わるようになった」
「だから何だというんだ。貴様には関係の無い事だろう」
「いいえ、そうでもないんですよ。少なくとも、わたしにとっては」
 甲斐はそこでニヤリと笑みを浮かべる。
「あなたには孤高の王でいて欲しかった。
 今日一日あなたを観察してきて、それを確信しましたよ。
 あなたは常人と肩を並べるべき存在ではない。もっともっと、高みへと登るべきなんだ」
「……何を言っているんだ?」
「あなた本人には分からないでしょう。
 そこが、才能を持つべき者と持たざるべき者との差ですからね。
 わたしがいくら言っても理解する事は難しいと思います」
「褒めているのか、けなしているのか、はっきりしろ」
「ふふっ。常人の戯言と受け取ってもらっても結構です。
 所詮わたしは、入学式で新入生代表になっただけで全てが終わった男――」
 そこで甲斐は苦しそうに咳き込んだ。
「甲斐!?」
 床に崩れ落ちるように倒れた甲斐に駆け寄ると、吐血しているのが分かった。
「ですが……一度で良いからあなたと対等の場所に立ちたかった。
 それこそ、命を燃やして熱い闘いをしたかった……」
 甲斐の目は虚ろだった。
「今すぐ、救急車を――」
「無駄です……自分の身体は、良く知っているつもりです……
 ふふっ、これこそ……闘いの果てで生まれる友情ってやつですかね?」
「何を言っている!」
 俺は甲斐の身体を抱き上げながら怒鳴り付けた。
 こんなに弱々しく軽い体重で、あれだけの仕掛けを作ったというのは賞賛に値するものだった。
 それこそ正に、命を燃やしていたのだろう。
「すみませんが……カメラなどの残った仕掛けを、回収しておいてくれませんか?
 このノートパソコンに……全てがインプットされていますから」
「……分かった」
 俺は頷いて約束をする。
「わたしの負けです……ふふっ……こういう最後も、いいものですね……」
「甲斐……」
「さようなら、浅田涼一……殺したい程、愛していましたよ――」
 午後五時三十八分。
 甲斐柳人はその時、短い生涯を終えた。

――PM 5:55

 俺はそこら辺に居た教師に、視聴覚室で見知らぬ生徒が倒れているとだけ報告した。
 爆弾事件の事は何言わなかった。
 教師は慌てて甲斐の下へ向かい、既に亡くなっている事を確認すると、
 俺に口止めをさせてその場から遠ざけた。
 おそらくすぐに、病院の人間なり甲斐の両親がやって来るのであろう。
 どうして甲斐が学校に来たのか、完全には理解出来ないかも知れない。
 土星儀の爆弾はとりあえず校舎裏の土に埋めて保管してある。
 危険物なのでいつまでもそこに置くわけにもいかないから、
 そのうち人気の無いところに運んで爆発させて処理するつもりだ。
 甲斐のノートパソコンには爆弾に関するデータも入っていたので、
 取り扱いに関しては問題無い。
 そのうちセットされた隠しカメラとやらも回収つもりだ。
 それと、俺が持たされた携帯電話には発信機と盗聴器が仕掛けてあったのが分かった。
 向こうはこれで、こちらの会話や動向を探っていたのだろう。
 それら発見されるとまずいものも、まとめて土の中に隠してあった。
「――良かった。ちゃんと戻って来たのね」
 二年B組に戻ると、高宮がほっとしたように笑顔を浮かべた。
「約束だからな。六時にフォークダンスに付き合うって」
「そうよ。さあ、早く行きましょう!」
 高宮は俺をグラウンドへと急き立てる。
 校舎から外に出ると、夕暮れ時の薄闇に煌々とした灯かりが燈されていた。
「わあ、きれい……」
 高宮はうっとりしたように眺める。
「単に文化祭で使った廃材を焼いているだけなのにな」
「そういう事は言わない約束なのよ」
 キャンプファイアーの周囲には大勢の生徒や観客が集まっていた。
 文化祭の締めの恒例行事なので、最後にこれだけは見なければという思いがあるのだろう。
「それでは、男女ペアになって輪になってくださーい! 外のお客さんでも参加できますかーら!」
 新崎がスピーカーを片手に持って叫ぶ。
「行こう、浅田君」
「ああ」
 最初は恥ずかしがってかあまり人が来なかったが、
 やがて吹っ切れた様子で沢山の男女が集まって炎の周りに輪が出来た。
(輪……か。そういえば、ここにもあったのだな)
 ふと、甲斐の事を考える。
(あいつは命を懸けて挑戦してきた。ただの自暴自棄じゃない。
 まだ赦してやる事は出来ないが……それだけは賞賛に値する)
 準備には何ヶ月も要したのだろう。
 ノートパソコンをちらっと覗いただけでも、その膨大なデータ量に対して執念を窺い知れる。
(ただ、普通の高校生活を送りたかっただけなんだ。
 それが長い入院生活で鬱屈された思いが蓄積されて、このような事件を引き起こしたのだろう)
 甲斐の言う通り、俺にはあいつの気持ちを完全に理解する事は出来ない。
 全てが終わった今になって、勝手に推測しているだけだ。
(そう……それは分からない。この先、どれだけ時間を掛けたとしても)
 甲斐には未来が無かった。
 様々な可能性と未来がある俺に対して、妬みや羨みが入り混じった想いを抱いていたのだろう。
(甲斐の目には、この世界がどう映っていたのだろうか?)
 病院のベッドの上だけでは、色も音も匂いも無い、モノクロームのような世界だったのだろう。
 コンピュータや爆弾に走ったのも、その反動だったのかも知れない。
(その白黒世界の希望として目を付けたのが、この俺だったという訳か……)
 この俺を通して何を見ていたのか。
 もしかたら、自分を投影して見ていたのかも知れない。
 それこそ、複雑な愛憎を込めて。
(……いや、俺も同じような白黒世界で生きていたんだ。
 誰とも関わらず、惰性のように学校生活を送っていた……あの日までは)
 その世界に色と音と匂いをもたらしたのは、目の前に居る人物を含めた、様々な人物達であった。
「どうしたの?」
 考え事をしていた俺の顔を高宮が覗き込む。
 炎の明かりに彩られ、まるで別人のような感じがした。
「ああ、いや……すまなかった」
「謝らなくてもいいわよ」
「そうだな。ありがとう」
「えっ? 何を?」
「その……色々だ。高宮だけじゃない。
 今日はいろんな人の助けを借りた。
 全ての人たちに礼を言いたい気持ちだ」
「何それ? 変なの」
 高宮は微笑みを浮かべる。
「では、ミュージックスタートでーす!」
 グラウンドに音楽が鳴り響き、炎の周りでは思い思いに手を取って踊る。
 きっとここだけではなく、学校のあちこちで同じような事をしている人達が居るのであろう。
「もう一度言う……ありがとう」
「分かったわよ。そんな、真顔で言わないで……」
 踊りながら高宮は、恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「それより、教室の後片付けはキチンと手伝ってよね」
「ああ。もう、どこにも行かない」
「浅田君……」
「高宮……」
 見詰め合う二人。
 様々な思いが交錯し、永遠かと思われる時間が流れた。
「ちょーっと待ったあーっ!」
 それをぶった切ったのは、可奈の悲鳴のような叫び声だった。
「浅田先輩! 何やってんですか!?」
「いや、フォークダンスだが……」
 見ると、あの時と同じ魔女の格好のままである。
「なんか、無性に腹が立つのよね。抜け駆けされたみたいでさ。
 誘おうかと思って何度教室に行っても居ないし」
 いつの間にか恵美も来ていた。
「ほら、由希子も何か言ってやってよ」
「いえ、わたしは……」
 恵美の背後に居た北村が恥ずかしそうにうつむく。
「相変わらずだね、涼一君は」
「全くだな」
 こちらもいつの間に現れたのか、呆れて肩を竦める瑞樹の言葉に村上が腕組みをして頷いている。
「こんな事になるのは、ちゃんと計画的に文化祭を回らないからだよ。
 それに比べて僕はバッティングなし! 予定にあった全ての女の子と楽しく過ごせたからね〜」
「はっ! じゃあどうして、このフォークダンスでは相手が居ないんだよ?」
 村上の鋭い突っ込みに瑞樹は言葉に詰まる。
「……雪那さんを誘ってみたんだけど、柄じゃないってんで断られちゃってね」
「それで、他の女は?」
「一度断られたら、なんかどーでも良くなっちゃった。
 結局男二人で寂しく過ごす羽目になっちゃったんだよ」
「だってよ」
 村上が瑞樹の肩越しに向こうを見る。
「ふうん。文化祭の仕事とかでちょくちょく姿を消したのは、そういう事だったんだね」
「あっ、いや――」
 背後から組み付かれて首を絞められる瑞樹。確かあれは、柔道の裸締めという奴だ。
「断った事を謝ろうかと思って戻ったのに。全く、あんたって奴は……」
「ギブ、キブ……」
「そんな理由であたしを押し付けられた正弘の身にもなってみな!」
「いや、違うんだよ。こうして戻って来てくれる事を信じていたんだ」
「はっ、よく言うぜ」
「信じてくれ、雪那さん。現にこうして僕はどの女性とも一緒じゃないじゃないか?」
「で、今の本音は?」
「僕の背中に胸が当たって気持ちいい」
「馬鹿たれ!」
 瞬時に身体を離して、背中への正拳突きと
 村上のハイキックによるコンビネーションが繰り出される。
 しかし、それを寸前で躱す瑞樹も流石だ。
「見付けたぞ浅田涼一! さあ、私と一緒に来てもらうぞ!」
「ちょっと、優。そんな、取調べをするわけじゃないんだからさ」
 すると今度は、月原と弥生さんがこちらへとやって来た。
「姉ちゃんもフォークダンスなのか?」
「あれ〜? もしかして、隣に居るのは彼女なの〜?」
「な、何言ってんだよ! 違うって!」
「敏樹、それだけ力一杯否定すると唯ちゃんに失礼だぞ。
 ここは適当に笑って誤魔化すのがいいんだ」
「それも失礼だよー」
 向こうでは和泉達も居たらしい。何だか随分と周りが騒がしくなってきた。
「ねえねえ、新崎先輩も参加しましょうよ。このままじゃ終わっちゃいますよ」
「でも、まだ仕事の途中だし……あっ、生徒会長! それにユッコも!」
「ハル君?」
「何だ、新崎か」
 こうなると、最早フォークダンスどころではなくなってきている。
「とにかくさ、フォークダンスの相手すら誰も居ないとクラスのみんなに笑われるのよ。
 だから、ちょっと付き合ってよ」
 恵美が俺の右手を取って引っ張る。
「何言ってるのよ。ここは私が先約なんですからね」
 すると今度は高宮が俺の左手を取って引っ張り返す。
「だから、ちょっと返してくれるだけでいいんだってば」
「返すって、元々浅田君は恵美のものじゃないでしょう?」
「何よ。そっちこそ、まるで自分のものみたいな態度じゃない?」
 二人の間で綱引き代わりにさせられていると、背後からこっそりと可奈が近付いて来た。
「わ〜、怖〜い。浅田せんぱ〜い、あっちの静かなところにいきましょうよ〜」
「させません!」
 そう叫んで強引に割って入ったのは、高宮でも恵美でもなく北村だった。
「えっ? あ、あの……」
 当の本人も驚いているらしい。困ったように周りを見渡している。
「やるねえ、北村さんも」
「おまえは参加しないのか?」
「闘いに敗れて傷付いた心をそっと優しく声を掛ける。これぞ恋愛の常套手段さ」
「まだそんな事言ってる!」
「あははっ。危ないって。何だか拳に殺気がこもってきたよ」
 向こうの三人は楽しげにじゃれ合っているようだ。
「生徒会長。あの、折り入ってお話が……」
「今は忙しい。後にしてくれ」
「そうですよ先輩。向こうで一緒に踊りましょうよ」
「それで敏樹、その子はどうしたの?」
「何度も言ってるだろ! クラスメートだって!」
「どうも、敏樹君のお姉さんですよね? 私、昔会ったこが――」
「あっ、そういえば!」
「あちこちで修羅場が起こっているな……俺は退散してもいいか?」
「ま、待ってくれ敬司!」
 更にこの混迷の場にやって来る人物が居る。
「涼一様ついに発見! 野郎共、突撃するわよ!」
「合点!」
「承知!」
 美術室で会った、あの三人。
「おっ! いたいたー! 最後くらい、お姉さんに付き合ってよ。
 あいつらったら、高校生の男の子にナンパされてどっか行っちゃったんだから。
 全く冷たいわよねー」
 腹を立てた様子の瀬名さん。
「ああ、良かった。ここに居たのね。
 なんか大変な事態に立ち会ったって聞いたから、先生心配で……」
 更にそれらを押し退けるようにして、御崎先生が現れる。
 もう誰が来ても驚かないと思っていたが、次に彼女が来た時には流石に驚いた。
「涼ちゃん!」
 別れを告げて帰った筈の鈴乃が俺の身体に抱き付いた。
「あのね、あの後相良先生に相談したら……
『会える時に会っておかなければ一生後悔する』って言われたの。だから……」
「それで私も会いたくなってね。無理を言って付いて来てしまったよ」
「知り合い、だと聞いたけど」
「久しぶりだね。鈴乃君から聞いた時は、もしやと思ったが」
 サングラスを掛けた彼は俺と握手をする。
 あの時は名前も尋ねなかったが、相良という名前だったのか。
「ちょっと貴女……ああっ!?」
 高宮達はそれを見て驚きの声を上げる。
「いたいた。村上さーん」
「探しましたよ。会いたいって人が居るんで、連れてきましたよー」
「何だおまえら……って、ばあちゃん!?」
 向こうは向こうで何やら騒いでいる。
「私が学校までお連れしました」
「桐野まで……」
「文化祭に参加する正弘の姿を、一目見たくってねえ」
「何だ。言ってくれりゃ、案内したのによ」
「こんなお婆ちゃんと一緒に居たって、迷惑なだけでしょう?」
「そんな事ないって! ……って、何でアニキがここに居るんだよ!」
「ふん。誰が貴様なんかに会いに来るか。もしやと思ったが……のぞみさん!」
「ま、正幸さん!?」
「どうして俺とのデートを断ったんだ。知り合いの文化祭に行くと言っていたから、
 もしやと思ってお祖母様に付いて来たら……」
「もう、こんなところまで来ないでよ! はっきり言って迷惑なんだから!」
「何が不満なんだ! 俺には約束された将来がある!
 言ってくれれば、車でも宝石でも何でも与えてやれるぞ!
 アルバイトなんかで時間を割く事はしなくていいんだ!」
「おあいにくさま。あたしは今の生活に不満は無いの」
 アカンベーをして否定する瀬名さん。
「やれやれ、こっちでも騒がしくなって来たよ。
 雪那さん。僕らはあっちの静かなところへ行こうか」
「えっ? あ、うん……」
 瑞樹が手を取って歩き出そうとしたところに、一人の人物が前に立ち塞がった。
「こそこそと何をやっている?」
「げっ、父さん! 来てたの?」
「当たり前だ。息子と娘の晴れ舞台を見逃す親がどこに居る?」
「でも、母さんが居ないじゃないか」
「婦人会とやらでどうしても抜け出せなくってな。その代わりビデオにはきちんと収めていたぞ。
 実は体育館で妙な気配を感じてレンズを向けたんだが、
 暗くてはっきりとは写らなかったんだ。いや、残念」
「折角の娘の晴れ舞台で、一体何を写そうとしているんだよ……」
「それも、どこかで感じたような気配だった。あれは只者ではなかったな」
「あははっ。だったらそれって、涼一君じゃないの〜?」
「はっはっは。まさか――」
 笑い合う親子二人。
「今晩は。瑞樹師範」
「やあ、榊君。怪我はもういいのかね?」
「はい! 以前はお世話になりました!」
「いやいや。うちの愚息がお世話になって、むしろこちらが礼を言いたいくらいだ」
「愚息って……ひどいなあ」
「あなたのような人物こそ慎也には相応しいかもしれない。
 どこかにふらふらと行かないよう、しっかりと手綱を握ってください」
「そんな、あたしは……」
 榊はぽっと顔を赤らめる。
「それで慎也。可奈の状況はどうだ?」
「見れば分かるよ。ほら、あそこ」
「むう、苦戦しているのか」
 もしやと思って辺りを見渡したら、
 八木さんが遠くでこっそりとこちらの様子を見ているのが分かった。
 俺を見て嬉しそうに手を振っている。
「ふふっ……あははははははっ!」
 こんな状況になってしまうと、押さえようのない笑いが身体の奥から溢れてきた。
「浅田君?」
「涼一?」
「涼一さん?」
「浅田先輩?」
「涼ちゃん?」
「涼一君?」
「浅田?」
「涼一様?」
「浅田涼一?」
「浅田さん?」
 皆は様々な呼び名を口にして心配そうに俺を見詰める。
「ははっ……いや、大丈夫だ」
 俺は周囲を見渡し、心の底から叫んだ。
 
「ありがとう! みんな、愛しているぞ!」


                                                         ――モノクローム END――