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第十話『鳥の行方』
20070124
あれは今から七年前の夏。
「――きみ、どうしたの?」
夕暮れの土手を、一人で歩いていた時。
「――人捜しか。よし、分かった」
僕は、その女子高生に出会った。
「――大丈夫。おねいさんに任せなさい」
***
現在僕は、とあるアパートで一人暮らしをしている。
「おかえりなさい。アラト」
夜中にそのアパート帰って扉を開けると、食事の用意をしていたアラナが笑顔で僕を出迎えた。
「……また、勝手に入ってる」
「わたしを外に待たせるつもり? こうして食事の用意をしてあげているんだから、別にいいじゃない」
『アラナ』は僕の父方の祖父が晩年になってから産ませた子である。だから血縁的には叔母にあたるのだろうが、七つしか歳が離れていないのでどうにも実感が湧かない。
昨年何の前触れも無く現れた彼女は、それ以来こうして部屋にやって来るのだ。
「アラト。そろそろ準備が出来るから、早く着替えてきなさい」
手馴れた手付きで包丁を操りながらアラナは言う。
長い黒髪の彼女はいつも鴉を連想させる漆黒のゴスロリ服を身に纏っているが、その姿で料理をするのは似合わないと思った。
「……分かったよ」
ちなみに『アラト』とは僕の名前だ。
どこか母親ぶった彼女の物言いに少々辟易しながらも、僕は言われた通りに学生服から私服に着替えた。
***
あれは日曜日の朝から遊びに出掛けて、昼間に帰って来た時の事だった。
「ただいまー」
当時小学生四年生だった僕は、いつものように声を掛けながら靴を投げ捨てるようにして、当時住んでいた一軒家の玄関を通った。
「腹へったよー。ねえ、昼ゴハンは――」
あの頃一緒に暮らしていたのは、僕と、両親と、父方の祖父。そして三歳になる妹の、全部で五人だった。
そのうちの三人が、台所のテーブルで死んでいた。
「……え?」
何をしたらいいのか分からなかった。
あれが、身近で体験した初めての『死』だった。
「ねえ、どうしたの? お父さん? お母さん? おじいちゃん?」
昼は素麺だったらしい。夏の暑い日だったから、そのメニューはごく自然のものだ。
食事中に亡くなったところを見ると毒殺だったのだろう。皆はテーブルに突っ伏すようにして、苦悶の表情で息絶えていた。
「……そうだ」
僕はすぐに妹の姿を捜した。
その時には、既に死体には何も興味も抱けなくなっていた。
今でも時々考えるのだが、それが事件を目撃してのショックなのか、生来の性質なのか、未だに良く分からない。
だから僕は、人が死んで悲しんだ事が、一度も無かった。
***
「どう? 美味しい?」
「……うん。まあね」
夕食はハンバーグやコロッケなどの洋風のメニューだった。どれもそれなりに手が込んでいて、味も悪くなかった。
「アラナは、今日も仕事帰り?」
「そうよ。あなたに会うと、仕事の嫌な事が忘れられるんだから。でもね……」
そこでアラナは部屋をぐるりと見渡して眉根を寄せた。
「……ここに一人で待っているのは正直言って気分が悪いわ。ずっと住んでいられる人の気が知れないわよ」
それもその筈。ここはかつて殺人事件が起こった現場でもあるのだ。格安で貸し出されていたところを、そういった事は一切気にしない僕が住まわせてもらっているのである。
「前から言っているけど、わたしのところへ来る気は無い? 一人暮らしじゃ何かと不便でしょ?」
「前から言っているけど、僕はこの暮らしに不満は無いよ」
僕はにべもなく答える。
「残念ね。わたしの仕事を手伝ってくれれば、もっと色々と助かるのに」
アラナは微笑みを浮かべて言った。
***
妹の名前を呼びながら家の中を捜していると、文鳥の鳥かごが床に落ちているのが見えた。扉は開いていて、中の文鳥の姿はどこにもなかった。
妹は文鳥があまり好きではなかったようで、餌のあげ方を教えようとしても嫌がっていた。それより一緒に遊ぼうとねだられるのが、いつもの事だった。
家の中のどこにも妹の姿がなかったので、僕は外に捜しに行った。
警察や他の人に知らせる事など、その時は考え付きもしなかった。
***
「アラトー。タオル取ってー」
風呂場から声が聞こえたので、僕は仕方無くタオルを一枚持って行く。
「ほら」
「ありがと」
扉を開けて恥ずかしげも無く裸身を見せ付けながらタオルを受け取るアラナ。いつもの事ながら、もう少し気を遣って欲しい。
綺麗好きのアラナは、一度風呂に入ると長い。僕はその間にのんびりとテレビを見て過ごす事にした。
『――次のニュースです。今日の夕方頃、男性の射殺遺体が公園で見付かり……』
これがいつものパターンだった。
アラナは不意にアパートにやって来ては、食事や掃除や洗濯などの世話を焼いて、一晩だけ泊って行く。
どこで、どんな生活をしているのかは、僕も詳しくは知らない。
ただはっきりしているのは、ここに来るのは決まって仕事帰りという事だ。
「アラトー。リンス切れているわよー」
「はいはい……」
僕は再び腰を上げて風呂場に向かった。
***
妹は禁忌の子だった。
当時の僕はそれを知る由もなかったのだが、何となく家族が妹を避けている事は分かっていた。
だから、妹の世話はいつも僕が見ていた。
赤ん坊の頃から、おしめを変えたり、ミルクを飲ませたり、泣いているところをあやしたり。そういう訳で、妹が一番懐いていたのも僕だった。
でも、小学校に上がる頃になると、妹ばかりに構っても居られなくなった。付き合いが増えれば、それに時間が割かれるのは必然だった。
あの日曜日も、そうした理由で妹を家に残したまま遊びに出掛けたのだ。
今思えば、僕は妹の事をわずらわしく思っていたのかもしれない。
文鳥を飼いたいと言い出したのも、多分それが原因だったのだろう。何か他のものに目を向けたくなったのだ。
***
部屋には当時の名残の一つである鳥かごが今も飾ってある。
勿論、中には何も無い。
「おやすみなさい。アラト」
「おやすみなさい。アラナ」
僕達は同じベッドで寝る。
他に布団がないので仕方無いと言えるのだが、アラナはそのような事は気にもせずに、むしろ嬉々として一緒に寝る事を望んだ。
「………」
「………」
電気を消した部屋の中で、しばし二人の呼吸音が聞える。
僕はアラナには背を向けて寝ているので、今彼女がどのような状態なのかは分からない。
ふと僕は鳥かごに目を向けた。
七年前。結局、文鳥は見付からなかった。
一体、どこに行ったのだろう?
「……っ」
不意に、背中から抱き付かれた。
「アラト……」
耳元への囁き。
「心配しなくても、あなたの妹は元気にしているわよ」
他人事のように言うその身体は、怯えているのか微かに震えていた。
「あなたを愛せるのはわたしだけだし、あなたが愛せるのもわたしだけなのよ」
「………」
「誰にも渡さない。渡さないんだから……」
「アラナ……」
僕は否定も肯定する事も出来ず、彼女に背を向けたまま深い眠りに付いた。
***
アラナなら鳥が何処に行ったのか知っているだろう。
なぜなら、家族を殺したのは彼女だから。
***
朝目覚めると、アラナの姿はどこにもなかった。
きっと、僕の知らない世界へと帰って行ったのだろう。
殺しを生業としている彼女は、凄腕の技術と決して躊躇わない冷徹な心を持っている。だが、人を殺してしまうと必ずその罪悪感に心を強く囚われてしまうのだ。それは殺人者としては致命的な欠点と言える。
だから仕事を終えると、必ず僕のところへとやって来るのだ。
僕は死んだ人に何の感慨も抱かない。
そんな僕のそばに居る事で、アラナの心は救われると言うのだ。
あの黒い服は喪服。
常に彼女は、死者の影に怯えている。
「でも、人殺しの手伝いなんて出来ない。だって僕は……」
その日は学校だったが、とてもそんな気分になれずに街中をふらふらと歩いていた。
何かを捜していた。
何かを探していた。
それはかつての妹の姿だったのか。
それとも飼っていた鳥だったのか。
分からない。
分かれない。
「あっ……」
気付いたら僕は、目田探偵事務所の建物の前に来ていた。
どうやら足が自然とここに向かったらしい。
「学校サボって、こんなところで何をやっているんだい? 安地君」
会おうかどうか迷っていると、背後から声を掛けられた。
「目田さん……」
振り向くと、相変わらず白い姿の目田探偵が超然と佇んでいた。鳥に例えるなら、白鳥といったところだろうか。
鴉と白鳥。
黒と白。
殺人者と名探偵。
アラナと目田探偵は、対極の位置に居る。
「あの……一つ聞いてもいいですか?」
「何だい?」
「僕は一体……何なんでしょう?」
「今更何を言っているんだ。きみは私の助手に決まっているじゃないか」
「……そうですね」
当たり前のように言われて、僕は苦笑する。
「そうだよ。助手なんだから私の仕事を手伝いたまえ。ちょうど今、仕事を引き受けて来たところなんだ」
「どんな仕事なんです?」
「複雑怪奇で不可能この上ない超難問の殺人事件らしい。トリックも、動機も、犯人も謎に包まれたその事件の解決を依頼されたよ」
「そんなの……大丈夫なんですか?」
不安げに尋ねると、目田探偵はあの時と同じように、自信有りげに言い放った。
「大丈夫。おねいさんに任せなさい」
投稿者 緋色雪 : January 24, 2007 02:00 AM