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第九話『数億分の一の偶然』

20070124

「こんにちは。お兄ちゃん」
 いつものように目田探偵事務所に訪れようとした時、建物の前でそんな風に呼ばれて立ち止まってしまった。
「……それって、僕の事?」
 辺りを見渡すが、他に該当する人物が見当たらない。
「そうだよ。何か変だった?」
「いや、いきなりだったから」
 彼女の名前は清川潔美(きよかわきよみ)。
 目田探偵事務所の下の階にあるクリーニング店の一人娘で、小学校四年生の女の子だ。
「変だなー。年上の男の人はこう呼べば喜ぶって聞いたのに」
「誰から聞いたのさ」
「クラスメイトのひな子ちゃん。男を手玉に取る方法とか、色々知ってるんだよ」
「……友達は選んだ方がいいよ」
 そう言って横を通り過ぎようとすると、潔美ちゃんに袖を掴まれた。
「待って待って。ちょっとお願いがあるの」
「お願い?」
「うん」
 哀願するように僕を見上げる潔美ちゃん。こうまで頼まれたら、無碍に断る事など出来はしない。
「で、何?」
「あのね。宿題で『身近で起こった偶然』っていうのを明日までに調べなきゃいけないんだ。何か無いかな?」
「偶然……ねえ」
 僕はしばし考え込む。
 事件や事故にはしょっちゅう巻き込まれるが、流石にそれらは小学生向きではないだろう。その殆どは惨たらしい死人が出ているし。
「そうだ。この間テレビのチャンネルを回していたら、二つの局で同じCMをやっていたよ。タイミングも完全に一致していて――」
「それ、地味」
 ばっさりと斬り捨てられてしまった。
「もっと派手なのはないの? クラスで発表しなきゃいけないんだからさ、もっとインパクトがあるやつがいいよ」
 意外とワガママだ。
「だったら僕より目田さんに聞いた方がいいんじゃない? あの人なら色々と数奇な体験をしているだろうし」
「そっか。じゃあ、お願いしてくれる?」
「いいよ。それくらい」
「やったー! ありがとう、お兄ちゃん!」
「お願いだから普通に呼んでくれないかな。何だか居心地が悪くて」
「分かった。じゃあ行こう、安地さん」
「うん」
 二人で階段を上がり、目田探偵事務所の扉の前に立つ。
「こんにちはー。今日は潔美ちゃんが――」
 扉を開けた僕は中の様子を見て絶句した。
「……どうしたの、安地さん?」
「ちょっと待っててね」
 室内を見せないように潔美ちゃんを外に残し、僕は事務所の中に足を踏み入れる。
「おい、起きろ」
 ソファーでだらしなく眠りこけている目田探偵を揺すり起こす。
「ん……? 何だ、安地君か」
「何だ、じゃないでしょ。何をやっているんですか?」
「いや、暇だったから事務所の掃除をしていたんだよ。そのうち疲れて眠っちゃったんだね」
 大きなあくびをしながら呑気にのたまう。
「掃除はいいですけど、何で体操服姿なんですか?」
「何を言っているんだ。掃除の時間は体操服だと決まっているだろう?」
「ブルマである必然性は?」
「読者サービスだよ。前々から思っていたんだが、この作品にはどうも色気が足りないと思ってね」
「いらん事をするな! 潔美ちゃんが来ているんですから、さっさと着替えて来てくださいよ!」
「むっ。ここに来て新たにロリキャラの投入か。全く、作者の意図が見え見えだね。だったら最初から私を美少女探偵にしておけば良かったのに」
「アホ言ってないで早くしろ!」
 奥へ引っ込めさせて着替えさせると、その間に僕は潔美ちゃんを中に案内する。
「ごめんね。すぐに来るから。何か飲む?」
「うん。ありがとう」
 素直な返事は聞いていて心地良い。僕は手馴れた手付きで三人分の飲み物を準備した。
「やあ、いらっしゃい。何か用かい?」
 いつもの白スーツ姿に戻った目田探偵が奥から出て来て言った。またいらんボケをかますかと思ったがその心配は杞憂だったようだ。
「実は宿題で――」
 潔美ちゃんが僕に言ったように説明をする。
「ふむ。『偶然』か」
「何かあります? 僕にはろくなのが思い付かなかったんですけど」
「どうせテレビのチャンネルを変えたら同じCMをやっていたとか、そんなものだろう」
 だから、何で分かるんだよ。
「偶然と言えばね。今年に入ってすぐに、とんでもない偶然で発覚した事件があるんだ」
「へえ。それってどんなのですか?」
 潔美ちゃんは興味深げに尋ねる。
「詳しくは言えないけどね。ある男がアリバイ工作をしようと企んだんだ」
「ああ、あの事件の事ですか」
 僕は納得する。確かにあれは、とんでもない偶然と言えるだろう。
「簡単に説明すると、男はA地点で事件を起こすんだけど、その間はずっと遠く離れたB地点に居たと錯覚させるのが目的だった。分かるかい?」
「うん。何となく」
「それで男はB地点で予め写真を撮っていた。バックに場所と時間が分かる駅舎と時計をね。勿論、本当の日付や曜日が分かるようなものは写さないように気を付けた。人が居ないのを見計らって、誰の手も借りずに一人でタイマーをセットしてね」
「なんかややこしいね」
「アリバイ工作というものは大体そういうものさ。他にも色々と時刻表を使ったトリックがあったけど、今回はあえて省略。とにかくその日に限って、写ってはいけないものが写っていた。何だか分かるかな?」
 潔美ちゃんはしばし頭を捻って考える。
「うーん……天気かな? その日に限って雪や雨が降っていたとか」
「残念だけど違うね。その場所は数日間晴れの日が続いていたんだ」
「じゃあ、駅の外観とか。ペンキを塗り替えていたんじゃないかな」
「それもハズレ」
「あっ! もしかしてお花とか? ちょうどその日だけ咲いていたりして」
「うーん、惜しいね。ヒントを言うと、時計が関係している」
「でも、日付は分からないんでしょ?」
「まあね。ちなみに時計は電光掲示板だ」
「えー、分かんないよー」
 降参と言った様子で両手を上げる。
「仕方無いな。安地君、説明してあげて」
「はい」
 バトンタッチした僕は、目田探偵が話している間に持って来ていた新聞のスクラップを見せた。
「ここの記事を見て」
「えーと、閏……秒?」
「そう。数年に一度、時刻を調整する為に一秒を足したり引いたりするんだ」
「閏年以外に、そんなのあったの?」
 意外そうに驚く清美ちゃん。
 一応、ニュースにもなっている話題なのだ。
「それが今年二〇〇六年の一月一日。午前八時五十九分に実施されたんだよ」
「具体的に何をしたの?」
「一秒を足して、五十九分六十秒を作ったんだよ。その一秒後に九時になる」
「えっ? じゃあ――」
「そう。男はよりにもよって、五十九分六十秒の時にシャッターを切ってしまったんだ。その日以外あり得ない時刻をね」
 まあ、写真を現像してから時刻の確認を怠った男もかなり間抜けではあるが。自信満々に証拠の一つとして写真を提出した姿を考えると笑えてくる。
「閏年は数年に一度しかないから、秒に換算すると数億分の一の確率かな」
 そういう特殊な時刻を指す時計も限られている筈なので、それを選んだ時点でその男の不運は決定していたのかもしれない。
「はあー、凄いね」
 潔美ちゃんは感心したように頷く。
「面白いお話ありがとう! これなら学校で自慢出来るよ! じゃあ、またね!」
 そして潔美ちゃんは自宅へと帰って行った。忘れないうちにこれからノートにでもまとめるのだろう。
「偉いじゃないか。ちゃんと宿題をしているなんてね」
「まあ、そうですね」
 僕は飲み物を片付けながら答える。
「それで、今回はこれで終わりですか? いつもの分量の半分しかないですけど」
「まあね。締め切り間際のギリギリになって浮かんだアイデアだし。他にネタを詰め込む余裕も無かったんだよ。まあ、新キャラの顔見せだと思ってくれていいよ」
 苦笑する目田探偵。
「おっと、ちょうどここで原稿用紙十枚ジャストだ。以上閉幕! 次回に乞うご期待!」
 次回は記念すべき連載十回目。
 さて、何が起こるやら。

投稿者 緋色雪 : January 24, 2007 02:00 AM