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第四話『豪華客船ディア・フレンズ号の悲劇』

20060721

「よっ、アンちゃん。いいところに来たな」
 いつものように目田探偵事務所に訪れると、応接スペースに居た女性が僕に挨拶をした。
「あっ、えっと……」
「美川里や。いやー、こないだはおもろいもん見せてもろたわ」
 そう言ってニカっと笑う。陽気な性格なのか、笑顔がとても似合っている。
「安地君。ぼーっと突っ立っていないでお茶でも淹れたまえ」
 テーブルを挟んで向かいに座っていた目田探偵が僕に命令した。こちらはやや冷笑気味なので、見ていて腹立たしい。
「分かりましたよ。目田さんはいつもの牛乳でいいですね。美川里さんは?」
「『さん』やのうて『ちゃん』と呼びや。そんな他人行儀にならんでええで」
「……美川里ちゃんは何にしますか?」
「よろしい。うちは緑茶な」
 年上かと思われる女性に対して『ちゃん』付けなど気後れしてしまうが、本人の希望ならば致し方ない。
 僕は三人分の飲み物をテーブルに並べて、目田探偵の隣の椅子に座った。
「あの、一つ聞いていいですか?」
「何や?」
「美川里ちゃんの、その職業って――」
「ああ、『代替屋』の事かいな」
「それってどういう仕事なんですか?」
「その名の通りや。代理、代役、代任、代務、代弁、代筆、代打、代走、代わりに出来る事なら何でもござれや」
 ……最後の二つは野球じゃないのか?
「目田やんが『名探偵(デイティクティブ)』なら、うちは『代替屋(オルタナティブ)』ってとこやな」
「特に彼女の変装術は見事でね。きみも身をもって味わったろ?」
「ええ、まあ……」
 あの悪夢が脳裏を過ぎる。
「今回は残念な事に顔見せ程度やけれど、何やったら次回から主役の座を代わってやってもええで」
 目田探偵に向けての挑発的な言葉。
「いや、それにはおよばないよ」
「遠慮すなって」
「きみには荷が重過ぎるだけさ」
「言うやないか」
 互いに不敵な笑みを浮かべる二人。
「それにしても、お二人は随分と親しそうですね。古い付き合いなんですか?」
 そこで話題を変えるべく僕が口を挟んだ。
「まーねー。小さい時からの幼馴染っちゅーか、腐れ縁やね」
「同じ学び舎で机を並べた間柄さ」
 という事は、目田探偵と同い年か。それにしては若く見える。
「さて、これで今週のお題をクリアしたところで本題や」
 そう言うと美川里ちゃんは、懐から二枚の紙切れを取り出してテーブルの上に置いた。
「これは何だい? 見たところパーティの招待状のようだけれど」
「おまえも名探偵なら推理せえや」
「これは明後日に処女航海に出る豪華客船、『ディア・フレンズ号』のチケットだね。一等船室という中々高価なものだけれど、こうして私達のところに持って来たという事は、代わりに出て欲しいというところかな?」
「正解や。貰ったはええけど、相手もおらんのに二人部屋のペアチケットやで?」
「断ったらいいじゃないか」
「アホ。それが出来たら苦労せえへん。生憎
うちは当日にどうしても外せん仕事があってな。どっちにしろ行けへんのや」
「どちらも仕事上の付き合いか」
「そうや。だから代わりに御高名な目田探偵に出席してもらいたいんや。それやったらうちの顔も潰れへんしな」
「明後日ねえ……急な話だけど」
「クルージングはほんの三日や。ちょっと笑顔振り撒いてくるだけで、ただで飲み食いと寝泊りが出来るんやで? それにこの間仕事手伝ってやったやないか」
「……よし、いいだろう。たまには旅行に出て気晴らしをするのもいいかもね。代替屋の代わりをするというのも悪くない」
「話が早くて助かるわ。折角だから楽しんで来てや、二人共」
「うむ。安地君。人前に出られるような服はあるかい?」
「いや、それが……」
「仕方ないなあ。私が用意してあげるよ」
「すみません」
 あれ?
 いつの間にか、僕も出席させられている。

  ***

 航海二日目の夕刻。
 こうして、ちゃんとした場所でちゃんとした恰好でちゃんとした態度を取っていると、ちゃんとした人間に見えるから不思議である。
「――先日まで行われたサイレントの凶行。あれは只の快楽殺人だと捉えていられる方も居られるでしょうが、実は犯人にしか理解出来ない驚くべき動機があったのです」
 真っ白な正装で身を包んだ目田探偵は、周囲の客達を相手にグラスを傾けながら話題に花を咲かせていた。名探偵という肩書きが珍しいのか、男女問わず集まって来ている。
「お飲み物はいかがですか?」
「あ、いや。結構です」
 それに比べて僕はどうにも気後れしてしまって、ウエイターの青年を相手に満足に対応する事もままならない状況だ。目田探偵から少し離れた場所で、一人黙々と食事に専念している。
 船の中に設けられた広間には、金の掛けられた豪華な調度品で彩られている。パーティ会場の中央には火の点いたキャンドルでライトアップされた巨大な氷の人魚像。更に壁面をずらっと囲むように、浮き輪や水中銃に羅針盤や海図等、海に関したものが数多く展示されている。
 そして招待された数多くの人間。
 しかもこの処女航海に呼ばれるという事はそれなりの地位の人間であるという事なので、僕自身場違いな感じがして仕方が無い。
「――さて、お集まりの皆さん」
 その声に客達が一斉に視線を向ける。
 会場前方の壇上に立つ一人の初老の男性がマイクを使って話し掛けていた。
「本日は我らが誇る『ディア・フレンズ号』にお越し頂き、まことに有難うございます。この記念すべき処女航海を、どうぞごゆっくりとお楽しみ下さい」
 一斉に拍手が注がれる。
 この船のオーナーである海運会社の会長の海原氏である。六十近い年齢だろうか、髪はすっかり禿げ上がっていて胡麻塩頭が浮き出ている。
「ま、どうでもいいけどね」
 興味の無い僕は料理皿を吟味することの方が大切だ。和洋中と取り揃えてあるものから出来るだけ多くの味を楽しみたいので、油っこいものは控えた方が良いだろう。
 とにかく昨日から今日に掛けて、目田探偵に色々と振り回されて疲れた。
 この船はショッピングモールやシアターなどの遊戯施設などが充実しているので、遊ぶ場所には事欠かない。
 それらを散々と付き合わされて回った挙句、部屋も一緒なので気の休まる時間が一時たりとも無かった。正直、今こうして食事している時間が一番ほっとしている。
「――今日は三月三日。ひな祭りという事で、お客様の中には甘酒を召し上がっている方も居られるでしょう」
 あの海原会長の話が続いている。
 その言葉通り、目田探偵は甘酒ばかりを好んで飲んでいるようだ。
「それにちなんで……と言う訳でもないのですが。実はこの度、我が娘のマリンが婚約をする事になりました」
 どよめく場内。どうもこの人達にとってはニュースな出来事らしい。
「お恥ずかしい事ながら、私自身にもその相手がどなたなのか分かりません。今日のこの場で、娘の口から直に聞きたいと思います。さあ、こっちに――」

 ――暗転。

 辺りが俄かに騒然となる。
 僕はこれが演出の一部では無いかと考えたが、この慌しさからしてすぐにそうでは無いと悟った。でなければ船員が大声で連絡を取り合ったりはしない。
 時間にして十秒といったところだろうか。
 非常電源にでも切り替わったのか、電灯が再び点滅し始めた。
「――うあああぁぁぁっ!」
 男の悲鳴。
 パーティ会場のとある空間で、何事かが起きたようだ。
「ちょっと退いて下さい」
 人垣が出来つつある中、僕はそちらに向かってその空間の中に足を踏み入れた。
「これは――」
 赤いドレスを身に纏った金髪の女性が、床に縫い付けられるように仰向けになって横たわっていた。年の頃は二十歳前後だろうか、とても美しい容姿をしている。
 縫い付けられると表現したのは、その胸元に深々と銛――シャフトが突き刺さっていたからである。あれには見覚えがある。展示品の一つの、水中銃のものだ。
「あ、あ……」
 そのすぐ傍では、先程会ったウエイターが腰を抜かしたように床に座り込んでいた。どうやら彼が悲鳴の主らしい。がたがたと震えながら女性を凝視している。
「な、何という事だ……」
 慌てた様子で現れた海原会長の嘆く声が聞こえた。どうやらこの女性があの人の娘――マリンだったらしい。
 僕は前に出て女性に近付いた。
「ちょっと下がって下さい。誰か、この人をお願いします」
「わ、分かりました。椎野。しっかりしろ」
「………」
 他の船員に頼んでウエイターをどこかへと連れて行ってもらう。
 そして女性の生死を確認する。
 呼吸――停止。
 脈拍――停止。
 瞳孔――反応無し。
 念の為に鳩尾にサッカーボールキック。
「よしっ。ちゃんと死んでる」
 郭海皇でもない限り、ここから蘇生する事は無いだろう。
「さて、目田さんは……」
 この状況になってもまだ姿を現さないのはおかしい。あの人ならイの一番に駆けつける筈なのに。
 周りを見渡すと、客達は皆一様に異形なものを見るような瞳をこちらに向けている。無理も無い。殺人が行われたのだから。
「えっへへへ~。不~二子ちゃぁ~ん」
 ……見付けた。
 ほんのちょっと眼を離しているうちに、すっかり出来上がってしまったらしい。女性客に対して執拗に絡んでいた。
「何やってんですか! 事件ですよ!」
「えー?」
 心底不満そうな顔をするな。
「こっちですよ! ほら、しゃきっとして下さいよ!」
「やだよー。もっと飲むんだー」
 袖を引っ張って無理矢理遺体のところまで連れて来る。
「シャフトで胸元を一突きですね。おそらく即死だったでしょう」
「んん~……」
 目田探偵は焦点の定まらない視点で遺体を睨み付ける。
「ねえ、安地君」
「何か分かりましたか?」
「推理したら負けだと思ってる」
「アイデンティティーを崩壊させてどうするんですか! 真面目にやって下さい!」
 この酔っ払いが。大体、飲んでいたのは殆ど甘酒だったろうに。
「それで、凶器の片割れは?」
「あ、そう言えば――」
 うっかり失念していた。遺体の傍には水中銃の本体は無い。普通ならば、ラインと呼ばれる紐で繋がれているものなのだが。
「ここですよ。目田探偵」
 すると、一人の男性が水中銃を手にしながら前に出て来た。
「ん? あなた、どこかで会いましたね」
「先程目田探偵のお話を興味深く聞かせて頂いた者の一人です」
 そのスーツ姿の男性は二十代後半くらいだろう。どことなく自信に満ち溢れた雰囲気で、精悍な顔付きをしている。
「申し遅れました。わたしは、マリンスポーツビジネスのコンサルタントを職業としている潮崎と申します」
「あ、そうですか」
 相手には特に興味を持たずに水中銃を受け取る目田探偵。指紋の問題ならその時には既に目田探偵は白い絹手袋を嵌めていたし、相手も充分な知識があるのかハンカチ越しでそれを扱っていた。
「これ、どこにありました?」
 全長150cmはある大きな水中銃である。重量だけでもそれなりにあるのだろう。
「そこのテーブルの上です」
 潮崎は洋食のメニューが置かれたテーブルを指差す。そこに綺麗に並べられた色とりどりの料理を見ると、こんな状況でも食欲を刺激される。
「あなたもそこに?」
「ええ。ですから気付いたのです」
「水中銃には詳しいですか?」
「まあ、商売柄それなりに」
「これ、発射された形跡ありますか?」
「どうですかね……詳しくスリングを調べてみない事には何とも言えませんね」
「そうですか。ちなみに、この女性とはお知り合いですか?」
「仕事上、海原会長にはお世話になっているもので。マリンさんともそれなりには」
「それで、貴方が婚約者ですか?」
「違いますよ。そうであったのなら、光栄なんですがね」
 さらりと答える潮崎。
「そうですか。ふむ……」
 目田探偵は未だショックの覚めやらぬ海原会長に向き直った。
「海原会長。お話を聞いてもよろしいですか?」
 すると、目の前を立ち塞がるように一人の男性が前に出た。
「誰だきみは? 会長は今、話が出来るような状態ではない!」
 色白で線の細い、眼鏡を掛けた神経質そうな男だった。年齢は三十前後だろう
「凪間さん。こちらは有名な名探偵なのですよ。今はこの人の指示に従うのが得策だと思いますがね」
 その間に入ったのが潮崎だった。
「名探偵……?」
「どうもー」
 怪訝そうな相手に笑顔で手を振る目田探偵。「あなた、会長さんの部下ですか?」
「ああ。会長直属のな。今回のパーティの段取りは全て私が決めたものだ。それがどうした?」
「ならば、マリンさんの婚約者というのはあなたですか?」
「違う。だが――」
 顔を赤くして俯く凪間。
「好意は、持たれていたんですね」
「………」
 その様子からして、被害者に少なからず感情を抱いていたようだ。
「誰か他に心当たりは有りますか?」
「……波丘の奴、じゃないのか?」
 そう言って凪間が目を向ける。
 その先では、Tシャツとジーパン姿の巨漢の男がテーブルの料理を平らげているところだった。
「ん? 俺に何か用か?」
 その顔は僕でも見覚えがある。ヨットで世界中の海を旅している姿をドキュメンタリー番組で見た事があった。真っ黒に日焼けした鍛え上げられた肉体に、口元の無精髭がワイルドさを醸し出している。年齢が分かりづらく、二十代にも四十代にも見える。
「貴様! こんな時によく飯など食っていられるな!?」
「食える時に食っとかなきゃな。でなきゃ、これから先何があるか分からん」
「この……!」
「まあまあ、落ち着いて」
 激昂する凪間を潮崎が押し留める。
「波丘さん。あなたがマリンさんの婚約者ですか?」
「まさか。そりゃ、何度か付き合わされた事はあるけどよ。知っての通り俺は殆ど海の上に居るんだ。ワガママお嬢さんの相手ばっかしてらんねーのさ」
「口を慎め! 貴様は自分の立場が分かっているのか! スポンサーである我々が居なければ、貴様など陸に上がった魚に過ぎん!」
「陸に上がった魚の力がどんなものか、見せてやろうか?」
 食いかけのチキンを吐き出し、指を鳴らして威圧する波丘。
「二人共やめて下さい。マリンさんが亡くなったばかりなんですよ?」
「………」
「………」
 潮崎が一触即発の雰囲気をどうにか抑えてくれた。どうやら三人の中では彼が一番しっかりした性格のようだ。
「海原会長。あなたは誰が婚約者だと思いますか?」
 黙り込んだ隙に目田探偵が質問をした。
「……儂は」
 ゆっくりと、独り言のように海原会長は小声で呟く。
「儂にとっては、潮崎君が理想だった。何度かそう差し向けたりもしたが……結局はマリンが決める事だ。今となっては、三人のうち誰かは分からん……」
 力なく頭を振る。
「他に候補者は居ないんですね?」
「ああ……思い当たらんよ」
「そうですか」
 そして黙考する目田探偵。
 これで主要登場人物は揃ったと言えるだろう。おそらく犯人はこの中に居る誰かだ。
 警察に無線連絡をした船員の報告によると、ヘリコプターを飛ばしたとしても到着までに三時間は掛かるらしい。
「目田さん。どうしますか?」
「………」
「目田さん?」
「………」
「起きろ!」
「……寝てないって」
 じゃあ、そのヨダレは何だ。
「折角、王道ミステリっぽい展開になってきたんですから。しゃきっとして下さいよ」
「分かったよ……停電の方は、何か分かったかい?」
「ええ。先程調べてもらいましたが、配電盤に細工が施されていました。リモコン式のものです」
「つまり、計画的犯行だね」
 ここで事件当時の会場での登場人物の位置関係を把握しておこう。

 ┌─────────────┐
 │    波マ       │
 │         潮   │
 │海          目 │
 │             │
 │      凪     安│
 └─────────────┘

 部屋の広さは縦40m。横20m。
 潮崎、凪間、波丘の三人はほぼ正三角形の位置に居た。それぞれの辺がおよそ15m。会場前方には海原会長が居て、被害者のマリンは波丘と一緒のテーブルに居た。
 問題の凶器となった水中銃は凪間のすぐ近くの壁に展示されてあって、シャフトもそこにあった。そして停電後にはシャフトがマリンの胸に突き刺さり、水中銃は潮崎のすぐ近くのテーブルの上に置かれていた。
 そして僕らは会場の後方に居たという訳だ。
 これらの情報は関係者以外の複数の証言によって証明されている。これで間違い無いと言えるだろう。
「これ……誰にも犯行が不可能のような気がしますが」
 簡単な見取り図を書いた紙を睨みながら僕は呟いた。
 停電の時間は十秒。
 仮に、停電後に移動した水中銃の一番近くに居た潮崎が犯人だとする。だが彼では、凶器を取りに行って帰って来るだけでも至難の業だと思われる。
 ならば水中銃の一番近くに居た凪間かと思うが、それも難しい。どのみち最終的には水中銃は潮崎のところに行くので、同じ理由で彼も犯行は難しい。
 そして波丘に至っては移動距離が単純に二倍になる。水中銃を取って戻って、置いて戻って。三人の中で一番体力がありそうだが、流石に無理があるだろう。
 これらを踏まえると海原会長など論外だ。
 しかも犯行時は暗闇。キャンドルなどの僅かな明かりはあったが、離れた位置から狙撃するには暗視ゴーグルでも無い限り不可能だ。第一他の客に当たるだろう。
 ちなみに持ち物検査や室内に怪しい物が無いかと調べたが、どこにもリモコンらしきものが無かったし、水中銃がもう一丁見付かるような事もなかった。
「水中銃の射程距離が知りたいね。試しに撃ってみようか」
 唐突に目田探偵がとんでもない事を言い出した。
「撃ってみよう……って言っても、シャフトはあれ一本しかないんですよ?」
 遺体は既にどこからか持って来たシーツが上に掛けられていた。いつまでも人目に晒したくないという配慮だろうが、テント状に突き出たシャフトの形状は隠し切れない。
「待って下さい」
 口を挟んできたのは潮崎だった。
「わざわざ試さなくても分かります。この水中銃のタイプからして射程距離は形状の三倍。およそ4.5mだと推測されます」
「推測じゃ駄目ですよ。実際にこの目で確かめないとね。安地君。取って来て」
「いいんですか?」
「私が許す」
 目田探偵に命じられた僕は遺体に近付いてシーツを外した。
「よっと」
 シャフトを片手で掴んで力を込めて引っ張り上げる。遺体が浮き上がるので、もう片方の手を使って床に押さえ付ける。
「……あれ? 抜けない」
 そうか。シャフトの先には鉤状の部分がある。どうやらそれが肋骨辺りに引っ掛かっているらしい。
「面倒臭いな、もう」
 ぐりぐりと円を描くようにシャフトを引っ張る。絡み付いた肉がひび割れるように裂けて、どうにか引き抜く事に成功した。
「良かった。血で汚れなくて」
 多少の血飛沫が飛び散ったが、時間が経っているので大して噴出す事は無かった。シーツでシャフトに付いた血を拭い、僕は目田探偵のところに持って行った。
「はい。どうぞ」
 この作業を見ていて客のうち何人かが気絶したらしい。海原会長なんかはショック死していなければいいが。
「ご苦労。さて、潮崎さん。これはどうやってセットするんですか?」
「えっ? ああ……」
 唖然とした様子の潮崎はすぐ言われた通りに水中銃にシャフトをセットさせた。
「……あとは引き金を引くだけです。気を付けて下さいよ」
「分かってますよ」
 本当だろうか? まだ酔いは冷め切っていないだろうに。
「そこ、退いて下さい。危ないですよー」
 銃口を向けた先の人間が蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
「ちょっと目田さん! どこに向けて撃つつもりですか!」
「何ならきみの頭の上に林檎を載せてウイリアム・テルでもするかい?」
「真っ平御免です」
 僕はそう言って安全な場所に移動する。
「もうちょっと近くかなー。そりゃっ」
 的から4.5mの位置から、スリングによってシャフトが勢い良く弾き出される。
 向かった先は氷の人魚像。

 ――ガスッ!

 見事胸元に突き刺さった。
「うーん……」
 だが目田探偵は不満そうである。
「どうしたんです?」
「刺さりが浅いね。もっと近付かないと、あの遺体のようにはならないよ」
 氷に刺さったシャフトは簡単に抜く事が出来た。人間より氷の強度が上だと考慮しても、これでは威力不足だろう。
「という事は、至近距離から発射されたんですね。暗闇の中ですし、それが当然だと思いますが」
「………」
 目田探偵は何も答えずに水中銃を勢い良く放り投げた。
 天井まで虚空を描き、そのまま落下する。
 水中銃はテーブルの料理皿に激突して、そのままバウンドして床に落ちた。器やグラスを巻き込んでの大損害である。
「やっぱりね。これで分かったよ」
 満足そうに頷いている。
「おいおいおまえ達! さっきから一体何をやっているんだ! 名探偵だかなんだか知らんが、これ以上勝手な事は許さんぞ!」
 激昂した様子で凪間が声を荒げる。
「いいじゃねーの。何だか知らねえけど、面白そうだしよ」
 それとは対照的に楽しそうに食事を続けている波丘。その限り無い食欲は見習いたいくらいだ。
「目田さん。何か分かったのなら我々に説明してはいただけませんか? 他のお客様達も、いつまでもここに閉じ込められているのも限界です」
 潮崎の言葉通り、中には疲労で座り込んでいる人も少なくない。
「分かりました。それでは、事件の真相をお話しましょう」
 さあ、解決編の始まりだ。
「マリンさんを殺害したのは――」
 目田探偵はゆっくりと、順番に指を差した。
「潮崎。凪間。波丘の、三人だ」
 ざわめく場内。
 だが、当の三人に至っては涼しい顔をしていた。
「なぜ、そう思われるのですか?」
 代表して潮崎が尋ねる。
「一人一人、では不可能なら、共犯者が居ればいい。事件当時の具体的な動きはこうだ。停電後、凪間が水中銃を取って走り出す。同時にスタートした残りの二人はそれを受け取り、全員が元の位置に戻る。潮崎は水中銃。波丘はシャフトを持って」
「シャフトは水中銃から発射されたんじゃないんですか?」
「それが大きな間違いだ。あれは発射されたものではなく、直接手で持って突き刺したものだ。力に自信のある波丘なら可能だ」
「そしてわたしが、水中銃を受け取ってテーブルに置いたと?」
「その通り。どこからか投げたのかとも考えたが、それならばテーブルの上の料理が無事である筈が無い」
「成程。ですが、一つ問題があります。我々三人が結託したとして、どうやって凶器を受け取るんですか? 停電中では相手の確認も困難ですよ」
「あんた達の真ん中にあったものは何だ? 見ろ。あそこに停電中でも明かりが点いたままのものがあるだろう。そこに向かって走ればいい」
「人魚像のキャンドル……ですか。お見事ですよ。目田探偵」
 そして潮崎は懐から携帯電話を取り出した。
「これがリモコンです。停電を起こしたのはわたし。計画を提案したのもわたしで、首謀者です。他の二人はそれに従っただけです」
「潮崎さん!」
「潮崎!」
 凪野と波丘が叫ぶ。
「何を言ってるんですか! 元々の原因は私にあります! それに舞台を作ったのも私なんですから!」
「違う! 殺したのは俺だ! この手で直接な! だから罪は全て俺にある!」
 あれ程仲が悪かったように見えたのに、今は三人共かばいあっている。
「それで、動機は?」
 目田探偵が冷ややかに問い掛けた。
「わたし達は……幼馴染でした。二十数年、例え離れ離れになっても、心は一つでした」
 潮崎がとつとつと語り出す。
「その中に一人の女性が入り込みました。そう、マリンさんです。彼女は我々の仲を知っていながら、それを掻き乱すように振り回してくれたのです。凪野の心を知っていながらそれを嘲笑い、それに挑発するように波丘に言い寄り、更には父親を使って遠回しにわたしを弄ぶ始末だ!」
「だから殺したのか」
「ええ。でも、彼女が婚約発表なんて馬鹿な真似をしなければ我々も強硬手段に出る事は無かった。寸前で思い止まってくれればと祈っていたんですがね」
「それで結局、誰が婚約者なんです?」
「知りませんよ。知りたくも無い」
 吐き捨てるように言う。
「性質の悪い事に、少なからずわたしや波丘も彼女に好意を抱いてしまっていたのですよ。あんな性悪のどこが良かったんだが……でも、殺したのを後悔していませんよ」
「潮崎。それは、私も同じだ。熱で浮かされていたような気分だったが、今はすっきりしている」
「そりゃ良かったな! なんたって俺達は、友情を誓い合った三人組だからな!」
 笑い合う三人。
 何故かほんの少し、羨ましいとさえ思える光景だった。
「どう見ても犯人です。本当にありが……うえっぷ」
 まずい。限界が来たようだ。
「目田さん!」
「うう……頭使ったせいで、気持ち悪い」
 倒れそうなところで肩を貸す。
「部屋に戻りましょう。ここはもう任せても大丈夫ですよ」
 船員の人達が集まって犯人達を囲んでいる。抵抗する素振りは無いが、警察が来るまで念には念を入れておかなければならない。
「ああ、もう。酔い覚ましにアレやろう。タイタニック。海に浮かべた板の上で、二人で突き落とし合うんだ」
「それ、シーンと解釈が違います」
 ぐったりとしているので、一人で運ぶにはつらいものがある。
「大丈夫ですか? お部屋までお手伝いしますよ」
 するとありがたい事に、あのウエイターの青年が手を貸してくれた。反対側から目田探偵の肩を持ってもらう。
「その……ありがとうございました」
 三人で廊下を歩いていると、青年がぽつりとお礼の言葉を言った。
「自分はマリンちゃんの傍に居たのに、彼女を守る事も出来なかった。殺されてしまってからは、腰を抜かすだけで、何も出来なかった……」
「そんな――」
 言い掛けて僕は、ふと疑問に思った。
「あの……椎野さんと言いましたよね。貴方は被害者と知り合いだったんですか?」
「はい。実は僕達、幼馴染だったんです」
「貴方達も!?」
「ええ。今日の婚約発表の時、何か僕に重要な話があると聞いていたんですが……結局、分からず終いです。それにしても、誰が婚約者だったんでしょうか?」
「………」
 寝た振りをするな、目田探偵。

投稿者 緋色雪 : July 21, 2006 12:00 PM