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第五話『チザクラミッシツ』

20060721

 桜の枝を折ったのは私です。
         ジョージ・ワシントン
             (注・嘘です)

  ***

「こんなこっといいなっ。でっきたらいいなっ。あんなゆーめこんなゆーめいっぱーいあるーけどー」
 車内に響く上機嫌な目田探偵の歌声。
 いきなりこんな出だしなのは、つい先程『映画ドラえもん のび太の恐竜2006』を二人で観て来たからである。
「みんなみんなみーんな、かーなえーてくーれる。ふーしぎなポッケでかーなえーてくーれーるー」
 これが路上ならこっ恥ずかしくて距離を取るのだが、ここは自家用車の中であるからその心配は無い。ただその反面、逃げ場が無いのが難点という事になるのだが。
「そーらをじゆうにー、とーびたーいなー」
 目田探偵がハンドルを握っているこの車は白のフィアット500。小さくて丸まったデザインの可愛らしいものだが、年代物なのでメンテナンスには非常に手間が掛かるらしい。
 さて、ここからが問題だ。
 順当に行けばこの先は『はいっ、タケコプター!』となるのだが、そう単純には行かないだろう。
 絶対にボケるに決まっている。
 さあ、何が来る?
 メジャーなどこでもドア?
 それともタイムマシン?
 似た効果のあるふわふわ薬?
 最強道具の一つと言われたウソ800?
 発禁になった分かいドライバー?
 捻り捻って旧名のヘリトンボ?
 さあ、どれだ!
「そんなこっといいなっ」
「リピートかよ!」
 あんたはワンフレーズを延々鼻歌するオバチャンか。しかも意外と歌が上手いし。
「きみがちゃんと合いの手を入れてくれない限り、私は延々延々繰り返し繰り返し、歌い続けるよ」
「嫌な脅し方をしないでください」
 そんな事をされてはたまらないとばかりに、僕は勝手に車のラジオのスイッチを入れた。流れてきたのはウインターソングの定番ならぬ、スプリングソングの定番となりつつある、『森山直太朗 さくら(独唱)』である。
「ところでこの車はどこに向かっているんですか? 事務所とは反対方向ですけど」
 年代物と言ってもまだまだ軽快に走り続ける目田探偵愛車のフィアット。主人の要求に健気に応える姿はどこか共感させられる。
「ちなみに私の車の趣味は『戯言シリーズ』の影響ではなく、『ルパン三世 カリオストロの城』からであると明言しておこう」
「いや、そんなのどうでもいいですから。どこに行くんですか?」
「今流れているラジオのように、桜を見に行くのさ」
「花見……ですか?」
 今は三月の上旬。まだ日本のどこも開花宣言をしていない。
「そう言えば、映画館から出る時に携帯電話を受けていたみたいですけれど」
「ご明察。事件が私を呼んでいるのさ」
「成程。そうですか」
 事件があるなら、名探偵はどこへでも掛け付けるという事だ。

  ***

 フィアットが辿り着いたのは河川敷に設けられた自然公園だった。桜が咲く頃にはここで大勢のお花見客で賑わうのだが、当然の事ながらまだそんな人間は居ない。
「おせえぞてめえら、今まで一体何していやがった?」
 数々の警察官と捜査員が辺り走り回っている中、出迎えてくれたのは一人の刑事。
「すまないね。ちょっと映画を観て来たもので。上映中はマナーを守らないとね」
「映画だあ? ったく、こっちは急を要するってのによ」
 ぞんざいな口調からは想像しづらいが、れっきとした女性である。背が高くて引き締まったボディライン。咥え煙草が妙に似合う、ハードボイルド的な雰囲気を漂わせるその女性は、無論美人さんである。
 目田探偵と古い付き合いで同い年と言うから、もしかしたら同窓生なのかもしれない。
 その名も女番(めつがい)刑事。
 何か武術を嗜んでいるらしく、その腕っ節の強さは巷の犯罪者を怯えさせ、武勇伝は枚挙に遑がない。まだ若い年齢だが、警察内部で一目置かれている存在だ。
 ちなみにヨーヨーは装備していない。
「いやー、面白かったよ。やっぱりいいね、ドラえもんは」
「何っ?」
 意外な程に強い反応を見せた女番刑事。
「お、おまえら……もう観て来たのか?」
「まあね。声優が代わっただの単なる焼き直しだの言われたけど、そんな事はどうでも良くなるくらいの感動だったね」
「くっ……」
 悔しそうに睨み付ける。
 と言うか、この人も見たかったのか?
 イメージから随分と掛け離れているが……。
「まあ。時間が取れた時に見に行けばいいじゃないか。春休みで混んではいるけどね」
「そりゃあ、そうしたいけどよ……」
「ああ。一人じゃ行けないか。女番さんにはそんな相手は居ないし、ましてや子供向き映画じゃ恥ずかしいもんねえ。だったら、美川里ちゃんでも誘ったら?」
「駄目だ。あいつに頼むと勝手に代わりに映画を見に行かれた上に、ストーリーをべらべらとしゃべられかねん。しかも正確な台詞回しと声真似でな」
 過去にそのような経験があったのだろうか、憎々しげに呟く。
「じゃあ、うちの助手を貸してあげよう」
「え?」
 静観していた僕は思わず声を上げた。
「年齢差はあるけど、それ程不自然なカップルでも無いだろう。彼の趣味に無理矢理付き合わされたという体裁を取れば、何の気兼ねも無く観に行けるよ」
「てことは、パンフやグッズも買えるか?」
 ちょっと待ってよ女番刑事。
「彼を使えばそれも可能だ」
「………」
 何だか真剣に検討している。
「あの、僕は一回観ているんですが」
「二回目には新たな発見があるものだよ」
 正論のように言われてしまう。
「仮にデートって形になんなら、費用は当然彼氏持ちってなるよな?」
「無論だね」
 いや、論じさせてください。
「それよりも早く現場を見なくていいんですか? 何だか急いでいたみたいですけれど」
 とにかく僕は話を進める事にした。
「そうだった。ったく、何無駄話をしてんだよ。さっさと来い」
「仕方無いな。行くぞ、安地君」
「はい」
 立ち入り禁止のロープをくぐり、現場である公園の奥へと足を踏み入れる。
 白髪に白いスーツにコートと靴という白尽くしの目田探偵の姿は、やはり目立つ。
 当然警察の人間にじろじろと見られるが、見咎められる事は無い。それもこれも目田探偵による様々な功績のお陰であろう。単なる助手に過ぎない僕でもこうして現場に出入り出来るのだから。
「絶っ対に、余計な真似はすんなよ」
「それ、私に言っているのかい?」
「他に誰が居るってんだ」
 女番刑事は先程の記述通りだが、忘れてならないのが目田探偵もモデル顔負けの容姿とスタイルだという事である。
 こうして二人が並んでやり取りをしているのを見ると、何だか宝塚の舞台を連想させられる。
「ここから先は足元に気を付けろよ」
 砂利道を抜けた先で言われたその言葉の意味はすぐに分かった。
 ここ数日の雨により地面の土が軟らかくなっている。軽く足を踏み入れただけでも、簡単に足跡がはっきりと残った。
「ほう、これは――」
 目田探偵が感心したような声を上げた。
 まだ花も付けていない一本の桜の樹。
 その前方に、一人の人間だったものの大半が、地面の上で仰向けになって倒れていた。
 大半――と表現したのは、身体の一部が欠けていたからだ。
 肩から上が、無い。
 首無し死体である。
 切断面をこちらに向けているので、その様子が良く分かった。
「――一足早く、満開じゃないか」
 その表現はあながち的外れなものではなかった。遺体を中心に地面と桜の樹には、首元から噴出したであろう大量の血液が撒き散らされた跡があったのだ。
「血桜ですか……」
「それだけじゃねえよ。地面の足跡を見ろ」

  川柵    ・・・・
  川柵  桜 ・
  川柵    ・
  川柵  桜 被・・・
  川柵
  川柵  桜
  川柵

 遺体から桜まではおよそ三m。『・』は足跡を指していて、切れた先は砂利道になっている。被害者から真っ直ぐに伸びたのは被害者自身のもので、遺体発見時にあった足跡はそれのみ。その横から回り込んでいるのは警察のものだ。遺体のある土から足跡の残らない砂利道までは最短で十五m。
 全長七、八m程の桜が等間隔に左右に並んでおり、その間はそれぞれ五m。樹は全部で三十本程あり、現場はそのちょうど中間地点。遺体から向かって左端の桜は川を渡る橋に面していて、その逆の右端の桜は駐車場に面している。
 桜から背後の川までは十m。桜から川までは下り坂のように傾斜しているが、その間には高さ一mの鉄柵が設けられている。左右どの桜の裏も同じだ。
「分かるな? 被害者と思われる足跡は行きの分の片道だけだ。発見された当時、見付かった足跡はそれだけなんだよ」
「それって、つまり――」
「密室だよ。明らかに殺人だってのに、犯人の足跡が見付かりやがらねえ」
 苦々しげに咥えた煙草を強く噛み締める。彼女はヘビースモーカーなのだが、現場である事を考慮してか火は点いていない。
「でなけりゃてめえらなんて呼ばねえよ」
「血桜密室か。面白い」
 目田探偵は不敵に微笑む。
「それで頭部は?」
「その川の下流一kmのところで釣り人が発見したよ。偶然釣り糸に引っ掛かったらしい。ありゃあトラウマになるぜ」
「リリースされなくて良かったね」
 脇から近付いて遺体を良く眺めていると、その右手に日本刀が握られているのが見えた。「こっちに運んであるかい?」
「ああ。厳重に保管してある」
「じゃあ持って来てよ。ついでに本人のものか確認したい」
「おい。そんな事をしなくても、後で遺体と共に鑑識に――」
「そんな手間掛けなくていいって。それに、すぐ終わるからさ」
「……大事に扱えよ」
 結局折れたのは女番刑事だった。
「それじゃ頼むよ。安地君」
「はい」
 警察の人から頭部を受け取り、それをじろじろと眺める。見たところ老齢の男性。頭はすっかり禿げ上がり、顔中に深いしわが刻まれている。川に流されたせいか所々が痛んでいて、だらしなく開いた口からは前歯が折れているのが見えた。
 確認しやすいように遺体を起き上がらせて桜の樹の幹に立て掛けて、頭部が合うかどうか確認する。
「えーっと、どうかな……?」
 既に現場検証が一通り行われていたらしいので、このような行為に及んでも誰も文句は言わなかった。
「あっ。ぴったりですよ」
 頭部を横回転させながら微調整すると、パズルのように切断面が揃った。これで遺体の胴体と頭部が同一人物であると証明された。
 ここで念の為に、世界の名誉の為に言っておく。
 このような所業を平気で行うのは世界観のせいだからではなく、僕の特異体質によるものなのだ。
 周囲を見渡せば、死体に慣れている筈の警察の人間でも、気味が悪そうに目を逸らしたり、不快そうに顔をしかめたり、吐き気を堪えたりしている。
「相変わらずだがよ……とんでもねえ奴だな、おまえも」
 女番刑事も露骨に嫌悪感を露にしながら僕に向けて言った。
「ただ何も感じないだけですよ。人の死体も、死んだ後も」
 勘違いしないで欲しいが、僕は人を殺すのも人に殺されるのも人に死なれるのも僕が死ぬのも嫌だ。だから決して、命を軽んじているのではない。
 でも、死んでしまった後は別だ。
 それはもう、既に何でもない。
 何でもないのだ。
 亡骸――無殻(なきがら)なのだから。
「そうやってくっ付けると生き返ったりしないかな? 切断面も綺麗だしね」
 それに比べてこの人は心底楽しんでいるよな。じゃなきゃ、とても名探偵には向かないだろうけど。
「ふむ。遺体の右手に握られている日本刀が凶器と見て間違い無さそうだ。これ、試し斬りして構わないかい?」
「駄目に決まってんだろ。調子に乗んな」
「残念」
 もしも了承を得られたら、何で試し斬りをするつもりだったんだろうか……?
「まあ、刃の潰れ具合からして強引な斬り方をしたのは分かるね。刀身自体はよく手入れされているから、元々は鋭い切れ味だったんだろう」
 そしてその鞘は、遺体のすぐ傍に投げ捨てられている。
「傷口と出血具合からして、生きたまま頭部の切断されたようだね」
「その通りだ」
 女番刑事が頷いて肯定する。
「被害者の名前は神田風助。年齢は七十八歳。身寄りは無く、ここから歩いて五分のアパートで一人暮らしをしている」
「それで、この日本刀は?」
「被害者の持ち物だ。どうやら元軍人だったらしくてな。無許可の代物だ。親しい人間にこっそり見せびらかしていたらしい。どうも生活に窮していたらしいが、それだけは手放さなかったようだ」
「軍人?」
「凄腕の零戦乗りだったと自負してしてたんだとよ。日本刀は軍人の魂ってとこか」
「ふーん。死亡推定時刻は?」
「今朝の午前四時四十五分から五時までの、およそ十五分の間だ」
「おや、随分と幅が狭められているね」
「四時四十五分にジョギングに来た人間が居て、その時には何の異常も無かったようだ。そして五時に犬の散歩来た人間がこれを発見して通報したんだ。ちなみに生きた被害者が最後に目撃されたのは夕べの八時。同じアパートの人間が挨拶をしている」
「早朝発見ね。だったらさっさと、私に連絡してくれればいいのに」
「したんだよ。でも、繋がらなかったんじゃねえか。おかげで遺体の搬入を待たせる羽目になったんだよ」
 朝一から映画を観に行ったのだ。
「まあ、早めに呼んだら呼んだで、現場を滅茶苦茶にされかねんからな」
 あの『ディア・フレンズ号』の時も、警察が来てからたっぷり絞られたのである。逮捕されなかっただけマシだが、あれで解決出来ていなかったらと思うと恐ろしい。
「彼らとの関係性は?」
「今のところ何も。あたしも直接証言を聞いたが、あの様子じゃ脈無しだったな」
「きみがそう言うなら、おそらくそうなんだろうね……おや?」
 遺体を調べていた目田探偵が何かに気付いたかのように声を上げた。
「左手付いた線状の跡……これは、刀の峰の跡じゃないのか?」
 言われて見てみると、確かに掌の真ん中を横切るように赤い跡が付いていた。
「ああ。どうしてだかは分からんがな」
「争った形跡も無いようだね」
「遺体の周りの足跡も、被害者のものだけだしな。大人しく首を切られたとは思えねえんだけどよ」
 被害者は老齢ながら体格は良く、腕力もそれなりにありそうである。更に元軍人だったというなら、大人しくやられたりはしないだろう。
 しばし遺体を眺めていた目田探偵だったが、今度は桜の樹の裏側へと向かった。
「こっちに何か異常は?」
「血の跡が樹から川に向けて一直線に点々と続いている。おそらく頭部が投げ込まれた際に付いたんだろう」
「それ以外は? 地面に足跡や、何かを引きずったり転がしたりしたような跡は?」
「いや、何も無い」
「遺体から砂利道まで血の跡は?」
「途中で切れている。いくら勢い良く噴出したとしても、精々数mってとこだ」
「公園にクレーンやブルドーザーなどの重機が運び込まれた形跡は無いだろうね?」
「ねえよ。あったら流石に気付くだろうが」
「そりゃそうだ」
 今度は桜の樹に興味を移したらしい。
「こっちは調べたかい?」
「ああ。だけど、血が飛び散っているくらいだぞ?」
「昇って上を調べた?」
「いや、そこまでは……」
「この枝の太さからして人が乗っても大丈夫そうだな。安地君」
「はい」
「ちょっと昇って調べてくれ」
「調べるって……何を?」
「枝に何か異常が無いかだよ」
 当たり前な事を聞くな、と言いたげだ。
「……分かりました」
 目田探偵が指定した枝は、遺体のあった場所のちょうど真上に位置していた。枝の先の高さは地上からおよそ四m。
「気を付けろよ」
 女番刑事に言われるまでも無い。連日の雨で樹の表面が湿っていている上に、ところどころに苔まで生えている。そして更には血の跡が残っているのだ。
「これ、踏み台にしていいですか?」
「……てめえ本気で言ってんのか?」
 怖い顔で睨まれた。
 仕方無いので遺体を避けながら幹の洞に足を掛けてよじ登る。四苦八苦して枝の上に移動すると、そこから腹ばいになるようにして枝の先端へと移動した。

 ――みしっ……。

 ゆっくりと中間地点まで調べながら進んだところで、枝の根元が嫌な音を立てた。
「戻っていいですか?」
「まだ調べ終わっていないじゃないか。ほら、さっさと進んで」
「………」
 と言うか、高い場所にある枝を調べたいなら梯子でも持って来ればいいじゃないかと、今更ながら考え付く。
「ったく、人使い荒いんだから……」
 ぶつくさ呟きながら僕は枝の上を進む。
 言われた通りに丹念に調べながら進むが、どこにも異常は無いように見える。桜はまだ蕾にすらなっていないようだ。
「……なんか、やばそうだな」
 枝の先に移動するに従って体重で位置が下がっていく。いつ折れても不思議ではない。
 バレンタインの悪夢が思い起こされる。
「もうちょいだ。その先の二股に分かれている部分を良く調べてくれ」
 こっちの事を知ってか知らずか、目田探偵は楽しそうに指示をする。いや、あれは絶対に分かってやっている。
「二股の部分って、あ――」
 僕はそこで、それを発見した。
「――うわあっ!」
 そして驚いた拍子に僕は枝から滑り落ちてしまった。枝を掴み直す事も出来ず、真っ逆さまに――。
「っと、危ねえ」
 地面への激突を救ってくれたのは目田探偵ではなく、女番刑事だった。両手を前に伸ばして僕の身体を力強く受け止めてくれたのだ。
「気を付けろって言ったじゃねえかよ」
「す、すみません」
「はっはっは」
 何がおかしい、目田探偵。少しは彼女の男らしさを見習ったらどうなんだ。
「ほれ、さっさと降りろ」
「あ、はい」
 流石に鍛え上げられた肉体ゆえか、僕一人を受け止めても平然としている。

 ――ぐにっ。

 鍛え上げられたと言っても、肉体の一部は柔らかい場所が存在する。
 僕がつい右手で握ってしまった場所もその一つだ。
「……っ!」
 それは僕が今まで見た事の無いような種類の動揺だった。怒りと羞恥が混じったような、複雑な女番刑事の表情――。

 ――べぎっ!

「ぎゃああぁぁ……」
 背骨を膝に叩き付けるシュミット流バックブリーカーを食らった僕は、そのまま無様に地面を転げ回る羽目になってしまった。恐らくあのまま落下した時よりもダメージが大きいだろう。
「はっはっは」
 だから笑うな、目田探偵。
「ふん。このエロガキが」
 完全に不可抗力だったのだが、どんな言い訳も聞く耳持ってくれないだろう。ここは耐えるしかない。
「それで、どうだったんだい?」
「はい。想像通りにボリュームがあって、掌に収まらないくらいの釣鐘型――」
 鳩尾へのサッカーボールキック。けしからん乳の持ち主による、容赦の無い突っ込みであった。因果応報。
「おいおい、違うだろ。枝の先に何か痕跡があったんだろ?」
 わざと曖昧な聞き方をしてネタを振ったくせに、いけしゃあしゃあと言ってのける。
「……二股の部分に、歯型と……歯が、刺さっていました」
 息も絶え絶えに呟きながら枝を見上げるが、下からでは分からなかった。おそらくあれは前歯の部分だったと思う。
「歯……だって?」
 女番刑事が攻撃を止めて訝しげに呟いた。「それと、人一人が乗って落ちたのに折れない程の枝の柔軟性。これでこの事件の真相が分かったよ」
 目田探偵は確信を込めて頷いた。
「色々と強引な解釈は付きそうだが……いかんせん、十五分という時間的制約がある。どれだけ仕掛けをしていたとしても、人一人を殺害してあーだこーだするのは難しい」
「じゃあ、どうしたっていうんだ?」
「結論から言おう。これは殺人ではない。だから、密室でも何でもないんだ」
 その言葉に僕と女番刑事は顔を見合わせた。
「具体的な流れを簡単に説明しよう。まず彼は日本刀を携えてこの公園へとやって来た。そしてこの樹を選んで自ら首を刎ねた。そしてそのまま首は川へ落ちたという訳さ」
「簡単過ぎますよ。訳が分かりません」
「鈍いなあ。日本刀の刃を首の後ろに当てて、柄と峰の両方を手で勢い良く押し付ければ首が刎ねられるだろう? それだとあの左の掌に付いた跡の説明が付く」
「そんな事……出来るんですか?」
「出来るんだよ。その際、高い位置にある樹の枝を口で咥えておくんだ。全体重を掛けてぎりぎりまで下まで引っ張っておく」
「それでどうなるんです?」
「切断後、首はそのまま枝の反作用によってバネ仕掛けのように持ち上げられる」
「そして慣性の法則で、川まで飛んで行ったんですか?」
「その通り。歯は枝に刺さって残り、樹の裏の血痕はその際に付いたものだよ」
 放物線を描く生首が頭に浮かんだ。
「マジかよ……」
 女番刑事は理解し難いと言った様子で頭を抱えている。
「なあ。自分で首を刎ねる……までは百歩譲って良しとしよう。でもなんで、枝に噛み付いてまで川に飛ばさなきゃならねえんだ?」
「目的は川に落ちる事じゃない。凄腕の零戦乗りだったのなら、空で死にたいと思っても不思議じゃないだろう?」
「空でって、首を刎ねたら――」
「刎ねた瞬間は死なない。ほんの数瞬なら生きている」
 何でも昔、ギロチン全盛期には首を刎ねられた後も言葉に反応して数回瞬きをした囚人が居たらしい。眉唾物の話だが、百%嘘だとも言い切れない。
「歯に自信があったんだろうね。年齢の割には入れ歯じゃないし。もしかしたら意識的に、枝から離れる際に口を開けたのかもしれないね。じゃないと、下手したら百舌の早贄状態になるし」
 首だけの状態でそこまで出来るかと訝しげに思ったが、現に口は開けられた状態であった。歯が折れる程喰いしばったまま絶命したのなら、死後硬直でそのまま口は閉ざされていた筈である。
「どう見ても自殺です。本当にありがとうございました」
 いつもとは違うパターンの決め台詞だ。
「生憎と自殺の理由までは分からないよ。その辺は警察で調べてくれ」
「あ、ああ……」
 女番刑事はまだ納得しかねる様子だったが、上手い反論が思い付かなかったようだ。おそらく最終的に警察も自殺と断定するだろう。
「でも、空で死にたいなら他にもっと楽な方法があったんじゃないでしょうか?」
「例えば?」
「その……ビルの屋上から落ちるとか」
「きみはビルの屋上から下を見て、そこを空だと思うのかい?」
「……思いませんね」
「それに、死ぬのは地面に叩き付けられてからだ。結局地面で死ぬのと変わりないよ」
「空で、散りたかったんですね」
「それが一瞬だけだとしてもね」
 首だけの姿になっても、その瞳に空は映っていたのだろうか?
 僕には分からない。
「生半可では無い、執念のようなものを感じるよ。ここは死者に冥福の祈りを込めて歌を捧げよう」
 目田探偵は考え深げに呟くと、おもむろに歌い出した。
「そーらをじゆうにー、とーびたーいなー」
「はいっ。くびチョンパー!」
 二人して女番刑事に思いっ切り殴られたのは、言うまでも無い。

   ***

 これは余談になるが。
「ううっ……ピー助ぇ……」
 上映後。
 女番刑事が感極まって号泣している姿を隣で目撃してしまったのは、ここだけの秘密だ。

投稿者 緋色雪 : July 21, 2006 12:00 PM