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第三話『連続静寂犯』

20060620

 目田探偵の自宅兼事務所は、とあるクリーニング店の二階に設けられている。
 そして学校帰りの僕は今、助手の仕事として事務所の留守番を任されていた。知る人ぞ知る秘境のような場所なので客は殆ど来ないから楽だ。
 そんな訳で事務所のテレビで鉄拳5に勤しんでいると、どたばたと慌てた様子で目田探偵が帰って来た。
「ニュース! ニュース!」
 玄関先でブーツの紐を解くのに四苦八苦しながら目田探偵が叫ぶ。
「ニュースって、何です?」
「だからニュースだよ!」
 苛立たしげにコートの前ボタンを一つ一つ外しながら、テーブルの上のリモコンを右手で掴んでテレビのチャンネルを変えた。
「ああ、そっちですか」
 と言うか、段位昇格のチャンスだったのにいきなり変えんな。
『――今日のお昼頃、またしても被害者が発見されました。これで殺害された数は合計で二十三人にもなります……』
 夕方六時のニュースで、女性レポーターが現場と思われる場所をバックに原稿を読み上げている。
『死亡推定時刻は昨日の夜頃。そして今回も、現場にはあのメッセージが残されていました。QUIET(お静かに)と……』
 ここ最近世間を騒がしているこの犯罪は、数日の間を置かないで今も続けられている。テレビでは連日特集が組まれ、様々な専門家達があれやこれやと議論していた。
「また事件ですか。物騒な世の中ですね」
 現場に残されたメッセージからマスコミは連続静寂犯(サイレント)と名付けた。被害者は老若男女で共通点は無く、通り魔的な連続殺人だと言われている。その犯人像も動機も未だ不明のままだ。
「探偵としては有り難いけどね。平和な世の中になったら商売上がったりだ」
 そして物騒な探偵がここにいる。
「目田探偵はこの事件に興味があるんですか?」
「まあね。被害者遺族からの依頼もあって、色々と私なりに調べているんだけど」
 他のチャンネルも調べるが、もうどこもサイレントの事件は扱っていないようだった。
「情報はこれくらいか。ならば――」
 そしてゲーム画面に戻る。
「勝負だ安地君。ようやくノーコンテニューでクリア出来る様になったんだからね」
「はいはい。分かりましたよ」
 元々このPS2は僕の私物である。目田探偵が対戦ゲームをやってみたいと言うのでここに持ち込んだ訳だが、何度やっても僕に敵わないのに業を煮やしたのか、ゲーム機本体ごと取り上げられたのだ。
「せめて鉄拳王の称号を得てからにして下さいよ。あと、初心者ならいきなり動物キャラは止めた方がいいですって」
 手を抜くとすぐに見破られるので真剣に戦わざるを得ない。かといって圧勝し過ぎると、それはそれで機嫌が悪くなる。
「そう言うきみは、女性キャラばっかり使っているよねえ。何だっけ、あの変な関西弁女?」
「……容赦しませんよ」
 僕はゆっくりと、風間飛鳥にカーソルを合わせた。

  ***

 泊り込みでの鉄拳百連戦から翌日。
 目田探偵への依頼という事で、僕は街の外れにある安ホテルへとやって来た。
 わざわざこのような場所で待ち合わせというのは何か理由があるらしく、目田探偵は他の仕事で手が塞がっているとの事で、代わりに僕が話を聞く事になった。
 ちなみに昨日の鉄拳の戦績は目田探偵の名誉の為に記さないでおく。
「404号室……ここか」
 部屋の表札を確認する。そのすぐ右横には、縦に並んで『ト02』と読める意味の分からない落書きがされていた。
 404号室は階段を上がって目の前にある廊下の一番奥で、右隣が405号室。向かいが403号室。ワンフロアに六部屋の造りで、階段脇に共用のトイレが設置されている。
「目田探偵事務所の者です」
 僕はノックをしながら中に呼び掛けた。
「………」
 だが、返事は無い。
「お留守ですか?」
 一応、スペアの鍵は預かっている。依頼状と共に送られてきたのだ。
 もしも留守の場合は中で待っていて欲しいという意味なのだろう。
「入りますよ? 失礼します」
 鍵を開けて中へと入った。
「……えっ?」
 目の前の床に、トレンチコートと帽子を被った一人の人間がうつ伏せになって倒れていた。
 見たところ年齢は四十代から五十代くらいの壮年の男。その身体の下からは、赤い液体が放射状に大きく広がっていた。
「……前にも、似たような事があった気がするけど」
 これから先、まともな依頼人と対面する事があるのだろうか?
「ナイフで喉下を一撃……ってとこかな?」
 恐る恐る近付いて観察する。首筋は真っ赤に染まっているので、投げ出された手首を取ってみた。
「やっぱり、脈は無い――」
 ふと見上げて僕は絶句した。

『QUIET』

 奥の壁に大きく書かれたその赤い文字。
 僕に言われた訳ではないのだろうが、それを見た途端に言葉を発する事が出来なくなってしまった。
(サイレントが、ここにいた……!?)
 身体中に緊張が走る。
 夕べ鉄拳をやりながら目田探偵からサイレントの事を色々と聞かされた。対戦中に事件現場の遺体写真を見せ付けるという卑怯なやり口もあったが、その中に『QUIET』のメッセージの写真があった。
 直線を何度も重ねるように書かれた特徴的な筆跡は、どのメディアでも公開されていない。おそらく警察の情報規制なのだろう。
 そして目の前のメッセージは、僕の眼からはそれと同じ筆跡にしか見えなかった。
(とにかく、目田さんに連絡を――)

 ――コツ、コツ……。

 ドアに振り返ったところで、廊下から足音が聞こえて来た。
(誰だ?)
 足音はこちらへと向かって来る。
 僕は慌てて部屋の中を見渡した。
 入り口は入って来たものだけで、オートロックのおかげで鍵が掛かっている。部屋は六畳ほどの広さのワンルームで、バスもトイレも付いていない。家具はベッドとテーブルとクローゼットと小型冷蔵庫とテレビ。窓があるが格子が嵌っている。

 ――ガチャ、ガチャ。

 足音の主がこの部屋の鍵を開けようとする。
(……ここしかない!)
 咄嗟に僕はベッドの下に潜り込んだ。

 ――ガチャリ。

 扉を開けて誰かが入って来る気配がする。
「………」
 その人物は一瞬立ち止まると、すぐにベッドの上に腰掛けた。
(……危なかった)
 もう少し行動が遅れていたら見付かってしまっていただろう。部屋の中の物に殆ど手を触れていなかったのも功を奏した。
(それにしても、これは……)
 ベッドの隙間から見えるのはスラリとした色白の細い脚。皮靴と白いソックス。ちらりと上から覗かせるスカートの端。
 それはまるで、女子高生のようであった。
(サイレントが……女子高生?)
 まさかと思ったが、この状況からしてそう考えるのが自然だろう。現に、この部屋の鍵を持っているのだ。この人物がホテルの人間でないのなら、鍵は依頼人しか持っていない筈だから。
(さて、どうする?)
 僕は物音を立てないように息を殺しながら必死に考えた。
 目田探偵によるとサイレントはカッターナイフのような鋭い刃物で殺人を犯した後、何故かその犯行現場に長時間留まっている性質があるらしい。普通ならば一刻も早く立ち去るものなのだが、その理由は不明だ。
 詳しく調べた訳ではないが、床の乾き具合からして事を起こしてからそれ程時間が経っていないように見える。だとすると、一度洗面所にでも行って手を洗っていたのかもしれない。
 鉢合わせは免れたが、それが幸運だったと言う訳ではないようだ。
「………」
 ベッドの上の人物は何をする訳でもなく、ただ無言でじっとしている。身体の向きからして床に倒れた人物に目を向けているのかもしれない。
 その静けさが恐ろしく不気味だった。
 このような異質な空間に僕は一分も耐えられそうに無い。
(そうだ、携帯電話だ!)
 マナーモードにしてあるのでプッシュ音が鳴る心配は無い。更に設定で着信音も切れば完璧だ。問題はボタンを押す時の僅かな音だが、掌で音を塞ぐように押せば大丈夫だろう。
 すぐに目田探偵にメールを送る。
『依頼人が部屋で殺されています。僕はベッドの下に隠れていて、すぐ上にサイレントが座っているんです。助けてください』
 返事はすぐに来た。
『やだプー』
 四文字だった。
『ふざけないで下さい! あのサイレントが間近に居るんですよ! 捕まえるチャンスじゃないですか!?』
『そんな事より、昨日ゲームできみにボッコボコにされた恨みの方が大きいよ。しばらくそこで頭を冷やしているんだね』
 ここに来て個人的な私怨を持ち出すのかあのボケは。もういい、あんな奴に頼らないで直接警察に連絡してやる。
(警察のメールアドレスって……何だ?)
 指を止めて僕は悩んだ。110番に電話が出来れば簡単なのだが、万が一にも向こうの声が漏れるとまずい。
 そこで他の知り合いにメールを送ってそこから警察に連絡してもらえばいい事に気付いた。手間は掛かるが仕方ない。
 そう考えてアドレスを開こうとして、僕は愕然となった。
 目田探偵以外のアドレスが全て抹消されているのである。履歴も、何もかも。先日知り合った塔野さんのアドレスも含めて。
『ああ。昨日腹いせに、きみのケータイのアドレスを消しておいたから』
 こちらの行動を予測しておいたかのようなメールが届いた。
『何をやらかすんですか! これじゃあどこにも連絡出来ないじゃないですか!』
『つまり、私しか頼る者は居ないって事だね。アドレスくらい暗記しろよなー』
 嫌味な口調が脳内に再生されて余計に腹が立つ。
『分かりましたよ。昨日の事は謝りますからお願いします』
『土下座したら考えてもいいね』
『土下座以上に這いつくばっているんですよ! 今!』
『はっはっは。それを言うなら以下だろ』
『どっちでもいいですよ! 大体何で依頼人がサイレントに殺されているんですか!? 偶然にしちゃ出来過ぎですよ!』
『いや、偶然とは言えないんだよね。そもそも依頼が身の安全を確保して欲しいとの事だったんだ。何でもサイレントに関して重要な情報を握っていたらしくてさ』
『そういう事は最初に言ってください!』
『わざわざ文末に『!』を多用しなくてもいいじゃないか。その分手間だろ?』
『そうでもしないと、僕の気が晴れないんですよ!』
 何故だろうか、黙々と文章を打っているだけなのに息切れしそうになる。
 上の人間に気付かれていないかと恐る恐る様子を伺ってみるが、どうやら大丈夫のようだ。ただ、目の前に見える脚が微かに震えているのが分かる。この部屋は暖房も付けていないから寒いのかもしれない。
『それで、サイレントの顔は見たかい?』
『いえ。咄嗟に隠れたもので、脚しか見ていません。でも服装からして女子高生みたいなんですよ』
『どんな脚?』
『色白で、細くて、とても綺麗な脚です。靴の大きさからして足のサイズが普通よりも大きいみたいですが、その分背が高いのかもしれません』
『つまりきみは、脚フェチなんだね』
『聞いたのはそっちでしょうが!』
 いかん。心の中で叫び過ぎて気が遠くなってきた。このまま身体も心も衰弱してしまってはとてもまずい。
『もういいですよ。自力で何とかします。いくらサイレントでも、不意を付けば何とかなりますから』
『おい、無茶は止めたまえ』
 目田探偵のメールを無視して僕は目の前の二本の脚にゆっくりと手を伸ばした。都市伝説よろしく、ベッドに下から襲い掛かれば僕でも勝機がある。

 ――とすっ。

 その時、二本の脚の間に何かが落ちて床に刺さった。
「……っ!?」
 僕は驚きの声を必死に飲み込む。
 床に刺さったもの。
 それは、刃が薄く赤みがかったカッターナイフだった。
「………」
 僕はゆっくりと手を引っ込めた。
『たすけてください』
『最初から素直にそう言いなさい』
 最初から素直にそう言っているのだが、ここはぐっと堪える事にする。
 ベッドの上の人物はカッターナイフを拾い上げると、そのまま立ち上がって部屋の中を歩き出した。

 ――ガチャン。

 扉の開かれる音。
 ここからは死角になっていて見えないが、どうやら部屋から出て行ったらしい。それからは物音一つしない。
『サイレントが出て行きました』
『ふむ。どうやら飽きたみたいだね。もうそこには戻って来ないだろう』
『僕はどうしたらいいんですか?』
『念の為にしばらく間を置いてからそこから出るんだ。既に私もそちら向かっている』
『分かりました』
 指示通りにたっぷり時間を置いてから、僕はそろそろとベッドの下から這い出した。ずっと窮屈な姿勢だったので身体中の関節が悲鳴を上げている。
「――動くな」
 迂闊だった。
(扉が閉まってから、廊下を歩く物音がしなかったじゃないか!)
 己の不明さを嘆くが、既に手遅れである。
「そのまま両手を上げて、ゆっくりと立ち上がれ」
 背後から冷たい金属の感触を首筋に味わいながら、僕はゆっくりと言われた通りにした。
「こちらを向け。妙な真似はするな」
 僕は覚悟を決めて振り向いた。
「……は?」
 僕はその顔を知っていた。
 いや、知っているなんてものじゃない。
「くくくっ……」
 目の前の人物は堪え切れなくなったかのように笑う。繰り返して言うが、巷の女子高生が着るブレザー姿である。
「あーっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ!」
 ベッドの上に仰向け倒れ込み、それはもう死にそうなくらい笑い転げていた。
「………」
僕はその姿を、ただただ呆然と眺めている事か出来なかった。
「……何をしているんですか? 目田さん」
 正気に返った僕はようやく言葉を発する事が出来た。
「ひひひっ……いや、ほんと……面白いくらい罠に掛かってくれたね」
「罠って……じゃあ、依頼の話は?」
「全部嘘」
 ああ、そうか。
 これが殺意か。
「ヌッ殺す!」
「きゃー、襲われるー」
 大股を広げて怯える振りをする目田探偵。
 思わずスカートの中に視線を向ける自分に心底嫌気が差し、しかもそれがブルマだった事に気付いて死にたくなった。
「……じゃあ、そこの死体は?」
 凄まじい脱力感に苛まれながら、僕は床を指差して尋ねた。
「死体なんかじゃないさ。見てみなよ。良く出来ているだろう?」
 改めて近付いて確認する。どう見ても人間の死体にしか見えない。
「その名も美川里ちゃん。依頼者の要望にお応えしてどんな姿にでも変身可能だ!」
「ミガワリちゃんって……じゃあこれ、人形だったんですか?」
 一体幾ら金を使ったんだろうかと呆れる。
「でもね、気付かないきみもおかしいよ」
「まあ、今考えれば……」
「しかも最初の最初で、私はヒントを出していたんだよ?」
「ヒント?」
 そんなものあっただろうかと首を傾げる。
「この部屋の表札を見ただろう?」
「ええ」
「落書きがあったのを覚えていないかい?」
「確か『ト02』って……」
「ちっちっち。横にしてごらん? 『NOT』と読めないか?」
「まあ、確かに。でもそれが?」
「鈍いねえ。『404 NOT』だよ? つまり『404 Not Found』ファイルは存在しませんって意味だよ。だから依頼も事件も存在しないのさ」
「分かるかボケぇ!」
 全ての人間からの代理として僕は叫んだ。
「こんな手間暇掛けて……僕を騙す為に、ここまで労力を消費しますか?」
「いや。きみを騙すのはついでだよ」
 目田探偵はベッドから立ち上がる。
「サイレントについて独自に調査をして、私の推理力を総動員させた結果、出没先はこの辺りが怪しいと思っていたんだ」
 ポーズを付けての説明。しつこいようだが、女子高生のブレザー服姿である。
「何でも代わりにやってくれる知り合いにこの部屋を拠点にして張り込みを頼んだんだ。次に事件が起こるとしたら、間違い無くこのホテルだろうね」
「あー、そうですか」
 今となっては、もうどうでもいい。
「じゃあ、帰っていいですか?」
「待ちたまえ、安地君」
「何ですか?」
「私の美脚に興奮したかい?」
「死ね」
「まあまあ。私も戻るところだから、ついでに車で送ってあげよう」
「頼むから近くを歩かないで下さい」
「遠慮しないでいいって」
 拒否する僕に構わず目田探偵は先に立って部屋の扉を開けた。

 ――ガチャリ。

 その光景を後ろから見た僕は、まるで合わせ鏡の中に迷い込んだような気がした。
「………」
 向かいの部屋の扉を開けたまま硬直した、目田探偵と同じブレザー服姿の本物の女子高生が居る。
 その女子高生の背後には、こちらの部屋と全く似たような形で倒れている死体がある。
 そして奥の壁に書かれた、本物の『QUIET』――。
「危ないっ!」
 次の瞬間、目田探偵の喉下に水平に薙ぎ払われたカッターの刃が迫っていた。
「おっと」
 しかし目田探偵はあっさりとその手首を掴むと、そのまま相手の身体を宙に回転させながら廊下の壁に勢い良く叩き付けた。
「どう見ても犯人です。本当にありがとうございました」
 その一撃でサイレントは昏倒したらしい。ぴくりとも動かなくなった。
「……このまま、事件も起こらずに終わるかと思いましたよ」
「タイトルに偽り無しさ」
 それにしても、返し技なんてゲーム以外で初めて見た。
「サイレントは私が押さえているから、遠慮無く警察に連絡したまえ」
「はあ、分かりました……」
 この異様な状況を警察にどう説明するつもりだろうか?
「二人共お疲れさん。張り込みを兼ねた悪戯が無駄にならなくて本当に良かったよ」
「あー、そうですか」
 携帯電話の11まで押して、僕はそこで初めて気付いた。
(……二人共?)
 慌てて後ろを振り向くと、今まで人形だと思っていたものがゆっくりと立ち上がった。
「……やれやれ。後ろから驚かそと思ったんやけどな。こうなったら、しゃあないか」
 意外な事にそれは若い女性の声だった。
「み、美川里ちゃん!?」
「そうや」
 血糊の付いた手を拭いながら、美川里ちゃんは壮年の男だった偽の顔を外した。
「代わりに出来る事なら何でもこざれ。代替屋(オルタナティブ)の美川里。今後ともよろしゅうな、アンちゃん」

投稿者 緋色雪 : June 20, 2006 04:00 PM