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第二話『血と縁のスパイラル』

20060517

 塔野和葉。
 たった二日間で十一人の犠牲者を出した、塔野家殺人事件の生き残りである。
「――おねがい! 一人にしないで!」
 事件現場となった塔野家の屋敷から遠く離れた病室で彼女が目を覚ました時、錯乱し掛けた様子で僕に抱き付いたまま、再び気を失ってしまった。
 現在目田探偵は事件の調査に出掛けてしまっている。塔野和葉が目を覚ました時に話を聞くようにと、僕はここに残されたのだ。
 つまり、この部屋は二人きり。
 扉の外には警察官が警備してくれているとはいえ、少々緊張する。

「ううっ……」
 彼女が呻き声を上げて虚空に手を伸ばした。
 僕は少し躊躇いながら、その手をしっかりと握り締める。
「………」
 それで安心したのか、彼女の呼吸が平静に戻った。
「事件の生き残り、か……」
 被害者には彼女の父親も含まれている。母親は既に亡くなっているらしいから、両親が居なくなって今後どうするのだろう?
 一時間程そうしていただろうか、彼女が薄っすらと目を開けた。
「……あなたは?」
医者を呼ぶべきか、警察官を呼ぶべきか考えていると、彼女の方が先に話し掛けてきた。
「えっと、僕は……目田探偵の助手で、安地と言います」
 しどろもどろになりながら僕は答える。
「目田……探偵? 確か、お父さんが依頼したって言ってた……」
 どうやら彼女は目田探偵の事を知っているらしい。それなら話は早い。
「今回は、その、すみませんでした!」
 僕は頭を下げて謝罪した。
「依頼から二日も遅れてしまって、もしも間に合っていたら、このような事態には陥らなかったかも知れないのに……」
 塔野家頭首の、塔野浩和氏の遺言状が公開される日に来て欲しいと依頼があったのだ。その日に血縁関係にある一族全員が揃い、遺産の分与が決められる予定だった。
 そんな大事な日に、あの目田探偵は日付を間違えて遅刻しやがったのである。全く、名探偵にあるまじき行為だ。
 当の本人はというと「今考えると、時間通りに到着したとしても追い返された可能性が高い」などとぬかしているが。
「………」
 彼女は何も言わなかった。
 怒っているのかもしれない。
 呆れているのかもしれない。
 恐る恐る顔を上げて様子を伺うと、彼女の視線は繋がれたままだった僕の手に向けられていた。
「あっ! これは――」
 急に恥ずかしくなってその手を離した。
「ずっと……握っててくれたの?」
「えっ? ああ、うん。そうだ、ちょっと聞きたい事があるんだけど……一体何があったの?」
 照れ隠しに僕は事件の事を尋ねた。
「分からない……」
 僕の問い掛けに彼女は力無く首を振る。
「お祖父様の遺言状が公開されてから、みんな狂ったみたいになってしまって……」
「それって、どんな内容だったの?」
「……この屋敷に隠された遺産を手にした者に全てを譲る」
「えっ?」
「期間は四十八時間。その間、外部に出る事も連絡する事も許さない。一人でもそのような行為に出た場合、遺産は誰の手にも渡らない……あれには、そう書かれてあったの」
 そのたった二日間に、十一人の死者を出す血みどろの争いが繰り広げられていたのか。今更ながら背筋に冷たいものが走る。
「わたし達一族は……そんなに仲が良いとは言えなかった。お父さんは最後まで遺産は要らないといっていたのに、二日目の夜――」
 彼女はそこで涙ぐんで言葉に詰まった。
「ごめん……つらい事を思い出させて」
「結局、遺産がどうなったのか分からないの。わたしは、あんなものはどうだっていい。だから、だから……」
「分かったから。もういいから。ゆっくり休んでよ。お願い」
「うん……」
 しゃべり続けて疲れたのか、それからすぐに彼女は眠った。
 その後しばらくして、目田探偵が手配してくれたのか、病院の人間がやって来て彼女のベッドの隣に簡易ベッドを設置してくれた。外に出る必要が無いように、夕方には食事もきちんと運んでくれるらしい。
 しかし、これだけ手を回せる事が出来るのにどうして遅刻なんて初歩的なミスをするのやら。どこか抜けているんだよな、あの人。
 噂をすれば何とやらで、目田探偵から携帯電話にメールが届いた。
『何か話が聞けたのなら、要点をまとめてメールをよこしてくれ。私の方は夜まで戻れそうに無いから、そちらは頼む』
 更に追伸があった。
『ところで、手を繋ぐ以上の事はしていないだろうね?』
 ……余計なお世話だ。というか、なんで分かるんだよ。
 とりあえず彼女から聞いた事をメールで返事をする。大した情報だとは思えないが、目田探偵なら何か分かるかもしれない。
「ねえ……」
 いつの間に目を覚ましていたのか、彼女が再び話し掛けてきた。
「どうしてあなたは、探偵の助手なんてやっているの?」
「えっ? それは――」
 僕みたいな普通の高校生が探偵の助手をしているのは、普通から見れば確かに珍しいかもしれない。
「ちょっと昔にお世話になったんだよ。だから、その恩返しみたいなものかな」
「へえ……」
「あの人はね、ちょっと抜けたところがあったり肝心なところでポカをやらかしたりするけど、それでも解決出来なかった事件は今まで、ただの一つもなかったんだ。だから、安心していいよ」
「でも、使用人の人が逃げてしまって、事件はもう――」
 現在、事件の容疑者である使用人の男が逃亡している。事件があった屋敷の傍にある山の中へ逃げ込んでいて、警察と地元青年団による山狩りが行われている。
「いや。あの人がこうまで動いているという事は、まだ何かしらの裏があるって事だよ」
「じゃあ、他に誰か犯人が居るの? わたしとその人以外であの屋敷で生き残った人間はもう誰も居ないのに」
「それは――」
 言い掛けて言葉に詰まる。
 生き残った者が二人だけ?
 もしも現在逃亡している使用人とやらが犯人でないのなら、目の前の彼女が犯人という事になるのだろうか?
「――どうしたの?」
「ううん。何でもないよ」
 僕は頭を振ってその考えを追い払った。
「使用人の人って名前はなんだったかな」
「確か、葛西さんと言ったけど……」
「どんな人だったの?」
「あんまり会った事は無いけど……無口で、仕事熱心な人だった。昔、事故で顔に酷い火傷を負ったらしくて、普段はそれを隠すように覆面をしているの」
「じゃあ、素顔は知らないの?」
「うん……」
 怪しい。これでは、警察が容疑者と考えていても無理は無いかもしれない。
 それから夕方になり、食事時間になっても目田探偵は戻って来なかった。やはり連絡通りに帰るのは夜以降になるのだろう。
 それからはずっと、僕達は当たり障りの無い会話をしていた。学校の事、友達の事、好きなテレビや本など……。
 消灯時間になったところで、一つ屋根の下で若い男女が泊るのはどうかと今更ながらに思ったが、彼女が一人になるのは嫌だと言ったので僕は遠慮無く隣の簡易ベッド寝ることになった。人間の出入りが分かるように場所は入り口側。これも仕事だ。うん。
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
 ただし、両者の間はカーテンで仕切ってある。この部屋は個室だったが、こういう場合に備えてのものなのだろう。
別に残念がってはいない。
「……ってか、眠れる訳ないよ」
 隣からはすぐに寝息が聞こえて来たというのに、僕の方は気が高ぶって中々寝付けなかった。目田探偵には先程メールを送ったのだが返事は無い。
 仕方無いので、事前に渡されていた資料に眼を通す事にする。室内の電気は点けられないので、携帯電話のライトを明かり代わりにした。
 資料には塔野一族の血縁関係者が記載されてある。

 ・塔野浩和 塔野家頭首
    由紀 浩和の妻
 ・塔野浩由 浩和の長男
    文代 浩由の妻
    浩文 浩由の長男
    由文 浩由の次男
 ・塔野和紀 浩和の二男
    歌子 和紀の妻
    和歌 和紀の長女    
    紀子 和紀の次女
 ・塔野和由 浩和の三男
    葉子 和由の妻
    和葉 和由の娘
 ・塔野浩紀 浩和の四男

 一族の人間は皆、医療に携わる仕事に就いている優秀な一族だ。この病院の経営もその一つだという。
その中で塔野由紀は既に病気で他界していて、塔野葉子は事故で亡くなっている。
そして、今回の事件の元凶とも言うべき塔野浩和が病気で亡くなったのは二ヶ月前。その遺体は灰になり、海に散骨されてこの世には塵も残っていない。高名な医学博士であり、その資産は莫大なものだと言われている。
 そして、事件の登場人物がもう二人。

 ・葛西定雄 使用人
 ・浮谷啓介 塔野浩和の元秘書

 葛西定雄の年齢は二十八歳。写真は無く、詳しい経歴は不明だ。塔野浩和が数年前から自分の屋敷に住まわせて使用人として働かせている。そして現在、容疑者として逃亡中だ。
 それと比べて浮谷啓介はエリート街道を絵に描いたような男だ。写真では端正な顔立ちで、弁護士資格も持っており、二十五歳の若さで秘書として有能な男だったようだ。だからこそ遺言状を任されたのだろう。しかしそのせいか、血縁者でもないのに遺言状が公開された当日、最初に殺されている。

 ――コンコン。

 突然、扉をノックする音が響いた。
 時刻を確認すると夜の十時。警察の取調べにしては遅すぎる時間だ。
「……誰です?」
 僕は扉の前に立って用心深く問い掛けた。
「私だよ。ちょっといいかな?」
 目田探偵の声だった。途端に緊張が解ける。
「遅いですよ。今まで一体何をしていたんですか?」
 扉を開けながら僕は不満をぶつけた。
「いや、これでも忙しい身でね。彼女はもう眠ったようだね。ちょっと話があるから外に出てくれないか?」
「でも――」
 彼女を一人残すのに躊躇いを覚える。
「大丈夫だよ。廊下には警察官が一人配置されているし、病院の警備システムも万全だ。きみ一人がここから居なくなったくらいで大して変わらないさ」
「……分かりましたよ」
 腹の立つ言い方だが、ここで話し込んでいたら彼女を起こしてしまうかもしれない。それに、被害者には聞かせられない内容にもなるだろう。
「では、向こうの部屋に移ろう」
 僕はちらりと彼女の様子を確認すると、後ろ髪を引かれる思いで部屋を出た。
「じゃあ、お願いします」
 廊下で見張っている警察官に挨拶をして目田探偵の後を付いていく。彼女の病室は三階のほぼ中央にある。部屋から出て向かって左側にある階段を一つ降りて、二階にある個室の一つに入った。
「それにしても一体何なんですかこれは? どう見たって、本編と思われる事件部分がすっ飛ばされているじゃないですか」
 部屋に入るなり僕は言った。
「まあね。言ってしまえば、解決編から始まったようなものだね」
「それもこれも、目田さんが日付を間違えて遅刻したりしなければ……」
「でもねえ。たった二日間で十一の死体が出来上がるような場所にきみは居たいと思うのかい? 名探偵の私ならともかく、単なる助手のきみでは、死にはしないものの酷い目に合うのは眼に見えているよ」
「……そりゃ、まあ」
 誰だって好きこのんでそんな場所に行きたくない。目田探偵なら嬉々としてその状況を楽しむのだろうが。
「それとも何かい? 極限状況の中であの娘の傍に居て、吊り橋効果でも狙いたかったとでも言うのかい?」
「な、何言ってるんですか!」
「部屋を出る時だって随分と名残惜しそうだったじゃないか。そんなにラブコメしたいのかい?」
「余計なお世話です。大体、目田さんが登場するまでシリアス街道まっしぐらだったのに、ここに来て急に世界が失速した気分ですよ」
「随分と失礼な言われようだね。全く、そんなに欲求不満なのかい? だったらその思いをこの私にぶつけたまえ。さあ、ばっちこーい!」
「………」
 僕は無言でその尻を蹴り上げた。
「馬鹿やっていないで、事件の話に戻りましょう」
「うむ」
 痛む尻をさすりながら目田探偵は殊勝に頷く。
「さて、きみから気になる情報を得たわけだが。それについて私なりに調べてみた」
「あっ、僕にも考えがあるんですが――」
「きみの考えくらいお見通しさ。未だ逃走している容疑者が、塔野家の血縁者でないかと疑っているんだろう?」
「はい」
「結論から言えばノーだ。現場に残った頭髪や血痕を調べさせたが、亡くなった塔野一族の誰とも遺伝子が一致しなかった。正真正銘赤の他人だよ」
「……そうですか」
 僕の思い付きなど事実の前に簡単に一蹴されてしまった。そう上手くはいかないという事か。
「だが、着眼点は良いと思った。それで私はその考えを突き詰めてみた」
「突き詰めた?」
「最初に死んだ男が居るだろう?」
「ええ。秘書の浮谷啓介ですね」
「彼も同じ結果が出た。だが、同じというのが問題で――」
 そこでふと、目田探偵は虚空を見上げた。
「どうしました?」
「今、何か聞こえなかったか?」
「いえ、何も……」
「まさか!?」
 いきなり駆け出したので、僕も慌ててその後を追った。
「何なんです!? 一体!」
「急げ! どうやら長話し過ぎたらしい!」
 廊下を走り、階段を駆け上がる。
「あっ!?」
 その光景を見て僕達は足を止めた。
 彼女の病室の前に人影があった。薄暗いので、誰だかはっきりとは分からない。
「塔野さん!?」
 だが、その人影が抱きかかえている人物が誰なのかは分かった。
「この警備の中を侵入するとは――」
 目田探偵が前に出ようとすると、向こうは身を翻すように廊下を走り出した。
「待て! 安地君! 下から回り込め!」
「はい!」
 二手に分かれて僕は元来た階段を駆け下りる。この病院には階段が建物の端と端に二つあり、エレベーターは今の時間は使えない。
 途中のナースステーションを横目で見たら、病院関係者達が床に倒れているのが分かった。病室の前に居た警察官も倒れていたが、死んでいない事を祈るだけだ。
 一階のフロアに出てしばらくその場に留まって様子を見たが、誰も降りてくる気配が無い。出入り口はここだけだというのに、一体何処に行ったのだろうか?
「まさか、上に……?」
 逡巡した挙句、僕は居ても立ってもいられなくなって来た時の反対側の階段を駆け上がった。既に目田探偵が相手を取り押さえているという楽観的な考えはこの際捨てる。
 二階に上がって廊下を見渡したが誰も居ない。どこかの部屋に居るとしても、こうも静かなのは不自然だ。
 三階、四階と上がったところで頭上から声が聞こえた。
「――わざわざ、こんなところに逃げ込むとはな。もう逃げられないぞ」
 目田探偵の声だ!
 僕は階段を駆け上がって屋上に出た。
「おっ? きみも来たのか」
「はあ、はあ……当たり前じゃないですか」
 急激な運動で心臓が早鐘のように鳴り続ける。どうにか呼吸を整えながら、屋上の向こうに居る相手を見据えた。
 その後ろ姿は長身の男のようであった。
「逃げる……?」
 男が背を向けたまま嘲笑するように呟いた。その両腕には今も塔野さんの身体が抱えられている。ぐったりとしていて、ぴくりとも動いていない。
「勘違いしてもらっては困る。建物の中には多くの入院患者が居る。あのまま騒ぎを起こす訳にはいかなかったのさ」
「だから私達を此処に誘い込んだというのか? ふん。大した自信だな」
「禍根は全て絶つのが俺のやり方でね……警察ではないようだが、貴様等は何者だ?」
「名探偵とその助手ですが、それが何か?」
 目田探偵が自信たっぷりに言い放つ。
 それにしても目田探偵の姿。
 白い靴に白いスーツに白いコートの全身白ずくめ。そして更に頭髪までもが真っ白である。これでは、見た目で何者か判断する事など出来無いだろう。
 それに比べて僕は普通の学生服姿。寝巻きなど用意できなかったので、そのままの姿で寝ていたのだ。
「ふっ。探偵か……」
 その時、男がゆっくりと振り向いた。
「えっ!?」
 その顔を見て僕は驚きの声を上げた。
 事件関係者の顔は資料で見ている。男はその中の一人だった。
「浮谷啓介……確か、死んだ筈じゃ」
「奴は葛西定雄に成り代わっていたのさ。死んだと思われていたのはそっちだよ」
「でも、どうやって? 警察は被害者が浮谷啓介だと断定していたんでしょ? まさか双子だったとか?」
 僕の言葉に浮谷が低い笑い声を上げた。
「くっくっく……双子だと? 奴の方が三つ年上なのに、そんな筈が無いだろう? 兄弟では遺伝子情報は一致しない」
「確かにそうだ。私は独自に事件関係者全員の遺伝子情報を徹底的に調べ上げた。その結果から判断するに貴様達は……クローンだ」
「クローン、ですって? そんな――」
 あまりの展開に僕は絶句してしまう。
「その通り。塔野浩和が自らをコピーする為に作り出した唯一の成功体。それが俺だ」
「では、葛西定雄は?」
「あいつは失敗作さ。肉体的には安定していたんだが、おつむがちょっとな。それで処分するのも忍びないってんで、奴は手元に置いておく事にした。まあ、俺にとってはいざという時の臓器貯蔵庫に過ぎなかった訳だが」
 何という奴だ。いくら人為的に作り出された存在とは言え、そのような言い方には憤りを覚える。
「ふむ。それで葛西定雄に成り代わったというのか。彼の方は火傷で覆面をしていたらしいが、それはフェイクだったんだな」
「当たり前だ。同じ顔の人間がうろついていたらいくらなんでも周囲に怪しまれる。だからあいつには、人前で顔を見せないようにきつく調教していたのさ」
「そして事件を起こし、最後には変装を解いてまんまと逃走した訳か。全く、警察も先入観に囚われすぎだ。覆面と火傷の痕ばかりに気を取られていたんだろう」
「ああ。地元青年団が山狩りに入る事は予想出来たからな。素顔でそいつらの振りをすれば逃げ出す事は簡単だったよ」
 そしてこうやって、病院にまで侵入出来たという事か。病院のセキュリティをかい潜る手際といい、周到な計画性が伺える。
「じゃあ、遺産って……」
「その通りだ小僧。このクローン技術こそ奴の最大の遺産だったのさ。それを求めて一族の奴らは必死だったよ。金やら権力やら命やらが目的だったようだが、滑稽だったよ」
「その隠し場所こそ、貴様の頭の中という事か。道理で見付からない筈だ」
「そうだ。結局、奴らはゲームに敗北したのさ。互いの疑心暗鬼に飲まれて誰一人真実に到達出来なかった。あんな一族など、滅びて当然だ」
「ならば、どうして和葉ちゃんの命だけは奪わなかった?」
「そうだ! 彼女をどうするつもりだ!?」
 今すぐにでも飛び掛って行きたいが、彼女が相手の手の中にあっては下手な動きは出来ない。
「俺の崇高なる目的など到底理解出来まい。さてと、おしゃべりはここでお終いだ……」
 浮谷は低く笑うと、彼女を地面に置いてゆっくりと僕達に近付いて来た。いつの間にか、その手には鈍く輝くナイフが握られている。
「それにしても、何だね」
 それを眺めながら目田探偵が呟いた。
「様々な真実が暴かれて、いよいよクライマックスだというのに、どうしてちっとも盛り上がらないんだろう?」
「そりゃあ、事件本編も無いのに盛り上がれというは無理でしょう。伏線や前振りがあって、初めて盛り上がれるんですから」
 当事者である塔野さんが目を覚ましていればそうでもないのだろうが、薬でも嗅がされたのか今でもぐっすりと眠っている。
「じゃあ、さっさと終わらせるか」
 目田探偵は軽く言うと、コートの下からスタングレネードを取り出した。
「なっ――」
 問答無用でゴム弾を身体に叩き込む。
 その一撃で呆気なく、浮谷は地面に倒れて動かなくなった。
「早……」
「きみはナイフを相手に格闘をするかい?」
「いえ。真っ平ごめんです」
 僕はすぐに彼女の元へ駆け寄った。
「塔野さん……」
 大丈夫だ。特に外傷は見当たらない。
「さてと、そろそろ警察に連絡しようかな。ふふっ、これであいつに貸しがまた一つ出来るぞ」
 嬉しそうに携帯電話を掛ける目田探偵。
「それにしても、そいつの目的って一体何だったんでしょうね?」
「出来ればその辺の事も聞きだしたかったんだけどね。その前に襲い掛かってくるなんて、全く短気な奴だ」
 あれだけしゃべってくれただけでも大したものだと思うが……。
「まあ、あとは警察に任せて――」
 そう言い掛けて目田探偵が身構える。
 目を向けると、浮谷がゆっくりと起き上がるところだった。
「くっ……こんなところで、計画が破綻するとはな……」
 その両手には、一つずつ薬瓶が握られている。その中身がどのようなものなのか分からないので、目田探偵も二発目のゴム弾を撃てないでいた。
「ふっ……賢明な判断だ。こうして俺が病院に入り込めるという事は、なんらかの薬品を手に入れても不思議では無いからな」
「……どうするつもりだ?」
 浮谷はこちらを牽制しながら、屋上の縁へと歩み寄る。
「ゲームに敗れた者には、罰が下される。それは俺自身も例外ではない……」
 そして瓶の蓋を外し、その中身を頭からぶちまけた。

 ――ジュウウウウウウッ!

 肌が、皮膚が、音を立てながら焼け爛れていく。何らかの強い酸性の薬物なのだろう。見る間に顔の形が崩れていった。
「定雄……おまえに成り代わって、その気持ちが良く分かったよ。今まですまなかったな……」
 浮谷啓介の最後の告白だった。
「さらばだ……名探偵。そして……俺の、花嫁。今度こそ……やり直したかっ――」
 そしてそのままフェンスから身を乗り出し、
浮谷啓介は闇の中へと吸い込まれていった。
「……どう見ても犯人です。ありがとうございました」
 こんな結末では、犯人にまんまと逃げられたようなものだ。目田探偵の決め台詞も様にはならない。
「ところで、彼は花嫁って言ったよね?」
「ええ……」
 僕は手元の塔野さんを見て頷く。
「やはりそういう事か。一族の遺伝子を調べて更に驚くべき事が分かったんだ」
「何です?」
「遺伝子的には、彼女は父親である塔野和由兄弟らの親に当たる」
「ええっ!? じゃあ――」
「そう。彼女もクローンだ。塔野浩和の妻、由紀のね……」
「だから花嫁って……あれ? でも葛西定雄……浮谷啓介は、塔野家の血筋とは関係無いって言いましたよね?」
「言ったよ。つまり殺された一族は塔野浩和の子では無いという事だ。おそらく彼は性的不能者だったんだろう。それでも子供が欲しくて、どこかの男に産ませたのだろうね」
「………」
 浮谷啓介の最後の言葉の意味が、少しだけ分かったような気がする。
「その事、和葉ちゃんに教えるんですか?」
「独自に調べたって言っただろう? クローン云々の事は私達しか知らない事だよ」
 それは浮谷啓介の遺言であると言えるだろう。彼は全ての秘密を抱えて、顔を潰してまで地獄へと堕ちたのだ。
「犯人は葛西定雄。表向きにはそうするさ。警察だってそれで納得するだろう」
「……そうですね」
 いずれ彼女が真実を知る時が来るかもしれないが、今は休ませてあげよう。
「さて、屋上は冷える。部屋に戻ろうか」
「はい」
 僕は彼女を背負い上げた。
「うわあ。おっぱいの感触を楽しんでいるよ、こいつ」
「ええ。華奢に見えて意外と大きくて……って、何を言わせるんですか!?」
「はっはっは。今回はきみのスケベ心がクローズアップされたね」
「最後の最後で変な事を強調しないで下さいよ! 妙なイメージが付くでしょうが!」
「騒ぐなって。彼女が起きるよ」
「……それにしても、このまま終わりでいいんですか? 事件本編の話とかは結局語らずじまいですよ」
「その辺は読者の御想像にお任せって事でよろしく。次回に乞うご期待。以上閉幕」
 最後の無責任さは相変わらずだった。

投稿者 緋色雪 : May 17, 2006 03:09 AM