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第一話『凶器の名はチョコレート』

20060508

「ところで安地(あんち)君。ここがどこだか分かるかい?」
 おもむろに、目田(めた)探偵がそんな事を僕に問い掛けた。
「ここって――」
 僕は辺りを見渡す。ごく普通のワンルームマンションの一室。目に付くものと言えば、リビングのテーブルに置かれたチョコレートと、傍に倒れている遺体くらいだろうか。
「事件現場ですね。遺体の男性は見たところ二十代後半。おそらく、バレンタインのチョコレートを食べて亡くなったんでしょうね」
「丁寧な説明をありがとう」
 満足そうに頷く目田探偵。
「何せお題が『バレンタイン』だからね。必然的にこういうシチュエーションになるって訳さ。ちなみに今日は二月十四日だよ」

 肩を竦めて目田探偵は言葉を続ける。
「古来よりチョコレートと言えば、毒入りだと相場が決まっているだろう?」
「随分と局地的な偏見ですね」
「それが定説であり通説であり俗説なのだ」
「最後で嘘臭くしてどうするんですか」
「つまり、毒殺という訳だ。それだけははっきりしているよ」
 目田探偵は遺体に近寄り、わざわざ顔を持ち上げて僕に確認させる。
「分かりましたよ……それで、僕達はどうしてこんなところに居るんです? 警察の人が居ませんけれど」
 部屋の中には僕達二人と死体しか居ない。
「まあ、そうだね。今朝たまたま訪れた部屋で死体を発見して、さあどうするかって状況にしておこうかな」
「たまたまって……」
「なんなら依頼人だったという事にしてもいい。鍵が開いていたので不審に思って中に入って死体を発見した。これで満足かい?」
「……はい」
 つまり、そういう設定なのだ。
「警察は呼ばないよ。第一発見者としてあれこれ調べられるのはごめんだし。それに、人が多くなって描写が面倒臭い」
 そこまでぶっちゃけなくても。
「じゃあ、どうするんです?」
「決まっているじゃないか」
 目田探偵は自信たっぷりに言い放つ。
「私達が解決するのさ」
「達……って、僕もですか?」
「勿論だよ。私の助手」
「そういう事ですか……」
 僕は溜息を吐く。
「遺体の硬直具合からして死後数時間。犯行時間は夕べの遅くというところだね」
 目田探偵は遺体の様子を調べて判断する。
「ベランダには鍵が掛かっているね。まあここは五階だし、入り口に鍵なんて掛かっていなかったからどうでもいいけど」
 部屋を荒らされた形跡も無い。テレビは付けっ放しで、男はテーブルの前に座ってそれを見ながらチョコを食べたのだろう。
「ふむ。アーモンドチョコでもないのにアーモンド臭がする。ミステリお馴染みの青酸カリか」
 見たところチョコレートは既製品のようだが、一度開けてから毒を仕込んで元に戻すのは難しくないように思える。
 凶器の名はチョコレート、か。
「次はマンションの住人に聞き込みに行こう。付いて来なさい、安地君」
「はい」
 それにしても何とも楽しそうである。
 まあ探偵が事件を前にしているのだ。当たり前と言えば当たり前かもしれない。
 とりあえず僕達は部屋を出て廊下の先にあるエレベーターに乗り込み、一階のフロアに降りた。ちなみに犯行現場の部屋は503号室。マンションは五階建てで各フロアに五部屋ずつ存在する。
 フロアの奥まった場所にある管理人室に向かい、目田探偵は扉をノックするなり中へと入って行った。
「昨日から今日に掛けての503号室の住人の行動を知りたい」
 目田探偵は名乗りもせずに管理人である中年の男に尋ねた。
「あんた一体――」
「探偵だよ。全く、いちいち押し問答している暇は無いんだって。短編だから行数が勿体無いしね」
「はあ……503号室の人は、確か朝八時頃に出掛けて夜十一時頃に帰宅されましたね」
「その時の様子は? 何か荷物は持っていたかい?」
「いえ、特には。普通でしたよ」
「それ以外の時間で、出掛けたりはしなかった?」
「はい。ああ、ついでに言えば――」
 管理人はエレベーターシャフトのある方に目を向けて言った。
「夕べの十二時過ぎにエレベーターが故障しまして。まあ、今朝早くに直させましたが」
「ほほお」
 目田探偵の眼がきらりと光る。
「向こうに階段が一つありますね」
「ええ。ですが、あれの四階から五階の間の部分は通れませんよ。先週、階段のコンクリート部分に大きなヒビが入っているのを確認しましてね。危険ですから立ち入り禁止になっています。全く、違法建築だと訴えてやろうかと思って――」
「成程。あともう一つ。あなたはいつも、この部屋に居ますか?」
「ええ。それが仕事ですから」
「分かりました。では、お邪魔しました」
 目田探偵そう言い残して部屋を出た。
「面白くなってきたねえ。安地君」
「まあ、そうですね」
 今の証言から判断すると、503号室の人間にチョコレートを渡して毒殺したのは五階フロアの人間という事になるのだろう。
「では、五階に戻るとするか。折角だから階段を通ろうかな」
 意気揚々と階段に向かって歩き出す目田探偵。僕はその後ろに付いて行った。
「ここか」
 四階まで昇ったところで足を止める。立ち入り禁止の立て札があり、その向こうの階段部分にはあちこちに大きなヒビが入っていた。
「安地君。頼みがあるんだ」
「はい」
「ここを通ってくれ」
「……はあ?」
 何をぬかしやがりますか、この人は。
 ついさっき管理人が危険だと言ったばかりじゃないか。
「念の為だよ。管理人はああ言っていたが、ひょっとしたら簡単に通れるかもしれない」
「どうしても……ですか?」
「どうしてもだ。男だろ? さあ、行け!」
「……分かりましたよ」
 理不尽な要求に渋々ながら僕は承知する。これだから助手という立場は弱い。
 決意して足を一歩踏み出した。
 何も……異常は無い。
普通の床の感触だ。
 二歩目。三歩目。
 特に変わった様子は無い。
「何だ、これなら――」

 ――ピシィ!

 ホッとしたのも束の間。
踊り場部分に足を踏み入れた時、嫌な音が辺りに響いた。
「えっと……」
 恐る恐る足元を見る。
 僕を中心により大きなヒビが広がっている。
「う、うああああああっ!」
 既に僕は駆け出していた。
 背後の床のコンクリートが次々と崩落し、奈落へと飲み込まれていく。
「……っ!」
 焦って足がもつれる。
 手を使って四つん這いになって階段を昇る。
 まるで崖を登っているような気分だ。
崩落に巻き込まれるぎりぎりのところで五階のフロアに辿り着き、廊下の床に転がってどうにか安全な場所に退避する事が出来た。
「あ、危なかった……」
 呼吸を整えて慎重に階段部分を覗いて見ると、四階と五階を繋ぐ階段は完全に崩れ、大きな穴を開けているのが分かった。この様子では四階より下も大きな被害があっただろう。
「……そうだ! 目田さんは!?」
「こっちだよ。ご苦労様」
 いつの間にか目田探偵は五階のフロアに先回りしていた。きっとエレベーターでも使ったのだろう。
「いやー、危なかったね」
 そんな涼しい顔をしている姿を見ると沸々と怒りが湧いてくる。
「危なかったね……じゃないでしょ! もう少しで死ぬところでしたよ!」
「まーまー。これで階段は使えないことが実証されたよ。それ以前に、埃のつもり具合で長い間誰も使っていなかったのは明白だった訳だけどね」
「あ、あのですね……」
「ついでだから住人がこの騒ぎを聞き付けたところを事情聴取しようじゃないか。さっきエレベーターは使えなくして置いたから、邪魔が入る事は無いよ」
 まさに外道。
 さて、ここからは簡略に行く。
 五階の住人で出て来たのは501号室の女性と505号室の女性の二人。更に部屋を一つ一つ確認したら、もう一人504号室に女性が住んでいる事が分かった。
 それぞれを便宜上、女A、女B、女Cと呼ぼう。ちなみに502号室は空き部屋で、これでこのフロアに住んでいる全員である。
 以下は、騒ぎを何とかなだめすかして得られた三人の証言である。
 まずは女A。
「――えっ昨日? わたしは朝からずっと仕事で、帰って来たのがついさっきなのよ。やっと休めると思っていたのに、一体何の騒ぎなのよ。証明? そんなもの会社にでも確かめてくれたらいいじゃない。もういい?」
 次は女B。
「――なーに、話って? あたし昨日は外に出たり部屋に戻ったりして忙しかったから、正確な事は分からないなー。最後に戻ったのが夕方くらいかしらね。503号室の男? ああ、あの人ね。好みだから何度かアタックしたんだけどねー。全然相手にしてくれないのよ。あれ? そういや出て来ないわね」
 最後は女C。
「――昨日は……ずっと部屋に居ました。ああ、一度だけ……昼間にコンビニ行きました。隣? 私……あんまり人に興味無いから、何も知りません。ここ……壁が防音だから、さっきの大きな音でも無い限り……外の様子なんて分かりません」
 以上である。
そして三人に部屋から出ないように厳命すると、僕達は最初の503号室に戻った。
「あの、ちょっといいですか?」
 部屋に入るなり僕は気になっていた事を目田探偵に尋ねた。
「夕べ以前にチョコが持ち込まれた可能性もあったんじゃないですか?」
「ああそれは無い」
「どうしてです?」
「このチョコは有名菓子店で販売された完全限定の高級品で、発売日はバレンタイン前日……つまり昨日だけだったからだ。店の開店は朝十時。その頃に被害者は出掛けている」
「何だか取って付けたような理由ですね」
「作者が今考えたのさ」
「じゃあ、遅効性の毒という線は?」
「青酸カリだと言っただろう? あれは即効性の毒物だよ」
「それなら、店や毒物から犯人を割り出せば確実に――」
「しつこいねきみも。そういう裏付けは警察の仕事。あとでやってもらうさ」
「あっ!? 非常階段は?」
「ああもう、うるさいな! さっき確認したよ! 鍵が壊れて内からも外からも開けられなかった! これで満足か!?」
「……はい」
 納得出来ない部分は多々あったが僕は大人しく返事をした。
「それに、犯人はもう割り出してある」
「えっ?」
 たったあれだけの証言で犯人を割り出したというのか、この人は。
「おいおい、なんて顔をしているんだ? 私の職業を忘れたのかい?」
「……探偵」
「疑り深い眼をしているね。だったらこの事件を解決したら名探偵と呼びたまえ」
「それどころか、モデル顔負けの容姿とスタイルって説明してあげますよ」
「それはいいね。美形探偵は世の主流だし。ちなみにきみはごく普通の容姿の高校生って設定だからね」
「今知りましたよ。じゃあ目田探偵の年齢は幾つなんです? どうも年上のようですから、二十qあwせdrftgyふじこlp」
「私の心は常にティーンだよ。さあ、犯人を告発しようじゃないか」
 何事も無かったかのように目田探偵はさらりとそう言って部屋を出た。
 向かう先は――エレベーターシャフト。
「あれ? あの……」
 僕は疑問の声を上げる。
「黙って付いて来い」
 エレベーターの扉は観葉植物で塞がれてあった。成程。これなら使えない。
 中に乗り込み、下に降りる。
 押したボタンは一階。
 まさか……このまま帰るつもりか?
 あれだけ大口叩いておいて。

 ――チーン。

 エレベーターが一階に辿り着くと、ホールの中が人でごった返しているのが見えた。ここの住人なのだろう。部屋から引っ張り出された管理人が問い詰められている。
「はいはい。静かに」
 目田探偵が手を叩いて注目を集めた。
「管理人さん。ちょっといいかい?」
「はあ……あなた、一体どこにいたんですか? 階段の事を何か知っているんですか?」
「まあ、それはともかく」
 そして目田探偵は、人差し指を管理人に向けて言い放った。
「あんたが503号室の男を殺したね?」
 騒然としていた場が、しんと静まり返る。
 それは僕も同じだ。
「な、何を……」
「証言に矛盾があったのはあんただけだよ。あんたはさっき、部屋に居るのが仕事だと言った。フロアの奥まった場所だというのに、どうして住人が出入りする様子を見る事が出来たんだ?」
「それは、たまたまフロアで見掛けて……」
「たまたま、ね。ふん。それでいいとしよう。だったらなぜ、それ以外の時間に男が出掛けてはいなかったと断言出来た? つまりそれは、あんたが彼を見張っていたからじゃないのか?」
「……っ!」
 管理人は言葉に詰まって青ざめる。
「チョコを渡したのはアンタだね?」
「………」
「限定品の高級チョコ。生ものだから、早めに食べろとでも言ったんだろう?」
「………」
「意図的にエレベーターシャフトを使えなくして密閉空間を仕立て上げた。あわよくば同じフロアの人間に容疑を掛けられるからな」
「……仰る、通りです」
 管理人は床に膝を付き、己の罪を認めた。
 目田探偵が得意げな顔で僕を見る。
 はいはい、分かりましたよ。
 僕は心の中で密かに拍手を送った。
「彼が……彼が私の事を見てくれなかったから。今まで部屋を無償で貸してあげたというのに、それどころかこんな欠陥住宅を出て行くって……」
 うわあ、ウホッな理由だったのか。バレンタインという状況だったので、すっかり犯人が女性だと思い込んでしまった。
 その告白に納得したように目田探偵は深く頷いて言った。
「どう見ても犯人です。本当にありがとうございました」
 ……決め台詞がそれかよ。
「さて、安地君」
「はい」
「終わったし、帰ろっか」
「ええっ!? この状況で?」
「あとは警察の仕事。とっくに住人が通報している筈だからね」
「いや、階段の件は?」
「あれは自然現象。いやー、怖いね」
「まあ……そう言ってくれると有り難いですけど」
 実際にあそこを歩いて崩落させたのは僕なのだ。いくら目田探偵にやらされたとはいえ。
「私の仕事は終わったよ。いや、依頼があった訳でもないから厳密に言えば仕事じゃないかな。一銭の徳も無いし」
 目田探偵は出て来たマンションを見上げながら呟く。
「そう言えば、殺された男は依頼人だったという設定でしたね」
「まあね。だから、その腹いせかな」
 腹いせであんな騒ぎを起こすのか?
「とにかくこれで私が名探偵だと証明されただろう? さあ、敬え」
「色々と突っ込みどころはありますが……」
 僕は苦笑し、モデル顔負けの容姿とスタイルの名探偵に言った。
「そういう事にしておきましょう」
「うむ。苦しゅうない」
 満足そうに笑みを浮かべている。
 そう見ると成程、中々魅力的な探偵に見えなくも無い。
 だからと言って惚れたりはしないからな。
「ところで目田さん」
「何だい?」
「このマンションはオートロックなのに、僕らはどうやって被害者の部屋に行ったんでしょうね」
「そりゃあ、中から開けてもらって――」
「被害者は死んでいたんですよ?」
「じゃあ、出て来る住人に紛れて――」
「返事が無いなら留守だと思うでしょ。わざわざそこまでしますか?」
 目田探偵はしばらく押し黙り、虚空を見上げながら呟いた。
「真っ白な原稿用紙に垂らされた一滴のインクが行と升目に絡み合い一つの物語が紡ぎ出された。そこに理由は無く私らは――」
「詩的な表現で誤魔化しても無駄ですよ。それにこの小説はキーボード入力ですよ?」
「うるせー! とにかくもう終わり! 次回に乞うご期待! 以上閉幕!」
 数々の矛盾を孕んだまま、目田探偵は強引に話を締め括った。
「それにしても、こんないい加減な小説でいいんでしょうか?」
「構わないさ。私が許す」

投稿者 緋色雪 : May 8, 2006 04:15 PM